リンク集 RSS/ATOM 記事
ホーム >>
リンク集 >>
RSS/ATOM 記事 (26291)
ここに表示されている RSS/ATOM 記事を RSS と ATOM で配信しています。



ここに表示されている RSS/ATOM 記事を RSS と ATOM で配信しています。



【佐々成政の家紋について】 佐々成政の家紋について知りたい。また、金沢城の鼠多門に佐々成正の家紋がつけられているが、その詳細について知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:08)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:08)
『金沢城』(11827104)p.81に、鼠多門について「これはもと佐々成政の城の門であったが、天正の戦いの頃、分捕した楼門だと伝えられ、その破風に佐々の定紋である桔梗の紋を付けてあった」とある。この資料を利用者自身で調べられた上で、上記質問事項の申し出があった。〇家紋に関する資料『イチから知りたい!家紋と名字』(113481940)p.79に「信長に仕えた武将たち」として、佐々成政の家紋とされる「七つ割れ隅立て四つ目」が紹介されている。『家紋で読み解く日本の歴史』(112532240)p.166-169に「輝く「太閤桐」」と題し、秀吉に対抗をつづけた男として佐々成政を挙げている。家紋に関しては「佐々氏は宇多源氏の佐々木氏の末流が上総の佐々庄に住んで地名を名字にした。子孫が尾張に移って織田氏に仕えた。家紋は佐々氏の子孫が ...
企業物価指数(卸売物価指数、東京卸売物価指数)が掲載されている資料等については、国立国会図書館提供調べ方ページ「リサーチ・ナビ」内の調べ方案内「過去の貨幣価値の調べ方」(https://ndlsearch.ndl.go.jp/rnavi/business/post_102809)(2024/1/18最終閲覧)が詳しい。上記ページに記載されている資料で金沢市図書館が所蔵している資料は以下のとおり。『完結昭和国勢総覧第2巻』(118282108)(p.443~掲載)玉川図書館2F参考資料室及び泉野図書館1F参考資料室所蔵『日本長期統計総覧第4巻』(11099354)(p.330~掲載)玉川図書館2F参考資料室及び泉野図書館1F参考資料室所蔵『明治以降卸売物価指数統計』(410003750)(p.24~掲載)泉野図書館1F参考資料室所蔵
【古紙幣について】 メール添付画像の古い紙幣に書かれている文言の内容、支配人名などを知りたい。また、紙幣や国債について書かれた書籍はあるか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:07)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:07)
『日本貨幣カタログ 2024』(114094807)p.210によると、添付画像は、明治6年8月20日~明治32年12月9日発行の旧国立銀行紙幣10円である。文言については、『紙幣肖像の近現代史』(113519449)(植村峻/著)p.74に以下のとおり書かれている。「表面上部には、「此紙幣の引当として日本政府の公債証書を東京大蔵省の出納寮に預候也」、下部には「此紙幣を持参の人えは何時たりとも壱円相渡可申候也」と支払文言が印刷されている。」※「壱円」という金額部分は各札の金額に読み替える。頭取名・支配人名については、『三井銀行八十年史』(129823556) p.535にて、添付画像と同じ十五銀行発行の20円券の大きな画像があり、「頭取 毛利元徳」「支配人 中村清行」と書かれていることが確認できる。紙幣や国債について書かれた書籍は、上記『紙幣 ...
【珠洲の米蔵について】 江戸時代、加賀藩の米蔵(御蔵所)が能登(現在の珠洲市付近)に存在していたか。もし存在していればその管理は誰が担っていたか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:07)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:07)
『加越能近世史研究必携』(113226643)p.177、『加賀藩史料 第4編』(11801627)p.539、『加賀藩農政史考』(118546645)p.403、『加賀藩農政史の研究 上』(118546369)p.209によると、珠洲郡の鵜飼には収納蔵が1つあった。『珠洲市史 第6巻』(11903807)p.174に「当市域での御蔵は、飯田(三)・蛸島(二)・鵜飼・正院・大谷・鵜島に、町蔵は飯田に設けられ、御蔵の管理のためには、その付近に蔵番がおかれた」と記載されている。『宝立の今昔』(11909588)p.15に「藩直領の年貢米を収納する倉庫を、「御蔵」といったが、宝立では鵜飼と鵜島に設けられ、管理のために、その付近に蔵番がおかれたといわれている」と記載されている。年貢収納に関わる役人に関して、『加賀藩農政史の研究 上』(118546369)p.289に「所口町奉行の支配下に、所口・輪島・飯田・中居など、能登 ...
1)大桑あさんがやし質問者より江戸時代頃の盆踊りであるとの情報あり。館内検索でキーワード「大桑 あさんがやし」と検索すると下記の資料がヒットした。『加能民俗研究 第44号』(109174442)p.51-58に「大桑あさんがやし」と題して、地区の概要、伝承地、実施期日・場所、由来・伝承、芸態、歌詞、道具・衣装、類似の芸能、組織、民俗的な評価と問題点、参考資料が掲載されている。上記資料に載っていた参考資料について何冊か内容を確認すると「大桑あさんがやし」についての記載が見つかった。『金沢市文化財紀要 51 金沢市口頭伝承調査報告書』(11823683)p.65-68 あさんがやしについて、大桑や長坂など地域ごとに異なる歌詞や伝承について記載がある。『石川県の民謡 民謡緊急調査報告書』(11910150)p.118 「あさん返し」の項目 ...
【明治初年の金沢の人口動態について】 明治初年に石川県の県庁所在地が金沢から美川に移された際、金沢の人口が減少したはずだが、その具体的な数字が記された資料が見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:07)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:07)
『石川県史 第4編』(118587405)p.86-87「現住人口累年比較」に明治16年(1883)以降の金沢の人口の推移が掲載されている(明治16年106,659人)。『金沢市史 通史編3』(119958310)p.29「表10 廃藩置県直後の金沢町と士族」によると、明治4年(1871)の金沢町の人口は123,453人、うち士族は52,992人である。p.42によると、明治24年(1891)の金沢の士族の人口は11,249人である(家族は含まれない)。『石川県の歴史』(118558628)p.189によると、明治4年の金沢の人口は123,363人、うち武士は61,659人である。『石川歴史館』(118377936)p.340「主要都市の人口変遷」によると、明治9年の金沢の人口は97,654人、明治26年(1893)の金沢の人口は91,531人である。『伝統都市の空間論・金沢』(118412454)p.75「藩政期金沢の家数・人口」によると、明治4年(1871)の金沢の人口は123,363人である。『稿本金沢市史 ...
【二俣の歴史について】 金沢市二俣地区の歴史について、特に定住始めから一向一揆に至る時代の文献等の情報を提供してほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:06)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:06)
『医王 医王山校百周年記念誌』(119565780)p.12-24「古代・中世」以下の3冊には二俣の古代・中世(一向一揆より前)のまとまった記載なし。『石川県河北郡誌』(11824575)p.381-422「浅川村」【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1877582/1/212 (2023年12月11日最終閲覧)『山の民物語』(118419580)p.220-231「二俣の巻」『金沢市二俣町』(119458510)
『金沢専売支局一覧』(118570328)によると、明治38年2月に金沢町田丸町に「金澤煙草製造所」が置かれた。明治43年7月に金沢市長町に「分工場」が増設された。大正3年に新工場に移転したとあり、本資料では「工場」と表記されている。『北陸専売事業60年のあゆみ』(11913574)によると、大正2年に専売局金沢専売支局、大正10年に同金沢地方専売局、昭和24年に日本専売公社金沢地方局と名称変更された。昭和50年に地方局社屋が完成し、「旧工場」「新工場」と呼称されている。『日本近代建築総覧』(11055462)p.218「金沢市立図書館」に「(旧専売公社C-1号工場)」と補記されている。
【ルビの使い方について】 ルビの使い方について、平仮名でも片仮名でもよいのか、読ませたい読み方を振ってもよいのかしりたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:06)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:06)
『日本大百科全書 20』(11093899)p.643「振り仮名」の項目に、「漢字の読みを示すために、その漢字の右側または左側、ときに両側につけた仮名。(中略)ルビ Ruby ともいう。」と説明あり。振り仮名の歴史についても簡潔にまとめられており、過去には平仮名のものも片仮名のものもあったことが分かる。レファレンス協同データベースにて「振り仮名」と検索すると以下の回答がヒット。内容を参照しながら回答した。「振り仮名のつけ方について、ルールなどを解説してある本を教えてください。」https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000116191(参照日:2023/10/15)『本づくりの常識・非常識』(112226522)p.89に「ルビとは」と題して、「ルビとは本文に対して振られる仮名、振り仮名をいいます。(中略)ルビは、読みが難しいと思われる ...
以下のとおり。概要が記載されているもの『国史大辞典 3』国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1992(11046083)p.143-144『江戸時代年表』山本 博文/編 小学館 2007(119982370)p.121詳細な記載があるもの『加賀騒動記』 山路 愛山/著 敬文館 1912(118411368)国立国会図書館デジタルコレクション にもあり https://dl.ndl.go.jp/pid/945779(参照 2023-10-13)『御家騒動』北島 正元/編 人物往来社 1965(129180170)『加賀騒動』青山 克弥/訳 教育社 1981(11909943)『加賀騒動 若林 喜三郎/著 中央公論社 1979.1(11013556)『新選御家騒動 下』福田 千鶴/編 新人物往来社 2007.12(112941311)『加賀騒動』(小説)横山 方子/著 文芸社 2007.10(119982192)大槻伝蔵について『風のあしおと』田中 喜男/編 静山社 1982(11913165)p.102-111御家騒動についての考察『地域社会の歴史と人物』(118508466)p.45-57 吉 ...
execution time : 0.289 sec