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筑肥線についての詳細は⑦が参考になる。写真は②~⑤が豊富に掲載されている。①『日本大百科全書15』小学館(020667978)【R/031/ニ】 ※P199 「筑肥線」について、「西日本旅客鉄道の線路名称。…1923~35年(大正12~昭和10)北九州鉄道により博多―伊万里間を開業し、37年国有化されて筑肥線となった。」とあり②『旧国鉄筑肥線そこに駅があった』樋口 庄造/著(022594584)【C/219.1/ヒ】 ※写真多数あり ③『九州鉄道の記憶』宇都宮 照信/編(021031331)【C/686.2/キ】 ※P7 昭和期に撮られた写真あり P30-33 筑肥線の歴史説明と昭和~平成期に撮られた写真あり P276-278 九州の廃止線関係年表に筑肥線の開通などあり④『九州鉄道の記憶 2』宇都宮 照信/編(021067053)【C/686.2/キ】 ※P3、P8 写真あり(平成撮影)⑤『九州鉄 ...
久留米ラーメンの方が麺は太く、豚骨スープは濃厚でこってりとしている。トッピングに海苔をのせる店が多い。九州ラーメンの発祥は久留米の「南京千両」である。①『福岡県謎解き散歩』半田 隆夫、堂前 亮平/編著(040121618)【C/291.9/フ】P28,29“久留米ラーメンの特徴は、細麺とトッピングに海苔を使うところなどにある。”“博多ラーメンは、極細麺と紅ショウガのトッピングで知られる。”②『Fukuoka style Vol.28』(020789145)【C/219.1/フ】P28,29「風に吹かれてラーメン紀行」と題して、北九州・博多・久留米・熊本・鹿児島系ラーメンの記載あり“博多系(見た目はコッテリだが、意外とサッパリ)”“久留米系(トンコツの、特に頭とゲンコツを一緒に炊き込み、味も濃厚で独特のうまみがある)”③『ふるさとの食』アクロス福岡 ...
『神社辞典』(020171054)【R/175/ジ】P123-P124「天平宝字元年(七五七)伊勢国の櫛田神社(現在、松坂市)の分霊を当地に勧請したのに始まるという。」と記述あり。※原文ママ 他、記載資料あり。①『神社辞典』白井 永二、土岐 昌訓/編(020171054)【R/175/ジ】P123-P124に「天平宝字元年(七五七)伊勢国の櫛田神社(現在、松坂市)の分霊を当地に勧請したのに始まるという。」と記載あり。(※原文ママ 松坂市とあるが、松阪市のことと思われる。)②『筑前名所図会』奥村 玉蘭/著(110200763)【CC/291.9/オ】P202記載あり。③『福岡県の神社』アクロス福岡文化誌編纂委員会/編(022526974)【C/175.9/フ】P34-P35に記載あり。④『日本大百科全書 7』小学館(020667895)【R/031/ニ】P411記載あり。⑤『日本の神々 神社と聖地 1』谷川 健一/ ...
『大野城市史 上巻』※P424-444に、水城跡についての記載あり。①『大野城市史 上巻』(000045179)【CC/014.7/オ】P424-P444②『太宰府発見』(021902507)【C/219.1/モ】P83-P116③『大宰府と多賀城』(020755799)【CC/210.2/コ】P13-④『大野城市の文化財 第27集』(000014712)【CC/210.2/オ】P2-4⑤『大野城市の文化財 第29集』(000014738)【CC/210.2/オ】P7-9⑥『大野城市の文化財 第30集』(000014746)【CC/210.2/オ】P16それぞれに成り立ち、調査状況・保存に関する記載あり。⑦『水城跡 上巻』(000057778)【CC/709.1/ミ】⑧『水城跡 下巻』(000057786)【CC/709.1/ミ】専門的な記述であるが、写真などで開発の様子について詳しく記載あり。⑨『特別史跡 水城跡』(000082206)【CC/210.2/ト】パンフレット形式の冊子で、⑦・⑧に比べると簡単ではあるが現在(2010年時点)の写真が掲載されており、比較 ...
「しおじやま」という山の歴史が知りたい。663年から現代まで幅広く。・漢字表記は不明。・太宰府あたりにある。・百済の民族が村を作って住んでいた。・島津藩が治めていたことがあるらしい。(大野城まどかぴあ図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/2/28 11:05:33)
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しおじやま⇒四王寺山(しおうじやま)のこと。詳細は『四王寺山の1350年』等、各参考資料を参照のこと①『四王寺山の1350年』(010042182)【CC/219.1/シ】※貸出不可「大野城築造1350年・九州歴史資料館移転開館5周年記念」として発行されており、網羅的に情報を得られる。②『大野城市史 上巻』(000044115)【CC/014.7/オ】P429“奈良時代に入り宝亀五年(七七四)、持国天、広目天、増長天、多門天(毘沙門天)の四天王をまつった四王寺(四天王寺)が山中に建てられた。~略~この四王寺は現在の毘沙門堂の近くにあったと考えられており、「四王寺山」の名称はこれに由来する。”P502~「四王寺山の狼煙台」“律令の時代、伝達手段として四王寺山には狼煙台が設けられた。~略~ 江戸時代にも、長崎に軍事的緊張が走るたび、この狼煙が ...
令和7年2月27日 研修旅行3日目 今日は市場や大型スーパーの見学のあと料理教室で台湾料理作り研修を体験しました。 雙連市場は庶民の生活を支える市場の1つで、生の魚や肉、山に盛ったたくさんの野菜やフルーツ、火鍋に入れる練り物、乾物、惣菜、衣料品などが並べられにぎわっていました。 昔、お寺などが行なっていた月1〜2回の市が、現在の市場の前身ということで、市場の近くには必ずお寺や宮、廟があるそうです。 料理教室では、細切り押し豆腐の冷製和え物、小籠包、紅焼牛肉麺、タピオカミルクティーを教えてもらいながら作りました。小籠包を包むのに苦戦しましたが、全品とても美味しく出来上がりました。最後に修了証をもらいました! 小籠包 包むのにちょっと苦労しましたが、それぞれがこれだけ作りま ...
大野城市の地図を見たい。・区画整理される前の様子を知りたい。・特に何年前というのはないが、過去にさかのぼれるだけ古いものを見たい。(大野城まどかぴあ図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/2/28 11:03:03)
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資料①~⑧を参照。ウェブでは「地理院地図」で過去の航空写真を見ることができる。①『第三次大野城市総合計画 基本計画 昭和62年度~昭和67年度計画』(110161262)【CC/318.7/ダ】②『大野城市の都市計画 [1999]』(000015289)【CC/318.7/オ】③『大野城市の都市計画 [1997]』(000008318)【CC/318.7/オ】④『都市計画基礎調査 平成9年度』(000010496)【C/318.7/ト】⑤『大野町長期総合振興計画 町勢の現状と問題点 1971』(000014571)【CC/318.7/オ】⑥『町勢総合調査書 1964』(110198546)【CC/318.7/チ】⑦『大野城市地名簿』(110196540)【CC/291.9/オ】⑧『大野城市史 上巻』(000045179)【CC/014.7/オ】付録に地図(H17年現在と、大字・小字の対照図)あり。ウェブでは国土地理院ホームページ「地理院地図」で、過去の航空写真を見ることができる。大野城市の ...
『大野城市史 民俗編』P404に昭和25年の地形図あり。その他②~⑤を参照。①『大野城市史 民俗編』(000025296)【CC/014.7/オ】P404 昭和25年の地形図あり。②『大野城市史 上巻』(000045161)【CC/014.7/オ】 付録に昭和53年作成、昭和63年修正、平成17年加筆の地図あり。③『大野城市地名簿』(110196540)【CC/291.9/オ】 地図は『大野城市史 上巻』付録の平成17年加筆前のもの。④『おおの町勢要覧 福岡県筑紫郡大野町 1968[昭和43年]』(110198207)【CC/318.2/オ】 昭和43年7月作成 大野町全図あり。⑤『大野城市市勢要覧 昭和47年度[1973]』(110198215)【CC/318.2/オ】 P27 大野城市土地利用計画図あり。(令和2年9月現在の内容です)参考資料:大野城市史(民俗編), (P404)参考資料:大野城市史(上巻 自然 原始・古代 中世 近世), 参考資料:大野城市地 ...
大野城市HP「おおのじょうの伝説」に、父子嶋(ててこじま)(下大利)のエピソードがある。その出典、場所が知りたい。(大野城まどかぴあ図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/2/28 10:54:12)
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『大野城市地名簿』※P21,図面11 現在の下大利4丁目であることが判明。 『大野城市史 民俗編』※P688-691「父子嶋」民話と背景について解説あり。①『大野城市地名簿』(110196540)【CC/291.9/オ】 P21 小字名「父子島」明治15-昭和初期「父子嶋」が存在する。 図面11 現在の下大利4丁目であることが判明。②『大野城市史 民俗編』(000025304)【CC/014.7/オ】 P688-691 第10章 伝説 「父子嶋」民話と背景について解説あり。 場所:大野城市下大利 JR水城駅西側の小高いところの地名を「父子嶋」と呼ぶようになった。③『太宰府市史 民俗資料編』(110223500)【C/219/ダ】 P1050-P1051 第5編 文化伝承― 第3章 口頭伝承― 二 歴史的伝説 同じような伝説が記載されている。 父子島(大野城市下大利)・ひともっこ山(水城)④『大野城市の伝説とその背景』 ...
新川の歴史については①~③に詳しく記載されている。⑥と⑩に写真が掲載されているので移り変わりを確認できる。①『大野城市史 上巻』大野城市史編さん委員会/編集(000043885)【CC/014.7/オ】※P989-1000 水上の道 新川と舟運計画②『大野城市の文化財 第6集』大野城市教育委員会/[編](000084517)【CC/210.2/オ】※新川特集号として写真・図面などあり 「古文書、記録に見える新川」で記載されている『博多津要録』は所蔵あり・『博多津要録 第2巻』西日本文化協会(110181690)【C/219/ハ】 ※P546、P591・『博多津要録 第3巻』西日本文化協会(110181674)【C/219/ハ】※P89-92、P173-174、P322、P336-337、P470③『大野城市巡杖記』赤司 岩雄/著(000030304)【CC/219.1/ア】※P280-284 筒井新川運河跡 ④『大野城市の文化財 第19集』大野城市教育委員会(000026658)【CC/210.2/オ ...
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