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【石井一蛙について】 『一蛙小説集』に収録されている「加賀怪談雨夜の灯」が連載されていた新聞名が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:26)
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『一蛙小説集』の序文の日付は明治27年正月だったため、その前の北國新聞(明治26年8月創刊-同12月)を通覧したが、「加賀怪談雨夜の灯」は掲載されていなかった。『石川県史 第4編』p.1238によると、石井一蛙は北陸新報(明治14-28年)で小説と雑報を書いていたとのこと。北陸新報は石川県立図書館にマイクロフィルム(明治22年2月-明治29年1月、欠あり)が所蔵されている。
【王維と宋之問の漢詩について】 王維「藍田山石門精舎」、宋之問「端州別袁侍郎」の全文と書下し文が載った資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:26)
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王維「藍田山石門精舎」について『中国詩詞翻訳索引』(118573722)p.155によると、『歴代漢詩評釈』 p.289-293、『名詩評釈:初盛唐中晩唐』 p.102-105、『中国文人詩選』 p.34-36に記載があるとのこと。『歴代漢詩評釈』と『名詩評釈:初盛唐中晩唐』は所蔵なし。『中国文人詩選』(11044953)p.34-36 全文、書下し文の記載あり。『小林太市郎著作集 4 王維の生涯と芸術』(129380018)p.184-185 全文の記載あり。書下し文の記載はない。『全唐詩 検索系統』によると、全唐詩巻125に記載があるとのこと。【URL】http://cls.lib.ntu.edu.tw/tang/tangats/Tang_ATS2012/SrchMain.aspx宋之問「端州別袁侍郎」について『宋之問詩索引』(11920515)p.12 「102.端州別袁侍郎 641 下-11-A」と記載あり。これは作品番号、全唐詩詩題、全唐詩ページ、下巻11葉表に記載されていることを示している。『 ...
『参勤交代道中記 加賀藩史料を読む』(118310786)「第5章 参勤交代の通る街道」p.136 「表5 北国上街道を通った実例と理由」によると、東海道を経由しているのは以下の4回である。(江戸~金沢間)寛文4(1664).5.11~4.5.26 文化11(1815).3.16~11.4.4天保11(1840).4.18~11.5.6安政5(1858).4.18~5.5.8
【林鐘庭について】 金沢の庭園の一覧が掲載された資料はないか。林鐘庭という旧林屋家庭園の住所が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:25)
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『金沢市史 資料編 17 建築・建設』(119623121)p.293「庭園一覧」14に旧林屋家庭園が掲載されている。所在地は「金沢市宝町」と記載されている。『加賀・能登の庭園』(118299061)p.176「旧林屋家林鐘庭」によると、所在地は「金沢市宝町7番10号」である。『松雲学園十年史』(11917261)巻頭「校旗・校章」の説明・写真によると、現北陸大学教養館はもともと創設者・初代理事長林屋亀次郎邸で、併設の庭に「五人扶持の松」が植生している。『金沢・百万石の城下町』(118406626)p.168-169「五人扶持の松」、p.191-192「五人扶持の赤松」に所在地及び由来が記載されている。
『もりやま 森山校下町会連合会50周年記念誌』(109214735)、『北陸道(北国街道)』(119473113)、『石川写真百年・追想の図譜』(1979年)(11901030)に昔の森山の写真は掲載されていなかった。『金沢市詳細図 昭和38年版』(118407249)p.40に「田辺製菓所」の記載あり。『目で見る金沢の100年』(119752610)p.104「森山公民館図書室(昭和31年)」の写真あり。『金沢市世帯主職業住所総覧』(118400650)に田辺製菓所の先代の名前が掲載されている。モルタルになる前の写真が見たいということだったが、外観写真は見つからなかった。
『全訳 漢字海』(第3版)(113162018) p226によると、正しくは「一方明月可中庭」で、日本語訳は「一方では明月が庭の真ん中に対している」とある。作者は劉禹錫で、この一節は劉禹錫の詩『金陵五題』のうち、「生公講堂」という題のものである。なお、詩の全文は以下の通り。「生公説法鬼神聴、身後空堂夜不?。高坐寂寥塵漠漠、一方明月可中庭。」「品詞集」【URL】http://www.poemjoy.com/show-157-2717-1.html「全唐詩検索系統」によると、「金陵五題:生公講堂」は「全唐詩」巻365に収録されている。【URL】http://cls.lib.ntu.edu.tw/tang/tangats/Tang_ATS2012/SrchMain.aspx「漢籍リポジトリ」によると、「欽定四庫全書」の「詩林廣記 巻四」にも収録されている。【URL】https://www.kanripo.org/text/KR4i0045/004
『金城聯隊史』(119566052)p.38-41「聯隊長及聯隊旗手」第1~37代まで記載あり。『〔歩兵第七〕連隊歴史 増訂版』(119565153)巻頭「聯隊長及聯隊旗手」第1~31代まで記載あり。『日本陸軍指揮官総覧』(111665395)p.216「歩兵第七連隊」最終連隊長のみ記載あり。『日本陸海軍総合事典 第2版』(112749364)p.385「歩7連隊長(9D)」昭和12年以降の6名のみ記載あり。
【卯辰山公園の平和祈願像について】 「殉難豊川女子挺身隊員世界平和祈願像」の題字が佐藤春夫によるものであるが、(1)題字がわかる写真掲載の資料、(2)この像の建立に際し、な佐藤春夫がぜ題字を書いたかがわかる資料を探している。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:25)
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(1)題字がわかる写真掲載の資料・『矩幸成作品集』(11919004)P37に殉難女子挺身隊員世界平和祈願像の写真の掲載あり。(写真の大きさ22cm×15.2cm)・Googleマップに殉難おとめの像の画像登録あり。【URL】https://www.google.com/maps/place/殉難おとめの像(2)この像の建立に際し、なぜ佐藤春夫が題字を書いたかがわかる資料・『金沢の文学碑』(11929676)P66に「羽咋工業高校の校歌作詞のため来沢した折、作家の佐藤春夫が趣旨に賛同して題字を書いている。」との記載あり。・『ああ豊川女子挺身隊 8・7豊川海軍工廠の悲劇』辻豊次/編著(118411608)P427に「像の題字は芸術院会員で詩人の佐藤春夫氏がこの話をきいて快く執筆されたものであります。」との記載あり。殉難女子挺身隊員世界平和祈願像について掲載(写真含む)のある資料『石川県産業功労碑集』(11 ...
【亀田鶴山の遺物について】 『平安名陶伝 木米』p.88-89に、亀田鶴山の遺物が競売にかけられたことが書かれているが、この中に屏風が含まれていたかどうかわかる資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:24)
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『平安名陶伝 木米』p.88-89に以下のように記述されている。「鶴山の家は薮の下といふ所に在つて、金沢の所謂家柄町人として鶴山以後も代々町年寄銀座両役を勤めた程の名望ある家であつた。惜しいかな明治の末年にこの家没落して、数多き鶴山の遺物も卯辰山の西養寺に於て競売に附せられた」【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/960232/1/67『幕末・金沢川南町宮竹屋喜左衛門家と金沢片町亀田伊右衛門家について』(119995501) p.27-33「二 12世亀田伊右衛門について」によると、12世亀田伊右衛門は青山家から養子に入り、商業会議所会頭、金沢市会議員及び県会議員などを勤め、明治32年に47歳で病没した。また、p.33-34「三 初代辰村米吉氏について」によると、同氏が亀田薬舗を受け継ぎ、さらに黒田永一に薬業の全部を譲り、黒田が宮竹屋の事業をつ ...
【割出の行政区分について】 明治22年の市町村制の施行後の割出の行政区分は「大字」と書くのが正しいのか。地元に残されている手書きの資料には「字割出」と書かれていた。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:24)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:24)
○大字と書かれているもの『石川県石川郡誌』(11824573)p.93「町村制」 「明治二十二年四月町村制実施により郡内を五町三十九村に区画し、戸長を廃して町村毎に公選町村長及び助役収入役を置き、旧村を大字となし、区長を置きて総代に依らしむ」『角川日本地名大辞典 17 石川県』p.973「〔近代〕割出 明治22~大正14年の弓取村の大字名」『本岡文庫目録』p.20「河北郡中口村大字大衆免」(明治36年)○字と書かれているもの『石川県石川郡誌』p.229「安原村字上安原耕地区画改正成績」『金沢市立図書館所蔵 絵図・地図目録』 「大野村字畝田耕地整理組合地区図」『本岡文庫目録』p.20「河北郡小坂村字大衆免」(明治39年)以上から、後年に書かれた地誌・辞典類では大字に表記が統一されているが、当時の史料で字と大字とが混在していること ...
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