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以下の劇場寄席の開場年日や詳しい事がかかれた資料を知りたい。津市観音寺内堺座、緑座、花園座、曙座。津市丸の内泉座四日市南町新地座(三重県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:23:42)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:23:42)
以下の資料に記載がありました。なお、堺座、緑座に関する情報は見つけることができませんでした。(1)『三重県の劇場史』久保 仁/著 三重県郷土資料刊行会 1996p.107-112に「観音芝居→大栄座(安濃津・大門町)」について書かれています。大栄座は閉業後、曙座と名を改めました。p.113-170に「曙座(津市大門町・観音境内)」について書かれています。p.171-172に「旧曙座→第一劇場(津市大門町)」について書かれています。曙座が都市計画で移転したあとの劇場です。p.172-180に「立盛座→泉座→朝日座(津市立合町―丸の内)」について書かれています。p.180に、「花園座(大門・観音境内)」については開場・焼失年のみ、「堺座(大門・観音境内)」については「詳細はわからない」と書かれています。p.202,203に「新地座→弥生座→ ...
日清・日露戦争から大東亜戦争にかけて、徴兵逃れ祈願が行われた三重県の神社はあるのか、あればどこの神社か教えてほしい。(三重県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:23:42)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:23:42)
三重県史および下記70市町村の自治体史を確認しましたが、徴兵逃れ祈願が行われた旨の記述がある資料は見つかりませんでした。桑名市、多度町、長島町、木曽岬町、員弁町、大安町、藤原町、北勢町、東員町、四日市市、楠町、菰野町、朝日町、川越町、鈴鹿市、亀山市、関町、津市、安濃町、河芸町、芸濃町、美里村、一志町、香良洲町、白山町、久居市、美杉村、嬉野町、三雲町、松阪市、飯高町、飯南町、明和町、多気町、勢和村、大台町、宮川村、伊勢市、小俣町、二見町、御薗村、玉城町、度会町、大内山村、大宮町、紀勢町、南勢町、南島町、伊賀市、上野市、伊賀町、島ヶ原村、阿山町、大山田村、青山町、名張市、鳥羽市、浜島町、大王町、志摩町、阿児町、磯部町、尾鷲市、紀伊長島町、海山町、熊野市、紀和町、御 ...
1960年から1970年代の四日市市の地価データ(①公示地価②基準地価③相続税路線価④固定資産税路線価)を調査できる資料はないか。(三重県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:23:42)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:23:42)
①公示地価当館所蔵資料では確認することができませんでした。「リサーチ・ナビ>土地・路線価>地価公示の調べ方」によると、「不動産情報ライブラリ」(国土交通省)で、調査開始年以降の公示地価を検索することができます。なお、公示地価の調査開始は1970年となります。(リサーチ・ナビ>土地・路線価>地価の調べ方)②基準地価「三重県公報」に、調査開始年以降の基準地価が掲載されています。「三重県公報」は当館も所蔵しておりますが、三重県のホームページよりご覧いただくこともできます。https://www.pref.mie.lg.jp/app/kenkoho/index/(三重県トップページ > 県政・お知らせ情報 > 県政情報 > 公報)1975から1979年の基準価格が掲載されている公報は以下の通りとなります。・昭和50年10月1日号外「国土利用計画法施行令の ...
静岡県掛川大祭の「仁藤の大獅子」の由緒と言われる、白子町の大獅子引き回しについて、白子町あるいは三重県内で該当するものの記述がある文献はあるか。(三重県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:23:42)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:23:42)
三重県および鈴鹿地域の民俗、祭り、文化財の資料を確認しましたが、該当の大獅子に関する記述を見つけることができませんでした。調査した資料『三重のまつり』三重県観光連盟 1976『伊勢型紙を中心とした民俗資料緊急調査報告書』三重県教育委員会/編集 三重県教育委員会 1974『鈴鹿の民俗』宮畑 巳年生/[著] [宮畑巳年生] 1966.3『鈴鹿山麓の民俗』伊勢民俗学会/編 光書房 1983『三重のまつり』三重県観光連盟/〔編〕 三重県観光連盟 1992『白子郷土史 [複写本] 後編』舌津 顕二/〔編〕 白子郷土史研究会 1960.7『三重の祭』伊勢志摩編集室 1994『祭礼行事 三重県』高橋 秀雄/[ほか]編 おうふう 1995.5『三重県の文化財』三重県教育委員会/編集 三重県教育委員会 1996.8『祭礼(マツリ)・山車・風流』四日市市立博物館/編集 四日市 ...
戦後すぐカトリック四日市教会として貸し出された旧小菅家・洋館の写真、イラストが掲載された資料はあるか。(三重県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:23:42)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:23:42)
カトリック四日市教会の写真等が掲載されている資料は見つかりませんでした。<調査した資料>『目で見る四日市の100年』四日市商工会議所 1993『よっかいち歴史浪漫紀行』北野 保/著 四日市商工会議所 2011.6『よっかいち歴史浪漫紀行 続』北野 保/著 四日市商工会議所 2017.3『四日市空襲』四日市市立博物館/編集 四日市市立博物館 1995.6『アメリカ軍が撮影した四日市・1945』四日市市立博物館/編 四日市市 1996.3『目でみる郷土史四日市のあゆみ』市民部地域振興課/編集 四日市市役所 1978『写された四日市』四日市市立博物館/編集 四日市市立博物館 2002.2『四日市市の今昔』樹林舎 2017.8『四日市の昭和』樹林舎 2011.9『四日市今昔写真帖』郷土出版社 2002.1『目で見る四日市の100年』椙山 満/監修 名古屋郷土出版社 1990.3『四日市大学 ...
「歩兵80連隊」について調べている。三重県にはかつて「第八十連隊第五中隊会」という80連隊に所属した方たちの戦友会があったが、同会がまとめた冊子や資料がないか。また、ニューギニアから生きて帰ってこられた方の証言記録などがないか。(三重県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:23:42)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:23:42)
当館には第八十連隊第五中隊会の発行した資料、または第八十連隊第五中隊会についてまとめた資料は見つかりませんでした。当館所蔵の戦争記で目次から第八十連隊またはニューギニアについて書かれていると推察できるものを探しました。第八十連隊については見つかりませんでしたが、ラバウルに派兵された方の回想記が2冊ありました。『捕虜になった日』横田 正/著 オーデン 1995『記憶に留めん』亀井 實/著 文芸社 2015.52冊目はp.41-49が「ラバウル前線基地」という項目です。また、三重県のウェブサイトには戦争の体験談が掲載されています。三重県戦争資料館> 体験文集https://www.pref.mie.lg.jp/common/03/ci500004926.htm八十連隊で検索しましたが、該当の記事はありませんでした。ニューギニアで検索したところ次のページにヒットする内 ...
土井ごう牙の死因となる病名について直接的な記載はありませんでしたが、晩年の病気については以下の資料に記載されていました。(1)『斎藤拙堂・土井【ゴウ】牙』橋本 栄治/著 明徳出版社 1993.6p.178-179 「病気は疝疾」、「五十九歳で発病、荏苒として癒えなかった」p.189(p.181-189斎藤拙堂・土井※牙略年譜) 1879年「中気を病み、半身不随」1880年「胃病を併発」 ※「敖」の下に「耳」なお、当資料のタイトルに関して、環境依存文字であるため当館では「土井【ゴウ】牙」の表記で登録しております。正しいタイトルはすべて漢字で書かれております。(2)『伊勢の歴史と文化』早稲田大学日本地域文化研究所/編 行人社 2009.5p.97 明治7年「疝疾を病む」「その後、胃痛を併発」(3)『新・津市人物伝』駒田 博之/著 伊藤印刷株式 ...
以下の資料を調査しましたが、『幕末の桑名』に掲載されている服部正義の写真以外は発見できませんでした。<調査した資料>『幕末維新と桑名藩』桑名市博物館/編集・発行 2017.10『図説北勢の歴史 上巻』『図説北勢の歴史 下巻』北勢の歴史刊行会/編 郷土出版社 1992『目でみる桑名の江戸時代』桑名市教育委員会/編集,桑名市立文化美術館/編集 桑名市教育委員会 1983.12『幕末の桑名藩主 松平定敬 (1)黒船来航』西村 健二/著 桑名市社会福祉協議会 2020.2『幕末の桑名藩主 松平定敬 (2)京都動乱』西村 健二/著・発行 2020.7『幕末の桑名藩主 松平定敬 (3)長州征伐』西村 健二/著・発行 2021.7『松平定敬のすべて』新人物往来社/編・発行 1998.12『京都所司代松平定敬』桑名市博物館/編集・発行 2008.10『三重幕末維新戦記』横 ...
『川西町史 下巻』に、「天文二十年(1551)伊達晴宗の時代伊勢山田の御師宝師大夫が皇大神宮、内宮外宮のご神号と神教の巻物ならびに神木を持って玉庭に来て皇大神宮の尊さを教えをひろめ里人の幸を祈って宅神祭をおこなった。元禄十四年(1701)本殿及び拝殿を再建し遷座祭を行った。神主は御師蔵田左京である。」とあるが、御師宝師大夫の素性を知りたい。(三重県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:23:41)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:23:41)
以下の資料を確認しましたが、宝師大夫の名前を見つけることはできませんでした。(確認した資料)『神道研究ノート』桜井 勝之進/著 国書刊行会 1998.5『禁裏御師』村田 氏美/編・発行 1969『御師と伊勢講』皇学館大学神道博物館/編・発行 2002.3『神宮と日本文化』皇學館大学/編・発行 2012.4『長崎の伊勢信仰』久田松 和則/著 長崎文献社 2018.11『近世の伊勢神宮と地域社会』上野 秀治/編 岩田書院 2015.3『伊勢御師と宇治山田の学問』窪寺 恭秀/著 弘文堂 2023.7『近世前期神宮御師の基礎的研究』谷戸 佑紀/著 岩田書院 2018.3『館町の御師』櫻井 治男/研究代表 皇學館大学文学部櫻井治男研究室 2014.2『ある伊勢御師の軌跡』皇學館大学佐川記念神道博物館/編集・発行 2023.10『伊勢参宮の先導者たち』皇學館大学佐川記念神道博物館 ...
平安時代、渥美半島と伊勢とが海路で結ばれていたとされているが、伊勢(あるいは鳥羽)の港や使われていた海路について書かれた資料はないか。(三重県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:23:41)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:23:41)
お問い合わせの件につきまして、詳しく書かれた資料は見つけられませんでした。以下、関連していると思われる記述がある資料をご紹介します。(1)『伊勢湾海運・流通史の研究』村瀬 正章/著 法政大学出版局 2004.1p.5「平安時代には(中略)伊良湖をへて伊勢の安濃津に陸揚げし、鈴鹿峠を経て京都に運んだと思われる。」p.6「三河南岸の国府の港すなわち御津から出帆した船は、伊勢の安濃津に至って荷を陸揚げし、鈴鹿峠を越えて京の都に陸路を運んだと思われる。」なお、この資料以外に安濃津に陸揚げをした旨の記述がある資料は見つけられませんでした。(2)『三重県史 通史編原始・古代』三重県/編集・発行 2016.3p.416-423古代の「伊勢湾交通」に関する項目において、「持統六年の伊勢行幸」(p.418-420)と「大宝二年の参河行幸」(p. ...
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