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日本における長期統計を紹介します。掲載されている統計には出典となる統計名が記載されており、調査を広げることもできます。【 】内は当館請求記号です。請求記号が記載されていないものは、版によって請求記号が異なります。国立国会図書館サーチでタイトルを入力して検索してください。『資料名』(書誌情報)の後ろに*が付いている資料は、国立国会図書館サーチの書誌詳細画面に目次があります。1.インターネット情報源日本の長期統計系列(総務省統計局)明治初期から平成までの日本の国土、人口、経済、社会、文化などに関する長期統計を収録しています。データの更新は平成24(2012)年3月までです。現在はWARP(国立国会図書館インターネット情報資料収集保存事業)で見ることができます。長期経済統計(LTES)検索 ...
Changes in Risk Reporting by Japanese and U.S. Corporations, 2010-2019
from Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers (2024/3/4 0:00:00)
from Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers (2024/3/4 0:00:00)
Title: Changes in Risk Reporting by Japanese and U.S. Corporations, 2010-2019Authors: Suzuki, ShinobuAbstract: This study undertakes a cross-cultural examination of corporate risk reporting to test for convergence and divergence perspectives on risk communication. It asks whether the frequencies of risk topics communicated by globalizing organizations from different national cultures become isomorphic or remain culturally distinct. It analyzed longitudinal data on risk factors reported by Japanese and US corporations in their annual reports. It focused on the effects of time and national culture on the frequencies of risk topics. The results provided evidence to support the convergence perspective for the risk topics and the divergence perspective for one of the topics, respectively.
東大寺修二会の初日に読み上げられる「二月堂神名帳」の全文を翻刻掲載した文献を知りたい。『特別展 神仏習合 かみとほとけが織りなす信仰と美』(奈良国立博物館、2007年)38頁に掲載されている、大永八年二月堂神名帳(東大寺蔵)の翻刻が掲載されている文献を知りたい。ただし大永8年以外の年代のものでもかまわない。(奈良県立図書情報館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/3 17:52:49)
from レファレンス協同データベース (2024/3/3 17:52:49)
大永八年二月堂神名帳の翻刻は見出せませんでしたが、以下の通り東大寺二月堂修二会神名帳の翻刻がありましたのでお知らせします。・三橋健『国内神名帳の研究』資料編、おうふう、1995、に「東大寺二月堂修二月勧請神名帳」が掲載されていることがわかりました(CiNiiの書誌データhttps://ci.nii.ac.jp/ncid/BA41603714より(最終確認日:2024/01/13))が、あいにくこの本は今月下旬まで貸出中ですので、内容を確認できていません。・『東大寺お水取り : 二月堂修二会の記録と研究』小学館、1985のp546~547には、「竜松院所蔵(藤原功長筆、『東大寺』所収)」の神名帳の翻刻が掲載されています。この『東大寺』とは上司海雲著『東大寺』秋田書院、1974のことで、p247~252に写真版が掲載されており、末尾に「藤原功長写之」とあります。・佐 ...
明治初期に長崎・浦上地域から奈良県に流配された潜伏キリシタンの調査をしている。『日新記聞』第3号の6ページの6~7行目に「県庁において異宗の徒をして新道を開かしむという噂あり」といった記述が見られる。この内容に関する詳細を行政文書やその他の文書で確認することはできるか。(奈良県立図書情報館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/3 17:52:49)
from レファレンス協同データベース (2024/3/3 17:52:49)
ご質問の『日新記聞』第三号(明治5年5月)の記事を確認いたしました。「此頃仄ニ聞ク県庁ニ於テ異宗ノ徒ヲシテ新道ヲ開カシムト云噂アリ又徒刑人ヲ以テ鉱山ヲ稼カシムト云コトモアリ」→記事の内容は、当時、県庁で下記①と②の話(噂)が出ているとほのかに聞いたという内容かと思われます。 ①異宗の徒を新道建設に従事させる ②徒刑人(囚人)に鉱山で労働をさせる ■新道建設についてご質問は、①についてのことで、異宗ノ徒(大和に流配されてきた浦上キリシタン)が、新道建設に携わったという資料があるかというお尋ねかと思います。結論といたしまして、実際に浦上の信徒が新道建設に従事したことを示す公文書や資料は見当たりませんでした。まず「新道」として可能性がある場所を探してみました。『日新記聞 ...
東向北町の「万大帳」(原田伴彦『日本都市生活生活史料集成九』学習研究社、1977)の、宝暦3年(1753)6月3日(『日本都市生活史料集成九』でp.300)に奈良町で大水害が起こったという記録がある。この日の水害の様子について他に載っている史料はないか。被害者数や被害棟数などが知りたい。(奈良県立図書情報館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/3 17:52:48)
from レファレンス協同データベース (2024/3/3 17:52:48)
この水害について触れた他の史料は見出せませんでした。・奈良の水害を一覧した二次的な文献としては青木滋一『奈良県気象災害史』養徳社、1956や『奈良市災害編年史』奈良市、1978があります。が、前者では前後の時期だと、寛保2年(1742)7月28日の台風、12月5日の大雪、宝暦6(1756)9月17日の台風には触れていますが、この水害には触れていません(p.223)。後者では、p.37で、この大洪水を取り上げていますが、典拠としてはご覧になった「万大帳」を挙げるのみです。・『奈良市災害編年史』では、この周辺の時期の他の災害を取り上げるに際して、典拠となる史料として「万大帳」の他に、「霊山寺諸事記録」「東大寺年中行事記」を挙げています。「霊山寺諸事記録」「東大寺年中行事記」については、出版された全体の翻刻がなく参照 ...
嶋中雄作氏の死因(病名)は何か。また、同氏は1943年7月には持病の悪化で入院しているが、この「持病」とはなにか。その他、亡くなった当時の様子や経緯が知りたい。(奈良県立図書情報館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/3 17:52:48)
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当館資料を調査したところ、嶋中氏が亡くなられた当時の様子について以下の資料に記載がありました。・『中央公論社 嶋中雄作』栗田確也編 栗田書店 1968.6→p.117にて、嶋中氏が慢性胃潰瘍の持病を患っていたことが記載されています。また、p.124にて、新年宴会を催したことや熱海に移って静養したことなど、晩年の嶋中氏の様子について記述があります。・『中央公論社の八十年』中央公論社編 中央公論社 1965→上記資料と内容は重なりますが、こちらの資料でもp.320~p.321にて、嶋中氏の持病や晩年の様子について記述があります。また、嶋中氏が亡くなられた当時の新聞記事2件が見つかりました。〈読売新聞〉・1949年1月18日 朝刊 2ページ 1段「島中雄作氏死去」→漢字が異なりますが、中央公論社の社長であることと上記資料で書 ...
幕末に起きた天誅組の変で殺されたとされる高取藩士西島源左衛門について調べている。いくつかの資料に載っているが、「斥候に出て運悪く捕らえられた高取藩士西島源左衛門は高取城の様子を訊かれても口を割らぬので、天誅組はこれを斬殺して血祭りにあげた」という簡単な内容だけである。私が最も知りたいのは殺された西島源左衛門が何処に葬られたのか、何処に墓があるのかだ。(奈良県立図書情報館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/3 17:52:48)
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高取藩士西島源左衛門の埋葬地・墓地について、見出すことはできませんでした。・当館の蔵書検索で「西島源左衛門」を検索すると、古文書や県内市町村史の採録文書で、高取藩領や天領の高取藩預り地の農村にあてた年貢皆済目録などに西島の名を見出すことができます。しかし、天誅組の変における西島については、『高取町史』も引用している半田門吉の『大和日記』がほぼ唯一の典拠となっているため、諸書の記載が似てきてしまうのかと思われます。『大和日記』は、クレス出版の『近世大和紀行集』第6巻に写真版が収められています。・なお、天誅組についての著作のある舟久保藍氏が、現代書館からシリーズ藩物語『高取藩』を出版しましたが、出版されたばかりで当館にはまだ入っておらず、参照できておりません。・高 ...
『大和十五郡郷士記』というタイトルそのままの本は見つかりませんでしたが、似たタイトルの資料は見つかりました。『東吉野村史 史料編上巻』のp.108に「大和国十五郡衆徒国民郷士記」の抜粋がありました。この原本は、奈良県立奈良図書館所蔵文書となっていますが、同タイトルの文書は所蔵がありませんでした。奈良県立図書情報館で所蔵している文書としては、『和州十五郡衆徒神人郷士記』があり、デジタル化したものを公開しています。また、奈良県立図書情報館で所蔵している文書『庁中漫録』を活字化した『庁中漫録 17-21 (奈良史料叢書 7)』のp.139~166には、「和州十五郡三千衆徒国民」が掲載されています。「和州国民郷士記」(または「和州十五郡三千衆徒国民」)は、『大和武士 (奈良県史 第11巻)』のp.663~676に、活 ...
下記資料をご案内した。1.「47都道府県・くだもの百科」P153-154に、御牧ケ原台地が、日本のいちご生産の発祥の地であること、大正時代には御牧ケ原の開拓と共にいちごが脚光を浴び、小諸市で製缶技術が発達していたこともあり、日本で初めての缶詰いちごジャムが製造されたこと、昭和14年に長野県農事試験場が育成した「御牧ケ原1号」と「同2号」が、日本各地の品種改良の親株になった等の記載有り。2.「地域を照らす伝統作物-信州の伝統野菜・穀物と山の幸-」 P182-183に、御牧いちごは、ジャム専用品種で芝作りという方法で栽培していること、北佐久郡三岡村(現小諸市三岡)の塩川伊一郎氏が、数種の品種を入手して栽培したのが始めであること等の記載有り。3.「図説 北御牧村の歴史」P212に、御牧ヶ原で苺栽培が始まったの ...
昭和40年~50年代頃、小諸市の駅前にアカカンバンという店とボーリング場があったらしい。どこにあったか場所を知りたい。(市立小諸図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/3 14:26:47)
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住宅地図で、アカカンバン百貨店は相生町、エースボールは富士見町(現・大手一丁目)にあったことを確認していただく。回答プロセス:・自館にある一番古い住宅明細図(1968年/昭和43年)で、駅前付近の店を確認する。駅前には該当する建物はなく、相生町にアカカンバン百貨店の表記があった。1970年(昭和45年)の住宅地図も同上。1974年(昭和49年)の日興の住宅地図では、小諸駅の左側富士見町(現大手一丁目)という地域に、に、アカカンバンエースセンターとの表記があり、センターのテナント名にエースボールという表記があった。 ・エースボールがボーリング場か確認するため、『商工名鑑小諸 1974』をあたる。第12類 サービス業⑥映画・ボーリング・遊技場・広告(197P)に、「アカカンバン エースボール 富士見町 ボーリ ...
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