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金沢の古い写真を集めた資料を確認したところ、以下の資料に掲載があった。『写真集明治大正昭和金沢』(11900848)p.77『石川百年』(11826689)p.274『石川写真百年・追想の図譜』(1979年)(11901030)p.87以上に収録されているのは表門からの写真。『金沢の昭和』(118524998)p.68には、裏門が写っている。『目で見る金沢の100年』(119752610)p.52に正面玄関前での集合写真がある。金沢一中(金沢泉丘高校)の歴史をまとめた資料にも掲載がある。『金沢一中・泉丘高校七十年史』(11903506)『金沢一中泉丘高校百年史 前編』(119457675)『金沢一中泉丘高校百年史 後編』(119457666)いずれも巻頭の写真の中に、金沢一中の外観写真がある。
自館所蔵の成年後見制度に関する資料を確認したところ、以下の資料に記述があった。メリットについては、多くの資料に記述があるため、メリット・デメリットで項目を立てている資料を以下にあげる。『すぐに役立つ入門図解最新成年後見のしくみと申請手続き』(113567105)p.14に、一定の職業に就くことができない等デメリットについて記されている。p.17~18には、契約の取り消しが可能等メリットについて記されている。『安心・安全な老後生活のためのおひとり様おふたり様成年後見制度活用のススメ』(113616184)p.34~38にかけて、「法定後見・任意後見のメリット・デメリット」という項目があり、法定後見・任意後見それぞれのメリット・デメリットについてまとめられている。『認知症700万人時代の失敗しない「成年後見」の ...
【大聖寺地区の五百羅漢像の写真について】 大聖寺の全昌寺にある五百羅漢像の写真の載った資料を探している。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:33:38)
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大聖寺の属する加賀市の文化財や歴史に関する資料を確認。全体を写したものは確認されなかったが、以下の資料に部分を写した写真や拡大した写真が収録されている。『加賀市の文化財』(118564269)p.23写真が一番大きい。同書より、五百羅漢像が加賀市指定文化財に指定されていることがわかる。『大聖寺町史』(109175966)p.228『加賀市の歴史』(11900972)表紙『こども加賀市史』(11909585)口絵以上はカラー写真で収録されている。『加賀市歴史文化学習帳 加賀ふるさと検定テキスト 2 自然・動植物・民俗・文化財編』(109207525)p.51※白黒写真
【北条時敬の経歴について】 北条時敬の経歴について知りたい。父母がいずれも加賀藩士の出身と聞いているので、特にそれに関する情報を知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:33:38)
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父の経歴については、『偉大なる教育者北條時敬先生』(11900979)p.5~10にかけて記されている。父の名は條助でその二男とある。北条時良の由緒帳の中に條助の名前を見出すことができるとも記されている。夫人については同書p.38で、加賀藩士で御馬廻役近藤順信の長女として生まれていると記されている。父の名は、『双頭の鷲 北條時敬の生涯』(113650248)の巻末の年譜でも把握することができる。当館近世史料館に明治初年に提出された加賀藩士の由緒書である「先祖由緒并一類附帳」が所蔵されている。『加越能文庫解説目録 上巻』(119537816)に一覧が収録されているが、「北条時良(三一、四郎、良永)」、「近藤雄四郎(順信)」の名前が確認される。所蔵史料は近世史料館のホームページでも検索することができる。時敬自身の経歴に ...
【将軍の前田邸訪問について】 寛永期に徳川将軍が加賀前田家の藩邸を訪れているが(将軍の御成)、それに関する記述のある史資料を見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:33:38)
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寛永6年(1629)4月26日に家光が、29日に秀忠がそれぞれ前田家の本郷邸を訪問している。寛永期の御成を取り上げている資料としては、以下のものがある。本郷邸の発掘調査関係の資料に記載のあることが多い。『加賀殿再訪』(119713461)p.140『赤門』(118597751)p.32~33『大名屋敷と江戸遺跡』(109081862)p.38~47『東京大学本郷キャンパス 140年の歴史をたどる』(113663219)p.14~15『東京大学埋蔵文化財調査室発掘調査報告書 4 東京大学本郷構内の遺跡』(119453326)p.13『淡交』平成17年3月号(170322254)p.83~87寛永期の御成に関する史料としては、以下のものがある。『加賀藩史料 第二編』(11801625)p.591~601(東京大学史料編纂所近世編年データベースで検索・閲覧可能)『三壺聞書』(118511630)p.192~193近世史料館には以下の史料の所蔵がある。「将軍様相国様御成之次第 ...
【戦前の石川の剣道家について】 藤井鶴太郎という剣道家について書かれた資料を探している。昭和12年の明治神宮大会の県大会に出場している。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:33:38)
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『武道範士教士錬士名鑑 昭和12年』(国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1055514/1/1)は事前に確認済み。郷土の剣道関係の資料を調査。『スポーツ石川のあゆみ』(119616744)p.466「戦前、武徳会石川県支部には、石川竜三、下坂禾苗、三田村正之助、藤井鶴太郎が居た」とあり。『北陸の剣豪』(118415518)の「北陸関係明治・大正時代の剣道家」に藤井の名前なし。剣道の歴史に関する資料を調査。『剣道事典』(111570774)p.131~135「大日本武徳会剣道範士授有者」昭和21年10月の項に藤井鶴太郎の名前がある。『剣道百年』(11007726)p.130に紀元二千六百年奉祝天覧武道大会の指定選士の一覧があり、藤井の名前がある。称号は剣道教士、職業身分は「石川県警察部、金沢商業、歩兵第三十五連隊剣道教師」とある。その他の天覧武道大会の ...
蔵書検索システムで「新井雅峰」と検索したが、該当なし。インターネットで検索したところ、安江金箔工芸館に作品が所蔵されているとの情報があったため、同館関連の資料を調査。『金沢市立安江金箔工芸館所蔵品図録』(119609294)p.103~105にかけて作品が掲載されている。P.103には略歴も記載されている。新井雅峰は蒔絵師であると記載されていたため、蒔絵関係の資料を確認したが、以下の資料には記載がなかった。『金沢漆芸 加賀蒔絵』(11929428)『加賀ゆかりの蒔絵展』(109265814)
郷土の俳諧関係の資料を確認。『北陸の俳壇史』(119570091)p.173に、明治末期の旧派宗匠について記されており、その中に「句空庵賢外」という人物がいる。別名が「今村東郊」となっている。以下の資料にも同様の記述あり。『石川県史 現代篇2』(118412740)p.1115~1116『石川県俳壇明治百年誌』(118281577)p.53「今村賢外」で蔵書検索すると、以下の資料が該当する。賢外本人が記したものであるが、賢外自身の経歴に関する記述はない。『雪袋・證專追善集』(119556421)「今村東郊」で蔵書検索すると、以下の資料が該当する。発行年以前の経歴について記されている。『北国人物志』(118402091)上ノ9同資料により加賀藩士であったことが確認されるため、『加越能文庫解説目録 上巻』の「先祖由緒并一類附帳」の一覧を確認すると、「今村東郊」とい ...
【玉川図書館の時計台周りの花壇について】 玉川図書館にある時計台周りの花壇について、金沢南ライオンズクラブにより整備されたというのは本当か。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:33:37)
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『金沢市立図書館六十年誌』(119465659)巻末の年表に、昭和61年4月8日にソーラー時計が金沢南ライオンズクラブより寄贈されたとの記載あり。新聞の記事になっていないかと思い調べたところ、昭和61年4月9日の北國新聞朝刊19面に「太陽電池で動く時計塔が金沢南ライオンズクラブ(石田外志郎会長)から金沢市立図書館に寄贈され、八日、贈呈式が行われた」との記事あり。白黒写真付きだが、写真からは花壇の様子は伺えない。また、『図書館報 かなざわ』の昭和61年9月発行分に、時計塔が金沢南ライオンズクラブより寄贈され、花壇も整備されているとの記載あり。4月から9月の間に花壇の整備がされたのではないかと検討をつけ、また、他の年で7月に花壇の花の植え替えを行っていることがわかったので、昭和61年7月の北國新聞を調べる ...
【金沢市勢振興調査会の構成員について】 (1).昭和5年11月に金沢市勢振興調査会に属し、産業博覧会開催に関する提案をしている東与三郎と加賀谷源吾についてわかる資料はあるか。(2).金沢市勢振興調査会の構成メンバー、職業等について書かれたものはあるか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:33:37)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:33:37)
質問者の事前確認資料は以下の通り。『金沢市史 資料編11 近代1』(119647301)p.533~538『金沢市史 通史編3 近代』(119958310)p.449○(1)について2名については、いずれも石川県立図書館の石川県関係人物文献検索で検索可能。東与三郎については、以下の資料がある。『北陸人物名鑑』(118406107)p.67~68に機業家としての経歴について記されている。同資料は国立国会図書館デジタルコレクションでも閲覧可能。『昭和金沢財界側面史』(11825835)p.95~97に回想が記されている。『郷土工業物語』(11921871)p.110~112にも記述あり。加賀谷源吾については、以下の資料がある。『石川県議会史 第二巻』(119565215)p.1230に経歴がまとめられている。『金沢市主催産業と観光の大博覧会誌』(11903059)巻頭に常議員の顔写真が収録されており、両名の写真もある。東は「金 ...
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