リンク集 RSS/ATOM 記事
ホーム >>
リンク集 >>
RSS/ATOM 記事 (22788)
ここに表示されている RSS/ATOM 記事を RSS と ATOM で配信しています。



ここに表示されている RSS/ATOM 記事を RSS と ATOM で配信しています。



【イベント】日本図書館協会(JLA)「音訳者・音訳ボランティアのための著作権セミナー」(5/18・オンライン)
from カレントアウェアネス・ポータル 新規掲載コンテンツのRSS (2025/3/7 10:28:53)
from カレントアウェアネス・ポータル 新規掲載コンテンツのRSS (2025/3/7 10:28:53)
2025年5月18日、日本図書館協会(JLA)の主催、同障害者サービス委員会関西小委員会の企画・運営により、「音訳者・音訳ボランティアのための著作権セミナー」がオンラインで開催されます。 セミナーでは、公共図書館の長い録音資料製作のノウハウもいかしながら、図書館員・音訳ボランティアに必要な著作権法を具体的に案内するとあります。 参加対象は、視覚障害者等の資料を作成している音訳者、音訳ボランティア、障害者サービスを担当する図書館の職員、その他セミナーの内容に関心のある人です。 定員は200人(要事前申込み)で、参加費は1,000円です。 「音訳者・音訳ボランティアのための著作権セミナー」のご案内(日本図書館協会障害者サービス委員会) https://www.jla.or.jp/portals/0/html/lsh/2025onyaku.html 続きを読む
西区にあった公設市場については、昭和21(1946)年までの記録が確認できましたが、それ以降は、私設市場の記録しか確認できませんでした。西区にあった公設市場と堀江中央市場に関する記述のあった資料を以下にご紹介します。(1) 『大阪堀江今昔 -堀江三十三橋◇橋づくし-』(水知 悠之介/著 燃焼社 2003.1)「堀江三十三橋・橋づくし」のp.65-69「第十一の橋・下繋橋(西横堀川)…公設市場と卸売り市場」の項に関連する記述があります。堀江にあった2つの公設市場の成り立ちの説明の後、p.66に「昭和二十年の大空襲で跡形もなく燃え落ちますが、昭和二十七年、したたかに復活してきたのが(中略)堀江中央市場でした。((前略)平成十四年八月頃から取り壊しが始まり、十一月始めには跡形も無く取り壊されていた)」とあります。(2) 『公設市 ...
お尋ねの件につき、関連記述のある資料を以下にご紹介いたします。(1) 大阪天満宮ホームページ:大阪天満宮社報 (てんまてんじん) https://osakatemmangu.or.jp/magazine (2024.8.28確認)第56号(平成21年7月発行) p.12「老松神社の御修理」の「老松神社の由緒」の項に「平成二年に、氏子地域の西天満から当宮境内に移座した」とあります。また、「今回の御修理」の項に「旧社地である西天満地区の老松町三丁目町会」とあります。大阪天満宮に合祀される前の老松神社の所在について、以下の資料に記載がありました。(2) 国立国会図書館デジタルコレクション『大阪府全志 巻之2』(井上正雄 著 大阪府全志発行所 大正11)(インターネット公開(保護期間満了)) https://dl.ndl.go.jp/pid/965799/1/554 (2024.8.18確認)「第三篇 国郡市町村志 第一章 摂津国 第一 ...
「国威宣揚元寇展」は、昭和13(1938)年5月10日から6月10日に大阪城天守閣で開催された、元寇に関する史料の展示を主とした展覧会です。この展覧会について、関連する資料を以下にご紹介いたします。(1) 国立国会図書館デジタルコレクション『国威宣揚元寇展図録』(大阪市 編 大阪市 昭13)(図書館・個人送信限定)https://dl.ndl.go.jp/pid/1685254 (2024.9.26確認)「国威宣揚元寇展」の図録です。「跋」の項(コマ番号198)に、開催の意図等の記載があります。(2) 国立国会図書館デジタルコレクション『蒙古襲来研究史論(中世史選書 1)』(川添 昭二著 雄山閣出版 1977.2)(図書館・個人送信限定) https://dl.ndl.go.jp/pid/12269555/1/109 (2024.9.26確認)「各論 第四章 昭和戦前期における蒙古襲来研究 六 新史料の発見・紹介・研究と『蒙古襲来絵詞』研究 (二)影印本 ...
国立国会図書館(NDL)、YouTubeで公開中の遠隔研修教材「レファレンス協同データベースの利活用」を更新
from カレントアウェアネス・ポータル 新規掲載コンテンツのRSS (2025/3/7 10:19:19)
from カレントアウェアネス・ポータル 新規掲載コンテンツのRSS (2025/3/7 10:19:19)
2025年3月5日、国立国会図書館(NDL)は、YouTubeで公開中の遠隔研修教材「レファレンス協同データベースの利活用」を更新しました。 2024年2月にリニューアルしたレファレンス協同データベースの概要や、事業に参加する利点、システムの操作方法等について解説し、その利活用方法を紹介しています。 新着情報(NDL) https://www.ndl.go.jp/jp/news/index.html ※2025年3月5日付けで、「遠隔研修教材「レファレンス協同データベースの利活用」を更新しました」とあります。 レファレンス協同データベースの利活用(NDL) https://www.ndl.go.jp/jp/library/training/remote/crd.html 続きを読む
花電車が確かに三宝から浪速区までを走っていたことを明示する資料は見つかりませんでしたが、三宝駅付近で撮影された花電車の写真が掲載された資料(1)は見つかりました。また、花電車ではありませんが、当時の路線として、路面電車が浪速区芦原橋と三宝車庫前をむすぶ経路を走っていたことが資料(2)によりわかりました。(1) 『なにわの市電(トンボブックス)』(小林 庄三/著 トンボ出版 2013.2)「大阪市電アラカルト」のp.78-85に「2.戦後の花(装飾)電車」の項があり、昭和20年代から30年代の花電車の写真が掲載されています。そのうち、p.82上段に「大阪祭花電車. 堺市三宝付近にて. 昭.34.10.5」と題した写真が掲載されています。(2) 『大阪市交通局百年史 本編』(大阪市交通局/編集 大阪市交通局 2005.4)「第2章 路面電車 第1節 路面電車事業 ...
以下の資料に、自転車の防犯カバーの作り方が掲載されていました。(1) 『なーにができるかな? 「もったいない」からうまれたアイデア作品』(小峯もとこ/著 けやき出版 2006.12)p.2に「自転車カゴのひったくり予防カバー」、p.3に「自転車カゴのひったくり予防カバーとハンドルカバー」が紹介されています。防犯カバーではありませんが、「防犯対策にもなります」と紹介されている資料(2)と、類似のグッズの作り方について紹介されている資料(3)を以下にご紹介します。(2) 『主婦のミシン : 人気No.1手芸ブロガー“主婦のミシン"さん直伝「簡単!100均リメイク小物」&「便利なアイディアグッズ」』( 種市 加津子/著、河出書房新社, 2011.12)「自転車のうしろかご保温保冷カバー」についてp.9に作品紹介がされており、「買物中の防犯対 ...
江戸時代、港区では新田開発が盛んに行われていました。中でも市岡新田は規模が大きく、砂質壌土で瓜類の栽培に適しており、市岡新田で作られた西瓜は「新田西瓜」とも呼ばれ、名産として有名でした。(資料(1)(2)の記述より)市岡西瓜の特長や歴史、産地などついて書かれた資料を以下のとおり紹介します。(1) 大阪市港区:みなと物語 https://www.city.osaka.lg.jp/minato/page/0000160768.html (2024.9.2確認)「平成19年度」の項に掲載のPDFファイル「平成19年6月号:港区の名産は「市岡すいか」だった(pdf, 169.95KB)」に市岡西瓜について、簡潔にまとめられています。(2) 『港区誌 』 (大阪市港区役所/編集 大阪市港区創設三十周年記念事業委員会 1956)「第二篇 各説 第五章 農漁業と商業 一 農業」のp.174に「新田西瓜」の項があり、「往時は全くの農村とし ...
その昔、柴島一帯では、淀川の水を利用して木綿を洗い、それを干して乾燥させ、陽に当てることで白くするという晒業が営まれていました。『摂津名所図会大成』という書物には、淀川の堤防上に白く敷きつめられた木綿が、まるで雪が積もったようで、たいへん美しかったと記されています。この晒業は、淀川の改築工事や柴島浄水場の建設などの影響により、衰えてしまいました。(資料(1)の記述より)「柴島晒」について記述のあった資料を以下のとおり、ご紹介いたします。(1) 大阪市東淀川区:区の紹介:まちづくり:地域のまちづくりコーナー: 「東淀川魅力発見プロジェクト」を紹介します。https://www.city.osaka.lg.jp/higashiyodogawa/page/0000558279.html (2024.11.6確認)「まちあるき「柴島エリア」」に掲載のPDFファイル「ルートマップ(柴 ...
「鶴の茶屋跡碑」は大阪市北区茶屋町にある石碑です。この付近は明治中期、大阪市民の行楽の地で、「鶴の茶屋」「萩の茶屋」「車の茶屋」という茶屋が並び賑わっていました。「茶屋町」という地名の由来にもなっています。以下の資料に「鶴の(乃)茶屋」「鶴の(乃)茶屋跡」「鶴の(乃)茶屋跡碑」についての記述が見つかりました。(1) 国立国会図書館デジタルコレクション『北区誌』 (大阪市北区 1955) (国立国会図書館/図書館・個人送信限定) https://dl.ndl.go.jp/pid/3008994/1/93 (2024.11.13確認)「第四章 明治時代の発展 四 市域の拡張と明治後期 明治三十年の市域拡張」のp.127(コマ番号93)に「鶴の茶屋」の項があり、「明治初年までいまの梅田東方面は春は菜種花匂う野ッ原で、都心部の人たちが花を賞で月を楽しむ憩いの場として、鶴の茶屋や ...
execution time : 0.248 sec