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関連する記述のある資料を、それぞれの項目ごとに以下にご紹介します。■有名行事(1) 『大阪歳時記』(長谷川 幸延 読売新聞社 1971)目次に1月~12月ごとの行事の記載があり、それぞれのページで行事の内容が紹介されています。(2) 『大阪春秋 -大阪の歴史と文化と産業と- 第22号 特集;おおさかの年中行事』(大阪春秋社 1979) p.15-108「特集・大阪の年中行事」に、大阪の年中行事に関する記事が掲載されています。特集内のp.16-20に「大阪年中行事一覧」があり、年始から年末までの行事が順に記載されています。また、p.93-108に「大阪年中行事小事典(小谷方明)」という記事があります。(3) 『大阪年中行事資料 1〜2』(出口 神暁/編 和泉文化研究会 1981) 江戸時代の大阪の地誌『難波丸網目』や同じく江戸時代の大阪の案内記『難波鑑』等の史 ...
「釜ヶ崎」の名称の由来や範囲等について、以下の資料に関連する記述が見つかりました。(1) 国立国会図書館デジタルコレクション『大阪府全志 巻之2』 (井上正雄 著 大阪府全志発行所 大正11) (インターネット公開) https://dl.ndl.go.jp/pid/965799/1/350 (2024.3.1確認)「第三篇 国郡市町村志 第一章 摂津国 第一節 大阪市南区 今宮連合」p.645(コマ番号350)に、「本地は大阪市の南区に入りて今宮と称せしが、同[明治]三十三年四月一日従来の名称を廃し、更に地区を按排して新町名を設定せり。(中略)字水渡・同水渡り・同水渡釜ヶ崎・同釜ヶ崎の反別二町八反一畝八歩を区域として水崎町」とあります。(2) 『大阪の歴史と風土(毎日放送文化双書 1)』 (宮本 又次/著 毎日放送 1973)「地誌 第一章 大阪市内 新世界・釜ヶ崎・阿倍野(川端直正)」 ...
関連する記述のある資料を以下にご紹介します。(1) 『角川日本地名大辞典 27 大阪府』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1983.10)p.751「たみののしま 田蓑の島 」の項に、「難波八十島の1つであるが、その位置については、摂津国田裳浦とするものや、天王寺の西側、大阪市北区堂島1~3丁目あるいは福島区鷺洲1~6丁目とするものなど諸説があり、詳らかではない。」「堂島川に架かる田蓑橋は、この田蓑島の地名に由来するものと思われる。」とあります。(2) 『日本歴史地名大系 28-[1] 大阪府の地名 1』(平凡社 2001.7)p.359-361「難波」の項のp.361上段後半部分に、田蓑島について「所在地については現西淀川区佃一丁目の田蓑神社付近という説と近世の浦江村(現大淀区)付近とする説などがあるが、いずれも確定的ではない。」 ...
「こじょろう稲荷」は「小女郎稲荷」と表記されます。以下の資料に、関連する記述が見つかりました。(1) 国立国会図書館デジタルコレクション『大阪府全志 巻之3』 井上正雄 著 大阪府全志発行所 大正11 (インターネット公開) https://dl.ndl.go.jp/pid/965800/1/186 (2024.3.25確認) 「第三篇 国郡市町村志 第一章 摂津国 第二節 東成郡 第二十項 鯰江町 大字今福 皇大神社」p.317(コマ番号186)に「稲荷神社はもと大和川堤の字狐山にありて、俗に小女郎稲荷と呼び、大和郡山の源九郎稲荷・和泉の葛葉稲荷と共に称せられて、其の名声に聞こえれば、一時賽者群集して、地獄橋即ち今の今福警察文暑の前なる極楽橋(墓地の通路に富み故に此の名あり)の附近は、茶店軒を連ねしという。」とあります。(2) 国立国会図書館デジタルコレクション『大阪府神社 ...
『摂津名所図会』巻之四下の挿画《高津宮の下 黒焼屋の店》の左(高津宮)側に掲げられた看板に、「柳乃登り虫 有り」と書かれているが、この「柳乃登り虫」とはどのような虫で、その黒焼きにどんな効能があるのか書いた書籍等が知りたい。(大阪市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/7 11:09:51)
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「柳乃登り虫」について、以下の資料に記載がありました。(1) 『大江戸虫図鑑』(西田 知己/著 東京堂出版 2023.5)「第3章 虫の東西 3 虫の黒焼きってどんな薬?」の項のp.98-99に『摂津名所図会』に描かれた高津の黒焼き屋について記載があります。看板の「柳の登り虫」について、「「柳の登り虫」とあるのは、ボクトウガ(木蠹蛾)の幼虫のヤナギ虫のこと。」とあり、効能について「子どもの疳の虫などに使っていました。」とあります。(2) 国書データベース(国文学研究資料館):『蟲豸圖譜』4巻https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100369718/66 (2023.10.30確認)資料(1)で紹介されている図譜です。66コマに、和名「ヤナギノムシ」の絵と簡単な説明があります。回答プロセス:1.「大阪市立図書館デジタルアーカイブ」にて、『摂津名所図会 ...
1939年、奥野椰子夫作詞、服部良一作曲の「夜のプラットホーム」が発売禁止になった後、服部良一が歌詞を英語に替え、洋盤と偽って発売したというのは本当か。(大阪市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/7 11:08:30)
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以下の資料に関連する記述がありました。(1) 『ぼくの音楽人生 -エピソードでつづる和製ジャズ・ソング史-』 (服部 良一/著 日本文芸社 1993.3)p.179-192「東宝系映画音楽」の章に「夜のプラットホーム」の発売禁止処分について記述があり、p.182に「この曲には、もう一つ話がある。惜しい曲なので、こちらも一案を浮かべ、コロムビアの洋楽部で英語のタイトルと歌詞をつけて洋盤で売り出したのである。日米開戦前だったので英語はまだ許されており、これはそのまま店頭に出て、かなりのヒットを記録した。(中略)『アィル・ビー・ウエイテング』(待ちわびて)の曲名で、歌は洋楽部に籍を置く日独混血児のファクトマンという声楽を勉強していた青年が、ビック・マックスウェルの芸名で吹き込んだのである。(中略)作曲者はR・ハッター ...
関連する記載のあった資料をご紹介します。(1) 『週刊JR全駅・全車両基地 No.02 大阪駅・神戸駅・鶴橋駅ほか/吹田総合車両所京都支所ほか(週刊朝日百科) 』 (朝日新聞出版 2012.8) p.10「1874-2012 大阪駅クロニクル」年表の「1934(昭和9)」の欄に、駅周辺の高架線化について記載があります。p.27-28「大阪環状線全駅DATA」の項に、大阪駅以外の各駅の情報が記載されています。開業日の記載や高架化された駅は何年に高架化されたかの記載があります。(2) 『ぐるっとまわって50年:大阪環状線開業50周年記念企画展:オレンジの歴史がなにわを駆けめぐる』(交通科学博物館, 2011.3)大阪環状線の路線が環状になる経緯等が記載されています。p.4-5「大阪環状線計画始動」の項に、区間毎の高架工事について概略が記載されています。p.8-11「大阪環状 ...
下記の資料に掲載がありました。「国立歴史民俗博物館研究報告 第102集 〈慰霊と墓〉」 ・・・住所 黒原一丁目五番 足立森林公園 1942年3月25日建 陸軍墓地の移転先か 祭祀 2000年現在慰霊団体は遺族会、慰霊祭は5月7日に、管理は北九州市 (637p)「北九州の戦争遺跡」…北九州市立南小倉小学校敷地内には、第二次世界大戦が終わるまで、千堂陸軍墓地が存在、明治時代から第二次世界大戦の間に戦死した陸軍兵士の墓石が無数にあった。旧小倉市には千堂墓地と高坊墓地の二つの陸軍墓地があった。千堂墓地には同規格の墓石が整然と並んでいたが高坊墓地には墓石がなかったということだ。(58p、忠霊塔写真あり)「北九州の戦争遺跡 改訂版」・・1942(昭和17)年、黒原の公園内に忠霊塔が建設さ ...
1939年12月に発売された笠置シヅ子のレコード「ラッパと娘」(作詞作曲 服部良一)で演奏しているトランペット奏者の名前を知りたい。(大阪市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/7 11:05:45)
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資料(1)(2)にトランペット奏者の斉藤広義氏との記述が見つかりました。ただし、どちらも、レコードの発売年を昭和14(1939)年ではなく、昭和15(1940)年としています。(1) 『評伝服部良一 -日本ジャズ&ポップス史-』 (菊池 清麿/著 彩流社 2013.9)「Ⅲ ブルースからブギへ 3 スウィングジャズ時代の到来」のp.142-144「4 スウィングジャズの充実」の項、p.144に「昭和一四年七月一三日から三一日まで、帝劇で松竹楽劇団の『グリーン・シャドウ』(八景)が上演された。(中略)このステージで笠置シヅ子が《ラッパと娘》(服部良一・作詞/服部良一・作曲)を斉藤広義のトランペットと掛け合いで歌った。(中略)笠置はこの公演中にコロムビアの専属となり、入社第一回作品として、この《ラッパと娘》を吹き込んだ(昭和一四年七月二七日、翌年一月新譜で ...
ごて地蔵とは、曽根崎警察署の西側にあり、もとは梅田墓地にあった地蔵のひとつです。ごて地蔵の名称について記述のある資料を以下にご紹介します。(1) 当館書誌ID 『大阪史蹟辞典』 三善 貞司/編 清文堂 1986.7p.195「ごて地蔵」の項目に、「正しくは梅田地蔵というのだが、あまり位置を変えると災いが起きるといわれ、ごて地蔵と呼ばれている」とあります。(2) 当館書誌ID 『大阪伝承地誌集成』 三善 貞司/編著 清文堂出版 2008.5「大阪市北区」のp.19-20「ごて地蔵」の項目のうち、p.19に「改築・開発で地蔵はあちこちに移る。ところが移すたびに怪我人や病人、あるいは事故が起こるので、いつの間にかごて地蔵(ごねること)と呼ばれて嫌われ」とあります。(3) 国立国会図書館デジタルコレクション『東京大学宗教学年報= Annual review of relig ...
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