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「加賀屋新田会所跡」は、現在は「加賀谷緑地」としても知られる、住之江区南加賀屋にある史跡です。江戸中期の宝暦4(1754)年に、加賀屋の新田開発を行った両替商の加賀屋甚兵衛が新田支配所および居宅として建築しました。広さ4,950平方メートルに及ぶ邸内には、小堀遠州流の築山林泉式庭園や、鳳嗚亭といった数寄屋風の建物が現存しています。平成13(2001)年に大阪市有形文化財・建造物・史跡に指定されています。(資料(1)及び資料(13)等の記述より)以下の資料に加賀屋新田会所跡についての記述が見つかりました。(1) 『住之江区史』 (大阪都市協会編集 住之江区制十周年記念事業実行委員会 1985)「第二章 住之江区十年の歩み 三節 文化 二 社寺・史跡」のp.144に「加賀屋新田会所跡(愉園)」の項があり、「南加賀屋四丁目の武田 ...
8月20日は交通信号の日で、昭和6年8月20日に、東京都の銀座や京橋交差点などに、日本で初めて3色の国産の自動信号機が設置されたからだと聞いた。大阪で初めて信号機が設置されたのはいつか。(大阪市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/7 10:14:12)
from レファレンス協同データベース (2025/3/7 10:14:12)
大阪府警本部のホームページ(資料(1))よると、昭和4年11月堺筋日本橋に設置されたあんどん型の交通整理指示機からの記述となっていますが、いつのどの信号を最初とするかは、諸説あるようです。以下、関連資料についてご紹介します。■大正期から昭和初期にかけての、大阪の信号機設置について記載があった資料について(1) 大阪府警本部:交通管制の移り変わり https://www.police.pref.osaka.lg.jp/kotsu/kisei/3/5646.html (2024.8.8確認)「昭和4年11月 堺筋日本橋にあんどん型の「進め」、「止まれ」の文字が入った交通整理指示機を設置」、「昭和6年5月 府下初の自動式交通整理器を本町2丁目の交差点(現在は本町1丁目交差点)に設置」とあります。以下(2)(3)は交通信号機の歴史について、詳細な記述がある資料です。(2)国立国会図書館デジタルコレ ...
「聖天山古墳」は、聖天山公園内(大阪市阿倍野区松虫通三丁目2)にある古墳です。昭和26(1951)年に石室が見つかり、埴輪や土器・直刀・馬具などの副葬品が出土しました。直径十数メートル、高さ約3メートルの規模であったと推測され、古墳時代後期の造営とされています。(資料(1)(7)の記述より)以下の資料に「聖天山古墳」について記述が見つかりました。(1) 『新修大阪市史 第1巻』 (新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市 1988)「第三章 古墳時代の大阪 第二節 大阪市域の古墳 1 古墳の立地と分布」のp.354-356「台地の古墳群」の項に、p.354「その南方の阿倍野一帯には、古墳群の存在を思わせる塚原などの小字名が多数残っている。また聖天山古墳・丸山古墳跡など、遺物が出土した古墳や古墳跡も現存する。」とあります。「同章 同 ...
「初辰まいり」とは、毎月初めの辰の日に、住吉大社の四つの末社を巡拝し、商売の発達(初辰)を祈願することです。以下の資料に「初辰まいり」についての記述が見つかりました。(1) 『住吉区史』 (大阪都市協会/編集 住吉区制七十周年記念事業実行委員会 1996) 「第十章 教育と史跡 三 史跡 住吉大社 ○境内末社」のp.503-504「楠珺社」の項に、「商売繁盛の神として、また「初辰さん」と親しまれ毎月初辰の日には大いににぎわう。(中略)四十八回の月参りと「初辰」を、「始終発達」とかけて参詣する人並みが絶えない。社頭で「招福猫」(まねき猫)を受けて帰る習わしがある。この猫は片手で人を招く形で上げており、月によって左右交代し裃・羽織も着ている。明治三十年ころ、新町本荘席の主人は住吉を崇敬し参詣を重ねていたが、 ...
「千人塚」は、城北公園を望む一角、大阪市旭区生江の淀川堤防上にある戦争慰霊碑です。以下の資料に、「千人塚」についての記述が見つかりました。(1) 『旭区史』(大阪都市協会/編集 旭区創設五十周年記念事業実施委員会 1983)「第二章 各説 四節 教育・文化 四 史跡・神社・寺院」のp.226-227に「千人塚」の項目があり、「昭和二十年六月七日の大空襲で、大阪市は大きな被害を受けた。焼失倒壊戸数五万五千九百六十二戸、罹災者十九万六千六百十八人に上り、死者も数万人を数えた。市内のいたるところに、遺体が散乱し、まさに地獄絵さながらの状態で、被災後も身元不明の遺体が多数そのまま放置されていた。その遺体は市民奉仕で城北公園裏の淀川堤に集められ、約千数百遺体がだびに付された。「鬼哭啾々たる黒煙天に柱し、 ...
以下の資料に「花ずきんちゃん」について記述が見つかりました。(1) 『広報つるみ』 2020年9月号 ([大阪市]鶴見区役所総務課(政策推進)/編集 2020.09)7-10面に「国際花と緑の博覧会開催30周年」の特集記事があり、7面の「マスコットキャラクター「花ずきんちゃん」」に、「全国から9,603点の応募作品が集まり、(中略)漫画家の手塚治虫氏が委員長を務めるマスコット・デザイン審査会において、福岡市在住のイラストレーターの作品が選定。森の中を飛ぶ花の妖精をイメージして描かれたもので、手塚委員長が補作し、花の万博のマスコットになりました。デザイン決定後、愛称も一般公募を行い海外からの応募を含む29,267通の応募があり、マスコット・ネーミング審査会において「花ずきんちゃん」に決定しました。」とあります。(2) 『毎 ...
明治の「北の大火」は、ある工場の塀で鎮火されたと聞いたことがある。これについて書かれた資料はあるか。(大阪市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/7 10:07:06)
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明治42年7月31日から翌日にかけて、「北の大火」と呼ばれる火事がありました。現在の大阪市北区から出火して西へ燃え広がり、福島区にかけての広範囲を焼き尽くしました。工場の壁に行き当たって鎮火したとされていますが、そのことが書かれた資料は、以下のようなものが見つかりました。(1) 『新修大阪市史 第6巻 近代 2』 (新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市 1994.12)「第四章 社会生活と文化の諸相 第三節 市民生活の諸相 2 大災害の発生」のp.810-813「北の大火」の項に詳細な記述があり、p.811に「鎮火できた西端は福島紡績会社の外柵であった(『グラヒック 大阪大火画報』)」とあります。(2) 『福島区史』 (大阪都市協会/編集 福島区制施行五十周年記念事業実行委員会 1993)「第一章 通史 第二節 明治時代から区制発足までの歩み ...
【今月発売の電子書籍】「歴史文化ライブラリー」「人物叢書」新刊2点について
以下の資料を紹介した。『家族法実務講義』(梶村太市[ほか]著 有斐閣 2013) p48-330「第Ⅱ部 親族法」 p49-51「第1節 親族の範囲」 「次の場合、XとYの間に親族関係があるか」のように、例を挙げて親族関係についての解説あり。p50に6親等までの親族図あり。 p49「親族関係の距離を親等で表す。1世代で1親等であり、父母や子は1親等、祖父母は2親等である。」とあり。『民法 4 親族・相続 補訂版』(内田貴著 東京大学出版会 2004) p279-282「第7章 親族関係」 p280-282「2 親族の範囲」 p282「親等は親族間の世数を数えて定めるが」とあり、p281に直系は4親等、傍系は6親等までの親族図あり。『民法 3 親族法・相続法』(我妻榮[ほか]著 勁草書房 2003) p31-49「第二章 親族」 p33「(2)親族の範囲(b)親等の意義 親族関係の濃淡をはかる尺度で ...
復興の灯火(ともしび)プロジェクトは3月11日(火)17時30分から20時まで郡山市の郡山駅西口駅前広場で開かれます。 本学短期大学部の主催、福島県と郡山市の共催で、東日本大震災の記憶と地域文化の継承を目的にしています。 郡山市中田町の海老根伝統手漉和紙で作った灯ろうに、市内の小・中・高校生や大学生、浜通りから避難した方々らが慰霊と復興の思いを描いた約400基を並べて点灯します。 短大地域創成学科の学生と教員を中心に運営し、幼児教育学科の学生による音楽演奏(17時30分と18時30分の2回)も披露。健康栄養学科は県中地方振興局が同時開催するキャンドルナイトで災害に備えた備蓄食品を紹介します。
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