リンク集 RSS/ATOM 記事
ホーム >>
リンク集 >>
RSS/ATOM 記事 (26397)
ここに表示されている RSS/ATOM 記事を RSS と ATOM で配信しています。



ここに表示されている RSS/ATOM 記事を RSS と ATOM で配信しています。



『緒方洪庵伝』 第2版(緒方 富雄/著 岩波書店,1963)には、洪庵の子孫である筆者が年次を追って蘭(らん)学者、医学者、教育者としての洪庵の生涯について詳しく述べている。 洪庵と適塾については、『東区史 2』( 大阪市東区法円坂町外百五 十七箇町区会/編 大阪市東区役所,1940)p.375-392、『東区史 5 』 (大阪市東区法円坂町外百五十七箇町区会/編 大阪市東区役所,1939.12)p.410-418、『いまに生きるなにわの人びと』( 朝日新聞社,1963)p.153-156がある。 当館所蔵の洪庵の著書(和書)としては、次のものがある。『病学通論 1巻』 (緒方 洪菴/訳述 秋田屋太右衛門,安政4.7(1857))『病学通論 2巻』 (緒方 洪菴/訳述 秋田屋太右衛門,安政4.7(1857))『病学通論 3巻』(緒方 洪菴/訳述 秋田屋太右衛門,安政4.7(1857))『扶氏経験遺訓』 (秋田屋太右エ門大阪秋田屋太右ヱ ...
七社宣言とは、昭和35年6月17日朝刊紙上で、朝日・日経・産経・毎日・東京・読売・東京タイムズの七社が共同で行ったもので、一女子学生の殺害を含む流血事件を生ぜしめた安保闘争、国会内外の混乱に対して、議会主義を守るということでなされた。宣言の内容は『日本新聞年鑑 1961年版』( 日本新聞協会/編 電通,[1961])P.341に全文収録されている。またこれに対する批判も多くされておりそれらの資料として次のものが参考になる。『安保闘争史 : 三五日間政局史論 』( 信夫 清三郎/著 世界書院,1969.1)P.420-423 荒瀬豊「果たして言論は自由であるか」『世界 173~176号』 1960年8月号 「座談会・新聞報道の30日 」『図書新聞 昭和35年1月~12月号(No.533~584)』 1960年6月25日号 「言論・報道の自由の惨状」『日本読書新聞縮刷版 昭和35年 』 1960年6月27 ...
高麗橋は『浪速叢書 第7』 (船越 政一郎/編纂校訂 浪速叢書刊行会,1927) P.55の暁鏡成「摂津名所図絵大成」、『東区史 3』(大阪市東区法円坂町外百五十七箇 町区会/編 大阪市東区役所,1941) P.982-986によれば、橋の東に難波高麗館があったからとも、また秀吉が東横堀川を開さくし、橋をかけ、ここを中心に高麗との貿易をさかんにしたため名づけられたともいう。『船場』( 宮本 又次/著 ミネルヴァ書房,1960)P.119-126にも、高麗橋の由来、変遷について述べられている。参考資料:当館書誌ID 船場(風土記大阪 第1集) 宮本 又次/著 ミネルヴァ書房 1960, 参考資料:『浪速叢書 第7』 船越 政一郎/編纂校訂 浪速叢書刊行会,1927 , 参考資料:『東区史 3』 大阪市東区法円坂町外百五十七箇 町区会/編 大阪市東区役所,1941 , 備考:『昭和39年 大阪市立中央図書 ...
『工業地帯計画』 (小川 元/著 国民科学社,1964.3)P.12-15には、阪神工業地帯の特徴について説明しており、この地帯の代表的都市として大阪、神戸、堺など10都市があげられている。これら各都市の工場数と従業者数については 『近畿都市統計要覧 昭和37年度』(近畿都市統計協議会/編 近畿市長会,1963)P.14-16、 『市民生活からみた阪神都市圏 : 大阪、神戸を中心として』( 阪神都市協議会事務局/編集 阪神都市協議会事務局,1960) P.4-5 が参考になる。参考資料:当館書誌ID 近畿都市統計要覧 昭和37年度 近畿都市統計協議会/編 近畿市長会 1963, 参考資料:当館書誌ID 市民生活からみた阪神都市圏 -大阪、神戸を中心として- 阪神都市協議会事務局/編集 阪神都市協議会事務局 1960, 参考資料:『工業地帯計画』 小川 元/著 国民科学社,1964.3 , 備考:『 ...
現在(昭和39年)の大阪市庁舎の (1)起工年月日 (2)完工年月日 (3)設計者 (4)施工者 (5)工費 について(大阪市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/4/1 16:06:07)
from レファレンス協同データベース (2025/4/1 16:06:07)
(1)大正7年6月(2)大正10年5月(3)大阪市庁舎臨時建築部(4)銭高組、鴻池組(5)3,842,600円資料として 『大阪の建築ガイドブック』(大阪府建築士会創立10年記念出版委員会/編 大阪府建築士会,1962.11) 『大阪ガイド』 (牧村 史陽/著 東京法令出版,1961.9)P.35 『大阪市概観』 ([大阪市役所/編] 大阪市役所,1932.11)P.19-21 『大阪市政70年の歩み』(大阪市行政局/編 大阪市役所,1959.4)P.50-52 等が参考になる。参考資料:当館書誌ID 大阪の建築ガイドブック 大阪府建築士会創立10年記念出版委員会/編 大阪府建築士会 1962.11, 参考資料:当館書誌ID 大阪ガイド 牧村 史陽/著 東京法令出版 1961.9, 参考資料:当館書誌ID 大阪市政70年の歩み 大阪市行政局/編 大阪市役所 1959.4, 参考資料:『大阪市概観』 [大阪市役所/編] 大阪市役所,1932.11 , 備考:『昭和39年 大阪市立中央図書館 調査相談 ...
昭和39年頃の大阪における食料品、繊維、化学、金属、機械などの産業別による事業所数と生産高を知りたい。(大阪市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/4/1 16:05:45)
from レファレンス協同データベース (2025/4/1 16:05:45)
大阪府を単位とした資料としては、 『大阪経済年鑑 昭和39年版』 (大阪商工会議所/共編 大阪経済調査会/共編 大阪商工会議所,1963)P.318 産業別事業所数、従業者数、製造品出荷額など、付加価値額の構成比と前年対比の項があり、食料品をはじめとする20種目にわたる業種について事業所数、製造品出荷額および従業者数などについて実数があり、なお、それぞれについて構成比も出ている。 また大阪市を単位とした資料では, 『大阪市統計書 第50回 昭和37年度』(大阪市行政局統計課/編 大阪市行政局,1963.3)P.76~77 製造工業の推移の項があり、昭和32年~36年にわたって食料品をはじめとする各業種につき事業所数、従業者数および製造品出荷額が出ている。参考資料:当館書誌ID 大阪経済年鑑 昭和39年版 大阪商工会議所/共編 大阪商工会議 ...
参考資料として下記があげられる。『大阪市学事統計 大正7-8年』 (大阪市役所学務課/編 大阪市役所学務課,1919.10)P.164 『大阪市学事統計 大正8-9年』(大阪市役所教育部/編 大阪市役所教育部,1919.3)P.202 市内及接続村町官 公立学校及図書館の項『大阪府学事職員録 昭和10年5月現在』 P.655 『大阪府産業教育七十周年記念誌』 (大阪府産業教育七十周年記念会実行委員会/編 大阪府産業教育七十周年記念会実行委員会,1956.6)P.9の「第3項 廃校となった産業諸学校 」上記より、「大阪市立実業高校」のことと思われる。同校は、大正8年1月21日創立、昭和15年に廃校となった。所在地は、大阪市北区玉江町2丁目(3丁目と書いた資料もある,昭和53年に中之島5丁目となった)で、創立当時の校長は、岡篤郎となっている。参考資料:当館書誌ID 大阪市学事統計 大 ...
『明治大正大阪市史 第1巻 概説篇 』(大阪市役所/編纂 日本評論社,1934)P.745-746の中座の項に「明治9年2月20日の火災に角座と共に類焼」とあり、浪速座のところには、「明治9年2月20日隣家から出火し類焼」となっている。 また、『大阪市史年表 : 自明治元年(1868)至昭和20年(1945)』(大阪市行政局,1961)P.11の明治9年2月には「道頓堀戎座 より出火(20日)」とある。 『新聞集成明治編年史 第2巻 民論勃興期 』(中山 泰昌/編著 財政経済学会,1975)P.488 明治9年2月の項には、2月22日浪花新聞所載の記事として、「大阪芝居街の大火」の見出しで、20日午後11時30分頃、道頓堀大西芝居場の辺より出火し、大西、中、角三座をはじめ、戸数400軒以上類焼したとその模様がしるされている。参考資料:当館書誌ID 明治大正大阪市史 第1巻 概説篇 大阪市役所/ ...
西区の歴史を詳細に述べているものに, 『西区史 第1巻』(大阪市西区役所/編 大阪市西区役所,1943)がある。『上方 : 郷土研究 第49~54号 』(上方郷土研究会/編 創元社,1935.1-6)に収録されている、『上方 第50号』(上方郷土研究会 昭和10年2月号)P.87-115 には、「大阪今昔図絵」として、土佐堀、江戸堀、立売堀、新町、堀江などについて述べている。『明治大正大阪市史』全8巻(日本評論社 1933-1935)と『昭和大阪市史』全8巻(大阪市役所 1951-1954) には、時代別に行政の面より説明している。また、西区の事情については『大阪現勢 昭和37年版』 (大阪新夕刊新聞社企画室/編集 大阪新夕刊新聞社,1961)P315-318や『大阪府年鑑 昭和39年版』 (新大阪新聞社/編: 新大阪新聞社),1964.6 などが参考になる。参考資料:『西区史 ...
・『大阪府全志 巻之2』(井上 正雄/著 大阪府全志発行所,1922)p577に記述あり。・『大阪府神社史資料』(大阪府/編 大阪府,1933.3)P290に大江神社の項に、羽呉(はご)神社の以下の簡単 な説明がある。「この神社は、大江神社の境外末社で、稲荷大神を祭り、浪速区日本橋東3丁目(御蔵跡町)にあったが、戦時中に消失した。」追加情報:大阪OSAKAあそ歩ASOBO「当コースのまち歩きマップ」呉の国から来た織女たち~住吉街道の宿場町・長町(日本橋)を行く~ http://www.osaka-asobo.jp/course58.html (2011.9.14確認)に、「戦災にあった大江神社が、社殿復興の資金調達のために、羽呉神社再建を条件にこの土地を売却。履物協同組合がその地に大阪履物会館を建設、南隣に羽呉神社を再建しました。」と記述あり。参考資料:・『大阪府全志 巻之2』 ...
execution time : 0.271 sec