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紀伊粉河の人で桃谷華洲(1782年没)について、亡くなった月日・場所、簡単な経歴がわかる文献はないか。(和歌山県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/2/1 14:34:41)
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『医聖華岡青洲』(森 慶三/共編,市原 硬/共編,竹林 弘/共編 医聖華岡青洲先生顕彰会 1964)p10-11に記載されている以上に詳しい経歴等の資料は見つからなかったが、『遺徳顕彰録 第3輯 昭和17年』(大日本頌徳会 編 大日本頌徳会 昭和17)p518-525「桃谷順天館を大成 薬学博士 桃谷幹次郎氏」の中に「古来の名家であり、連綿薬種業に従事し来った家柄であることを知るのである。尚ほ代々知名の士を出し、桃谷華洲、大納言学天大僧正、春田厚等は世に著聞した。」との記載がある。『遺徳顕彰録 第3輯 昭和17年』(大日本頌徳会 編 大日本頌徳会 昭和17) 《国立国会図書館デジタルコレクション》(info:ndljp/pid/1069787 国立国会図書館 2024.2.29最終確認)で閲覧可 コマ番号294)『粉河町史 第4巻』(粉河町史編さん委員会 編 粉河町 1990) ...
熊野水軍が屋島の戦いに出陣した時に、沼島を経て、沼島水軍とともに屋島に航行したということを裏付ける資料はないか。なければ、熊野水軍が屋島に出陣した様子がわかる資料はないか。(和歌山県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/2/1 14:34:08)
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熊野水軍が屋島の戦いに出陣した時に、沼島を経て、沼島水軍とともに屋島に航行したということを裏付ける資料は見つからなかった。以下は熊野水軍が源平合戦において出陣した様子がわかる資料。 『田辺市史 第1巻 通史編Ⅰ』(田辺市史編さん委員会/編集 田辺市 2003) p432-437「行命と湛増」、「熊野水軍の瀬戸内海進出」に以下の記述がある。 「結局、屋島の合戦には間に合わなかったものの、湛増に率いられた熊野水軍は、義経の「引汲」 により、この元暦二年(一一八五)二月下旬には、平氏方の阿波水軍の一部(大将田口成良)や鎮西 水軍(大将山鹿秀遠)・松浦水軍などに対抗する源氏方の水軍の主力として、梶原景時が統率する一 四〇艘もの船団や、河野通信に率いられた伊予水軍よりもやや遅延して、源氏に参加した ...
以下の資料に榊原青洲について記載がある。 『和歌山史要 増補5版』(〔和歌山市役所〕/〔編〕和歌山市役所 1965)人物誌p14 『和歌山県誌 第3巻』(和歌山県/編 名著出版 1970)榊原篁洲(p664-666)の記述の中に記載がある。 『南紀先賢列傳 第1編』(和歌山県教育会/編 和歌山県教育会 1937)榊原篁洲(p58-62)の記述の中に記載がある。 『南紀徳川史 第6冊』(堀内 信/編 清文堂出版 1990)榊原篁洲(p443-446)の記述の中に記載がある。 『紀州家中系譜並に親類書書上げ 上』(和歌山県立文書館/編 和歌山県 2011)p257に以下の掲載がある。 「榊原権之助/奥儒者」の親類書(資料番号6112) 「榊原雄之介/御書院番格奥儒者」の系譜(資料番号6104) 「榊原雄之介/御書院番格奥儒者」の系譜(資料番号6106) 「榊原雄之介/奥詰儒者」の親類 ...
以下の資料に関係のある記述がある。 参加者全員ではないが、主な人物名や人数、編成などの記載が含まれている。 『南紀徳川史 第12冊』(堀内 信/編 清文堂出版 1990)p665-706 「長州征伐 一」 『南紀徳川史 第13冊』(堀内 信/編 清文堂出版 1990)p1-124 「長州征伐 二、三」
和歌山県の医師や儒者など華岡青洲に影響を与えた可能性のある人物で1782年~85年に亡くなった人について調べたい。(和歌山県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/2/1 14:30:18)
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和歌山県の医師や儒者などについて調べることができる以下の資料がある。 『紀州郷土藝術家小傳』(貴志 康親/著 図書刊行会 1975) 『南紀徳川史 第6冊』(堀内 信/編 清文堂出版 1990) 『紀州の藩学』(松下 忠/著 鳳出版 1974)p279-293に「紀州藩儒の氏名と生卒年表」が掲載されている。以下の資料の華岡青洲(随賢)に関する記載のなかに師友に関する記述がある。 『和歌山県史 人物』(和歌山県史編さん委員会/編集 和歌山県 1989)p389 「天明2年京都に遊学、吉益南涯に古医方を、大和見立にカスパル流外科学を学ぶ。(略)大坂の医師永富独嘯庵の書「漫遊雑記を読んで乳癌手術を志す。」 『南紀徳川史 第6冊』(堀内 信/編 清文堂出版 1990)p535-541 「僻邑師友に乏しきを以て京都に遊ひ桃谷華洲山田静齋の諸子を友とし又吉 ...
Starmer refuses to tear up workers’ rights bill as compromises loom
from UK homepage (2025/2/1 14:00:16)
from UK homepage (2025/2/1 14:00:16)
Prime minister will listen to business over exact details, as some within Labour push for ‘serious tooth removal’
The £40bn impact of the inheritance tax shake-up will prompt more families to spend or gift the money
The future of the continent will be shaped in the once-mocked south
米子市立図書館の設立年が知りたい。また、米子市立第二中学校の建物がいつまで残っていたか。そして、明道小学校はいつ陽田町に移転したかを知りたい。(米子市立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/2/1 11:18:42)
from レファレンス協同データベース (2025/2/1 11:18:42)
米子市立図書館の設立年は1942年(昭和17)。現在の場所(中町)でのオープンは1978年(昭和53年)。(回答プロセス(1)参照)米子市立第二中学校は2012年(平成24)に建物が壊され、現在は広場となっている。(回答プロセス(2)参照)明道小学校の移転は1984年(昭和59)3月。(回答プロセス(3)参照)回答プロセス:(1)『ふるさと米子探検隊第20号 図書館のひみつの巻』p.6http://www.yonago-toshokan.jp/wp-content/uploads/2019/02/furusatoyonago20.pdf(2025.1確認)1942年(昭和17)今の湊山公園に米子市立図書館が誕生し、1978年(昭和53)に今の場所(中町)に鳥取県立米子図書館が新オープン した。(2)レファレンス協同データベース「米子市立第二中学校」に関するレファレンス事例詳細参考。2012年に建物が壊され、現在は広場として活用されて ...
尼崎市の難波(現東難波町・西難波町付近)に伝わる「難波の梅」の伝説について知りたい。(尼崎市立歴史博物館 地域研究史料室 “あまがさきアーカイブズ”)
from レファレンス協同データベース (2025/2/1 10:50:08)
from レファレンス協同データベース (2025/2/1 10:50:08)
難波の梅について、さまざまな伝説が伝えられています。(伝えられる伝説の一例) かつて難波に梅の古木があり香り高い花を咲かせた。行幸した仁徳天皇がこの梅を気に入ったので木を献上し、難波高津宮に植えたところ、梅の木は難波の方角である西側ばかりに花を咲かせた。これを見た天皇が「梅にも故郷を思う心があるのだ」を考え梅を難波に戻したところ、ふたたび香り高い花を多く咲かせた。(尼崎郷土史研究会『みちしるべ』第33号「尼崎の伝説特集号1」掲載「難波の梅」を抜粋編集)上記『みちしるべ』は、この伝説に言及する各種の文献を紹介しています。また、大江篤編『尼崎百物語』(神戸新聞総合出版センター、2016)掲載の久禮旦雄執筆「仁徳天皇と難波の梅」は、各文献が伝える伝説のさまざまなバリエーショ ...
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