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【安原村村是について】 安原村村是は全国に先駆けて制定された町村是のモデルとして前田正名に取り上げられる等、全国的にも有名であるが、その制定過程やその後の変遷等を記した文献はないか。『安原郷土史』に該当箇所があればコピーしてほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:05)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:05)
安原村村是1 余業奨励・・・なし2 肥料共同購入組合設立・・・なし3 防風林設置・・・『安原郷土史』口絵、『石川県石川郡誌』(「石川県石川郡自治協会」昭和2年刊の復刻) p.778-7794 藺作奨励・・・なし5 立毛共進会設置・・・なし6 田区改正完成・・・『石川郡誌』p.225-243、『石川県史 第4編』p.895-9147 小作奨励会設立・・・なし8 村有基本金増殖・・・なし9 華美虚飾矯正・・・なし10 規時会設置・・・なし11 農業教育普及及夜学奨励・・・『安原郷土史』p.136-137、『石川県石川郡誌』(「石川県石川郡自治協会」昭和2年刊の復刻) p.771-772安原村の農業振興に関する部分・・・『安原郷土史』p.69-89
【能沢長太郎・栄太郎について】 味噌蔵町下中町29番地(尾張町1丁目6番20号)の屋敷が記載されている大正期の地図はないか。また、その家の当主で市会議員を勤めた能沢長太郎・栄太郎について書かれた文献を教えてほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:05)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:05)
○大正期の地図について大正期の詳細な地図は見つからなかった。安政期の地図では「寺西」と記載されている。昭和38年の住宅明細図(『金沢市詳細図』)では現住者の氏名になっている。○能沢長太郎・栄太郎について能沢長太郎については、『北陸人物名鑑』(118406107)に伝記がある。能沢栄太郎については、『金沢市近江町市場史』(11902686)p.42-43に金沢魚市場組合長(滝次商店主)として記載がある。滝次商店の引札が同書p.36,57に収録されている。『金沢商工人名録 昭和3年版』(119503114)によると、瀧次商店は文政年間創業で、店舗は上近江町(魚市場内)にあった。議員としての活動は、『石川百年史』(119563130)p.362,401,414,420,445,892,956を参照のこと。能沢栄太郎の著書に『魚市場に就て』(129816785)がある。
【森本小学校について】 ①「石川県教育施設一般」という史料を所蔵していないか。②八田與一は森本尋常高等小学校を卒業しているが、上記史料には「森下尋常高等小学校」と書かれている。八田與一が在籍した明治30年代の正式な校名を知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:05)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:05)
①「石川県教育施設一般」は国立国会図書館デジタルコレクションで1・2号が公開されている。石川県立図書館が1・3号を所蔵している。 ②『石川県河北郡誌』P.570「同(明治)25年4月小学校令の改正に伴いて、森下尋常小学校と号し、森本村の児童を収容することとなり」「森下高等小学校を、森下尋常小学校の階下に置く」 『森本のあゆみ』(119992134)P.289「昭和16年、太平洋戦争の始まったこの年、森下尋常高等小学校は、「森本国民学校」と名前を改め」(『もりもと』P.50-51年表を参照のこと) 『石川県職員録』昭和16年9月1日現在(国立国会図書館デジタルコレクション)P.101(国民学校)「森本」 森本という地名は前近代から「森本」と「森下」が混用されていたが、江戸時代の正式表記は「北森下」「南森下」(『加能越三箇国高物成帳』(10908 ...
【湯涌温泉について】 湯涌温泉観光協会ホームページに、湯涌の水が「大正初のドイツで開かれた万国鉱泉博覧会に日本の名湯として出展」とあり、また、何かの賞(一等、金賞)を取ったと聞いた事があるが、この根拠となる資料が見たい。(世界三大鉱泉なども)(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:04)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:04)
「万国鉱泉博覧会」⇒該当なし『日本博覧会史』(129309200)P.204明治44年 ドイツ(ドレスデン)に万国衛生博覧会の記述あり。…大正初頃にドイツで開かれたものがこれしかない。「ドレスデン市ニ開催セラレタル万国衛星博覧会日本館」にて温泉ノ分布や用水支給、公衆浴場、模型などの展示があった。『日本鉱泉誌』(1886年)(1954年)(国立国会図書館・富山県立図書館所蔵)にて湯涌の水質調査がされていることが確認できる。なお、1886年調査は明治13年ドイツ フランクフルト鉱泉学博覧会の出展の為、作成されたものであり、和倉温泉はこちらに出展した。(新修七尾市史 10 P.370)『官報 大正元年8月20日』P.525ドレスデン万国衛生博覧会顛末報告あり。明治44年5月6日~同年10月31日の期間に開催された。9月6日、9月30日、10月6日に日本で賞を受ける。( ...
〇「稽古山」説『加能越三州地理志稿』(11824818)P.98『加能郷土辞彙』(改訂増補)P.243「キゴ山」の項に引用あり。 〇「警護山」説『石川県河北郡誌』P.411に引用とともに「けいご山」とあり(出典は「三州紀聞」)。『加能越金砂子』(118511775)P.52「けいご山」『石川県大百科事典』(118310632)P.318・・・藩政期の絵図でも警護山と出ている。佐久間盛政が越中の一向一揆に対し砦を築き警護したため。『亀の尾の記』(118511828)P.128に「けいご山」の項あり。(ケゴ山ともあり)…由来:文禄の朝鮮の役の捕虜が故郷の「鶏篭山」に似ていたため、けいろ山と名付けた。『角川地名大辞典 石川』にも『石川県大百科事典』とほぼ同じ内容あり。『亀の尾の記』、『加能越三州地理志稿』の内容をまとめたもの。
【普通選挙について】 ①普通選挙法施行後最初の選挙は何年に行われたか。②普通選挙前の納税資格は何円か。③それは現在の貨幣価値にするといくらぐらいか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:04)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:04)
①普通選挙は、大正14年(1925年)5月5日公布の衆議院議員選挙法によって定められ、昭和3年(1928年)2月20日の第16回総選挙で最初に実施された。『国史大辞典 12』(111251039)p.275②明治22年(1889年)2月11日公布の衆議院選挙法では、直接国税15円以上を納める者。その後、明治33年(1900年)3月29日の改正で10円に低減され、大正8年5月23日の改正で3円となった。『国史大辞典 7』(11081266)p.260③米価 ・小売価格、及び消費者価格指数を指標に換算すると、以下の通り。(換算表)『物価の文化史辞典』(11298089)p.15、28、29、446「戦後昭和史」【URL】http://shouwashi.com/transition-consumerprice.html【換算の計算方法】現在の価格及び指数 ÷ 当時の価格及び指数 × 当時の直接国税明治22年(1889) 15円・・・74,391円(米価)、713,415円(大工手間代)、57,666円(消費者物価指数)明治33年(1900) 10 ...
『電信電話事業史 第6巻』(129327010)p.452~記載あり(コピー資料はp.455まで)国立国会図書館デジタルコレクション「電務年鑑 昭和15年度版」(コマ番号157~160)p.255~p.261【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1141600/1/1
『金城聯隊史』(119566052)P.19「台湾派遣」…日清戦争後の台湾平定の戦闘について記述している。『いしずえ』(119588309)P.6 「台湾占領」…「歩兵第七連隊の343人を含む、混成第1旅団が派遣された」『第九師団戦史』(119565331)P.221「台湾防備の令下る」…第九師団は沖縄から台湾へ移動した経緯を記述している。『追憶 金沢輜重兵連隊』(119566348)P.508「師団の台湾への抽出転用」P.509「台湾の守備」…同上『旧第九師団山砲兵第九連隊史』(119566339)P.114「台湾方面戦没者(大東亜戦争)」P.115「台湾(大東亜戦争)」、P.116「第九師団台湾へ転進」、P.117「沖縄:台湾転進」山砲兵第九聯隊将兵名簿」『旧第九師団野砲兵山砲兵第九連隊将校名簿』(119566366)P.5「台湾山砲兵大隊」など
金沢の医師嵯峨健寿の三男、上新川郡早月加積村の豪農、石坂家の養子となる。壮猶館、村田蔵六の塾、大学南校、箕作麟祥の塾等で学び、明治2年慶応義塾の教授となるが、5年一時帰郷、12年栗山村戸長、13年江沼郡長心得、14年富山県会議員、17年富山県御用係、18年富山県属、20年同農商課長、23年富山県会議長を歴任、24年衆議院議員に当選している。一時静養後、26年上新川郡長、29年2月砺波郡長、29年4月東砺波郡長、34年射水郡長、36年上新川郡長となり、勲六等従六位に叙せられた。<参考文献>『石川県議会史 第一巻』(119565206)『金沢高等学校紀要 第34号』(2006年)(119963366)畑中榮/著「加越能詩作者略伝 その1〈あ~え〉」「中越名士伝」(国立国会図書館デジタルコレクション)追加で「伊東祐之」「芦野巻蔵」についての調査依頼を ...
『加能郷土辞彙』(初版)P.887「湯涌温泉」 享保12年5月20日には河島正卿がその十勝景を賦した。P.888「湯涌十景」 祗林紅樹・荒屋夜雨・育王暮雪・戸室夕照・市瀬秋月・笠松晩涼・杉村藤花・高尾朝霞・盞淵緑水・湯涌温泉を数える。『金沢市教育史稿』P.472「河島正郷」 享保12年5月20日河北郡湯涌温泉に遊び、十勝を賦する詩歌あり。湯涌邑某の家に収む、其巻中一瀬秋月に落木粛々月色明、断岸百尺板橋横、水中金影人難掬、淵底珠光魚欲驚『ゆわく 開学百周年記念史』(119570627)P.81「湯涌十景」 全漢詩及び和歌を掲載するが、出典不明。『金沢高等学校紀要 第35号』(119983977)「河島正卿」 出典として「熙朝詩薈」「奚疑遺稿」「三州遺事」(中)を揚げる。『三州遺事』(国立国会図書館デジタルコレクション)p.479「島屋與三兵衛」 「享保12 ...
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