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【安江神社について】 木下甚太郎兼久の刀を所蔵している。安江神社でこの刀が作られたらしいが安江神社について教えてほしい。また、加賀藩士Iwata Sadayasu がこの刀を好きだと聞いたが、Iwata一族について知りたい。(原文英語)(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:15)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:15)
○兼久加賀の刀工。「木下甚太郎」を名乗ったのは2代(?-享和3年2月18日)と3代(寛政7年-弘化3年4月16日)である(『加能郷土辞彙』(初版)P193)。『金沢町名帳』P262によると、「木下甚太郎」は鍛治町に住む刀鍛冶である。○安江神社天慶2年(939)安江八幡宮(やすえはちまんぐう)創立。安元2年(1176)、安江盛高(やすえもりたか)により再建。明治5年(1872)11月郷社に列せられ、7年(1874)6月安江神社(やすえじんじゃ)と改称。39年(1906)水天宮を合祀し、大正13年(1924)3月県社に昇格された。所在地は金沢市此花町(このはなまち)11の27。三代藩主前田利常(まえだとしつね)から刀鍛冶等で宅地を給わったものが住んだことから、はじめは安江鍛冶町(やすえかじまち)と称されていた。のちに鍛治町(かじまち)と呼ばれ、昭和40年(1965)、現在の此花町に改められた。宇多 ...
「柄巻屋喜右衛門」については、文化6年『金沢町絵図』p.314及び『金沢町名帳』p.376「下天神町」の箇所に記載がある。職業は「松木挽売」と記されている。江戸時代末期の史料によると、町役人の役料は銀で支払われている。『金沢市史 資料編6 近世4 町政と城下』p.377に、「地子町肝煎 喜右衛門」の名前が記されている。この「喜右衛門」が「柄巻屋喜右衛門」かどうかは明らかでない。なお、質問者からの提供資料に記載されていた「貧民救済に米を提出し褒美をもらったり藩から扶持米を受けていた」ということに関連する資料として、近世史料館平成23年度夏季展パンフレットに「河北郡番代六兵衛窮民救恤金差出ニ付下知方申渡状」が収録されている。北陸では明治2年(1869)に飢饉があり、藩は町村役人たちに金品の拠出を命じたよ ...
『石川県銀行誌』北村魚泡洞/著(北国出版社、1980年)(11913146)p.214-「幻の金沢銀行とその結末」・石川県立郷土資料館村松七九文庫に『金沢銀行申合規則』という一冊がある。・金沢銀行という名は『石川県史 第4編』に言及がある。・米沢喜六氏所持の文献に、中村文右衛門が金沢銀行頭取に就任していた記録がある。・「金沢銀行申合記録」前書によると、金沢為替会社(総棟取木谷藤十郎ら)が改称したもの。・金沢銀行は明治15年改称を発議し、同17年6月から18年9月まで銀行業務を行っていた。『石川県史 第4編』(石川県、1931年)p.731-「銀行」[会社名]金沢銀行 [資本金]6万円 [創立]明治12年 [所在]金沢 [代表者]不詳『〔北陸銀行〕創業百年史』(北陸銀行、1978年)(129358760)p.53「金沢為替会社 金沢第十二国立銀行との関係」「明治10年8月26日、 ...
≪回答≫駒田長平 明治10年生~大正14年9月没(享年49歳)・この駒田長平が大樋長平だという裏付けは取れなかったが、掲載記述から本人と思われる。・またネット上では、同時代の大樋焼作家の加藤長寿も、作品には大樋長寿と紹介されているため、駒田長平が大樋長平と紹介されている可能性は高い。≪掲載資料≫『石川県史 第4編』(118412276)P764『石川百年史』(119871489)P203『石川県姓氏歴史人物大辞典』(118421945)P101≪出ていない資料≫『日本工芸会石川支部記念誌』(119708102)『大樋焼』(119480000)その他、大樋焼関係の資料(K751)を見たが、大樋長平・駒田長平は出てこない。≪ネット検索≫石川県関係人物文献検索「大樋長平」では、出てこなかった。駒田長平が分かった後、石川県関係人物文献検索で、再度検索した。「駒田長平」では、上記 ...
【池田町四番丁の銀行について】 池田町四番丁の現・ヤベドレメの所在地にあった銀行の写真はないか。(家族からの伝聞によると、北國銀行の前身の銀行があったとのこと。)(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:14)
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『石川県銀行誌』(11913146)p.210「能和銀行経過表」によると、穴水銀行は明治33年7月に設立され、昭和6年11月中居銀行と合併した。中居銀行は昭和13年9月合併して能和銀行となった。能和銀行は昭和18年合併により北國銀行となった。『しんたて』(119887667)p.152「ヤベドレメ」によると、同校は昭和21年現在地の住宅に設立され、昭和32年現在の校舎を新築したとのこと。銀行の建物は、おそらく大正頃から昭和32年まであったのではないかという。昭和38年の住宅明細図(『金沢市詳細図』)では、既に「ドレスメーカー 矢部」と表記されている。『金沢市街地図』(昭和14年発行)では、池田町四番丁に建物の記載なし。裏面の「日本職業別明細図」の「銀行 会社」に「能和銀行金沢支店」が掲載されているが、住所は「南町」である。また、池田町 ...
「湖東問答」は巌谷小波校訂『俳諧論集』(俳諧文庫第13編、博文館、1899年)に収載されているが、当館に所蔵なし。同じ向井去来の俳諧問答を翻刻したものに横澤三郎校註『俳諧問答』(岩波書店、1954年)(129662526)がある。「夏引集」は、和本の形態で京大・東大洒竹・酒田光丘・柿衛・天理綿屋に所蔵されているが(日本古典籍総合目録データベースによる)、翻刻はない。なお、デジタルデータが早稲田大学古典籍総合データベースで閲覧できる。【URL】http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko18/bunko18_00387/index.html中村俊定(写)
【神原元太郎について】 『郷土数学』p.194及び『石川県産業功労碑集』p.164に記載されている、高橋義盛碑(大正10年頃建立)に俳句を寄せている「蒼丘」(神原元太郎)という人物について調べたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:14)
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「神原元太郎」を県立図書館の「石川県関係人物文献検索」及び当館蔵書検索で探したが、該当なし。『加能俳諧史』(119569134) 『北陸の俳壇史』(119570091)索引に「蒼丘」なし。『金沢市教育史稿』(118290979)p.630「宮川唇風」の頃に「宮川唇風は俳人なり、(中略)其所居を座右庵といひ、神原蒼丘之を継席す」とあり。大正期の俳人と思われるが、『石川県史 現代篇2』(119871710)第二章文芸に該当名なし。なお、Googleブックスで「神原元太郎」と検索すると、以下の2件がヒットした。・『文学 2004年7・8月号』(170306303)「〈金沢もの〉再考-目細てるの子供たち」秋山稔/著p.129「昭和2年9月12日 (泉鏡花)五男円幸、金沢市森町一番丁八番地ノ一の神原元太郎と養子縁組」とある。神原家は、目細家の遠縁とのことであり、円幸は後に加賀竿製作の名人 ...
【元号について】 年号が明治→大正・大正→昭和に変わる時は、天皇が亡くなった日であったが、平成に変わる時だけ、天皇が亡くなった次の日であった(利用者調べ)のは、なぜか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:13)
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『日本史年表 増補版』歴史学研究会/編(岩波書店、1995年)(111618537)p.342 平成も、(大正・昭和と同様に)亡くなった1/7当日に改元されている。ただし、施行は翌日となった。『北國新聞 縮刷版 平成元年1月号 No.274』 p.313(1/7号外)「元号法に基づいて(中略)公布の翌日から施行する。」との記載あり。『現行法規総覧 1 憲法』 (第一法規) p.3908元号法は、昭和54年6月12日に公布されている。【回答】平成も、大正・昭和と同様に天皇が亡くなった日に改元されている。しかし、昭和にできた元号法により、平成に変わる時には、当日改元・翌日施行となった。
『石川県無形民俗文化財等調査報告書』(石川県教育委員会、2011年)(109131338)p.130「牛首紬」『生きている民俗探訪 石川』今村充夫/著(第一法規出版、1978年)(11901010)p.29「白峰の牛首紬」『石川県大百科事典』(北国出版社、1975年)(118310599)p.612「白山紬」『近世白山麓の蚕糸業と機織』木越隆三/著(牛首紬技術保存会、1998年)(119876977)『伝統織物 加賀・能登にみる歴史と現状』西田谷功/著(古今書院、1988年)(11100540)p.75第2章「牛首紬」『白峰村史 第3巻』(白峰村役場、1991年)p.386「繊維工業(牛首紬)」『白峰村史 上巻』(白峰村役場、1962年)p.173「紬・麻織物業」
○前田利常墓所『加賀藩前田家墳墓史』(119411077) 図3 p.12前田家墓地図○銭屋五兵衛墓所『金沢市文化財紀要 250 野田山・加賀藩主前田家墓所調査報告書』(119995931) p.18「天徳院 野田山」『銭屋五兵衛』石川県立郷土資料館(11900236) 写真2枚「銭五家の菩提寺金沢彦三長徳寺にあり、(中略)五兵衛の墓といわれる。」、「銭屋五兵衛墓(金石本竜寺)」『全国寺院大鑑 下巻』(118382355) p.1070 p.1069金石本竜寺と彦三徳寺の住所・電話番号『銭屋五兵衛』(11902884) p.156 銭屋五兵衛の墳墓の写真と文『銭屋五兵衛の研究』(119801930)巻頭写真:銭五百回忌当時墓前祭(本龍寺)、巻頭写真:銭五百回忌法要修事者並参列者(宗源寺・銭屋要蔵墓前)
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