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○建てられた時期について明治41年 泉野(地黄煎町から六斗林に至る空地約8,000坪)に新築決定明治42年 工事着手明治45年 一部完成大正2年 新校舎へ生徒が移る〈出典〉・『目で見る金沢の百年』p.55・『金沢の百年 明治編』(市史年表) (119871415)p.175・『石川県教育史 第1巻』p.351~、p.1258・『石川県師範教育史』p.172○建てられる前は何だったか元は「調練場跡」だった。『金沢古蹟志』に「泉野練兵場跡(中略)明治7年8月金沢区長より貧民授産の為め御払下げの儀を出頭し、内務省へ上申し、払下げに相成り、今茶畑とす。」と記載されている。以上から、泉野練兵場→茶畑→師範学校と推移したと考えられる。〈出典〉・『金沢市 六斗林ものがたり』p.34 ・『金沢城下南部の歴史』p.238 ・『加能郷土辞彙』(初版)p.49 イズミノ~・『金沢市史 資 ...
『加越能文庫解説目録 下巻』(金沢市立図書館、1981年)7576「茜染一件書類」『金沢古蹟志 第5編』(金沢文化協会、1934年)巻14 p.19「茜染伝方事略」『国事雑抄 上編』(石川県図書館協会、1971年)p.236「茜染御用相勤紺屋之事」『加賀藩史料 第6編』(清文堂出版、1970年)p.205「(享保5年)五月十六日。町奉行等茜染を専業とする茜屋理右衛門没後の状況を答申す。」(続漸得雑記からの引用)『加能郷土辞彙』(初版)p.3「茜染」「茜屋雪斎」「茜屋理右衛門」『温故集録 4』p.304~313「茜染之義御穿鑿」延宝2年(1674)に茜屋理右衛門を但馬国出石から呼び寄せたが、理右衛門の死後、茜染の伝承者がいなくなった経緯等が記されている。
・『新編 日本の歴代知事』(118290100)p.851に記述あり。明治14年2月12日~明治28年3月26日までと記載されている。
【加賀藩の薬種業について】 加賀藩の薬種業で、加賀三家と呼ばれた、亀田・石黒・中屋について、歴史等を知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:31)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:31)
福久屋(石黒)、宮竹屋(亀田)、中屋(中屋)。綱紀が寛文十年(1670)藩医堀部養淑・堀部養佐の両名から、加賀藩の秘薬を伝授させた。(『金沢市史 資料編15 学芸』p.458)・『加賀藩の秘薬』三浦孝次/著(118413219)p.161-168「福久屋」、p.168-172「中屋」、p.172-187「宮竹屋」石川県の薬学史に関してもっともくわしい図書。各薬種についても記述あり。<福久屋(石黒)>・『続 加能の名家』(11802500)p.99「福久屋の石黒家」・『年報都市史研究 11』(118584987)p.14-27「近世初期の流通転換と問屋」ギョーム=カレ/著近世初期の石黒屋の問屋業について記したもの。・『金沢の老舗』(118413003)p.16-21「家柄町人福久屋石黒伝六商店」・『薬草と加賀藩』(109083061)p.42-43「薬種商 福久屋(石黒伝六家)について」<宮竹屋(亀田)>・『金沢町人の世界』田中喜男/著(11826084)p ...
【神田川について】 神田川の改修が着手、もしくは完成したのは何年か。資料によって、元和2年のものと6年のものがある。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:31)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:31)
以下の資料に記述あり。・『日本歴史地名大系 13東京都の地名』(112371659)p.59~・『江戸東京学事典』(11093114)p.103~・『江戸東京年表』(118303075)p.21~・『江戸の川・東京の川』(11002162)p.124~・『千代田区の歴史』(11002550)p.124~、p.137~着手、完成の年は何を目安として採るかにより変わってくるため、利用者の判断に任せた。
「将監」とは「しょうげん」と読み、役職名(近衛府の判官、「広辞苑」による。)であると分かった。「将監家次流」に関する資料はみつからなかった。「家次」は、刀工の名前とのことだったので、「石川県関係人物文献検索」を元に資料を探し、利用者へ提供した。『加能郷土辞彙』(初版)p.60「家次 能美郡の刀工」『加州刀工系図資料』(119557901)p.6「家次 加州能美村ニ住ス」『加州刀工一覧』(119557920)p.14「家次」『北陸刀工資料 第1輯』(11825813)「北國鍛冶の話」p.7「〔加賀〕加州鍛冶は越前の藤島一派と越中則重の弟子の真景の一派とが広がりしなり(中略)この末に国次、家次、家政、家次(数人あり)家永等あり」『北陸刀工資料 第3輯』(11825815)「加賀国鍛冶考」p.607「家次初代 加州藤原家次と切る」
【和歌の注釈について】 和歌で、「くるるかと 見れば明けぬる 夏の夜を あかずとや啼く やまほととぎす」の歌について調べたい。古今和歌集に載っていたらしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:30)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:30)
・『日本うたことば表現辞典 動物編 3』(118428623)p.400古今和歌集に掲載のことを確認した。以下の資料の注釈、解説等ご覧いただいた。・『古今和歌集全評釈』p.718・『古今和歌集評釈 上』(129461911)p.314・『新日本古典文学大系 5』(11103688)p.62
金沢医療センターホームページ(TOP>病院のご案内>沿革)明治6年 金沢衛戌病院 創設明治32年 現在地に新設昭和12年 金澤陸軍病院となる『金沢市史 資料編11 近代1』p.582「19 明治32年1月10日 観兵式と師団通路、師団兵営を野村に建造し、七連隊門内に高等司令部を設置し衛戌監獄及同病院等も悉く其附近に設けられたれば(後略)」『金沢市史 現代篇 下』p.247「(明治)31年の7月には彦三に金城病院が、12月には金沢衛戌病院がそれぞれ開院された。」『金沢・町物語』(復刻新版)p.235「持て余していた奥村家の邸を軍は気前良く買いとって衛戌病院とした。」
・『金沢市の人口・全市編 その3』p.34~35(年齢・性別ごとに表記あり) ・金沢市ホームページ「いいね金沢」で統計を調べた。(トップ>市政情報>統計データ>過去の国勢調査結果「全市編(その3)従業地・通学地による人口・産業等集計結果 統計表」)【URL】http://www4.city.kanazawa.lg.jp/11018/toukeidatasyu/kakonokokuseityousa.html ・『統計でみる市区町村のすがた2007』(112929353)p.26~27(県庁所在地ごとに表記あり)
・『国史大辞典 14』(111399323)養老律令の項目で、『国史大系第 22巻~24巻』 『日本思想大系 第3巻』(129138686)に掲載との記述あり。・『日本思想大系 第3巻』(129138686)に原文、読み下し文、補注が掲載され、内容的に分かりやすかったため、利用者に提供した。
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