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小学2年生向けの詩集を26名分探している。同じものが26冊ではなく、いろいろな詩集があるといい。どのようなものがありますか。(茨城県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 13:24:30)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 13:24:30)
対象とする本に関しては,例えば『新・詩のランドセル 2ねん』(江口 季好/〔ほか〕編集委員 らくだ出版 2005)のように学年別にわけた詩集がございます。また,子どもたちが手に取りやすいことを考えると,まどみちおさん,谷川俊太郎さん,金子みすゞさんなどの詩を絵本にしたものはいかがでしょうか。回答プロセス:当館作成の団体貸出用の資料リストを確認。自館OPACで「全項目-詩集」、「資料種別-児童書」の条件で検索。その他、こどもとしょしつ911をブラウジング。絵本になっている詩歌もあるので紹介した。
以下の条件を満たすもので,教育勅語の原本が見たい。・全文が一ページまたは見開き一ページに収まっている。・御璽が押してある。(茨城県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 13:24:30)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 13:24:30)
次の資料を紹介した。・『教育勅語』(杉浦 重剛/著 勉誠出版 2002)「教育勅語」原本 p.4-5 御名に「睦仁」,御璽に「天皇御璽」と記されており,「明治23年(1890)10月30日,天皇より下賜された「教育勅語」」と記されている。(上記を提供後に確認した資料)・『徹底検証教育勅語と日本社会』(岩波書店編集部/編 青木 理/[ほか著] 岩波書店 2017)口絵 写真下に「教育勅語原本(国立国会図書館所蔵)」と記されている。回答プロセス:・図書を希望されていたため,デジタル資料の検索は行なわず。・当館OPACの全項目で「教育勅語」を検索。・レファレンス協同DBで「教育勅語」を検索し,紹介されている資料を確認。【その他確認資料】〈教育勅語(謄本)の掲載(写真)〉写真が掲載され,「御名」「御璽」と記されている。・ ...
20年以上前(1995年位)の旧 玉造町の電話帳やタウンページがありますか。閲覧は可能でしょうか。(茨城県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 13:24:29)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 13:24:29)
ご質問のありました,当館で所蔵している1995年頃の旧玉造町の電話帳について,次のとおり調査しましたので,ご確認ください。・ハローページ『ハローページ 50音別 茨城県石岡・鉾田地区(1994年2月10日現在)』『ハローページ 50音別 茨城県石岡・鉾田地区(1995年2月17日現在)』『ハローページ 50音別 茨城県石岡・鉾田地区(1996年2月19日現在)』・タウンページ『タウンページ 職業別 茨城県東部版(1994年2月10日現在)』『タウンページ 職業別 茨城県東部版(1995年2月17日現在)』『タウンページ 職業別 茨城県東部版(1996年2月19日現在)』こちらは茨城県立図書館の郷土資料室で閲覧することができます。回答プロセス:クイックレファレンス
雑誌『ナイフマガジン』で、「彦さんのコラム あすの別れ、田崎成一のこと」という記事が掲載されている巻号を知りたい。2000年以降に発行されていると思われる。(茨城県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 13:24:29)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 13:24:29)
国会図書館に問合せたところ,お探しの記事が見つかりました。『Knife = ナイフ・マガジン』ワールドフォトプレス【国会図書館請求記号:Z11-1696】 記事名 彦さんのコラム 95回 あすのわかれ・田崎成一のこと 著者名 彦一彦 掲載巻 17(4)(通号97)2002.8 ページ pp.30-31(カラーページ)回答プロセス:『ナイフマガジン』掲載記事に関する類似事例の際に参考にした個人のHPを確認したが、今回調査している記事に関連する記述は見つからなかった。http://www4.tokai.or.jp/nunokiri/b-ta.html【2021/01/06最終確認】「あすの別れ 田崎成一のこと」というキーワードでインターネット検索したところ、個人のHPがヒットし、「ナイフマガジン95号」「彦先生の『あすの別れ・田崎成一のこと』」と記載されていた。https://6615.teacup.com/nishikan/bbs/37 【2021/01/06最終確認】 ...
以下の資料を紹介した。(1)『ローマ教皇史』(鈴木 宣明/著 筑摩書房 2019)「3 西欧中世初期」「カロリング国家における教皇職 オットー大帝」P.156「教皇とドイツ皇帝 オットー朝皇帝権の下に」P.156-157(2)『ローマ教皇歴代誌』(P.G.マックスウェル‐スチュアート/著 創元社 1999)「第2章 東西のはざまで」 P.94-95(3)『キリスト教史 3』(上智大学中世思想研究所/編訳,監修 講談社 1990)「第一部 六〇四~一〇四八 第四章 教皇職の変遷(604~1049)」 P.126-127(4)『ローマ教皇事典』(マシュー・バンソン/著 長崎 恵子/訳 三交社 2000)「第1部 歴代の教皇 東西教会の決定的分裂(一〇五四年まで)」 P.73(5)『教皇264代の系譜』(新井 修/著 コルベ出版社 1981)「第二章 中世,誇りと恥辱の春秋」「聖大グレゴリウスの登場」P.6 ...
諏訪三河守の記述があった資料をご紹介いたします。(1)『そうわの文化財 5号』(総和町教育委員会・町史編さん室/編 総和町教育委員会・町史編さん室 1996)【貸出用図書あり】「Ⅰ 指定文化財の概要 1 総和町の指定文化財(平成6年度) 小堤城跡出土古銭―下河辺荘小堤郷の中世的景観から― 内山俊身 P.8-40」P.9「一 発見から現在に至る経緯」の項目があり,第一次出土銭について,「小堤城館に関わるもの,とくに城館居住者で古河公方家臣と伝えられる諏訪氏のうち,大永六年(一五二五)に当地を去ったとされる最後の城主三河守頼方かその家老級武士の「備蓄銭」であろうと推測された。」との記述があります。P.16-21「四 中世における小堤地域の歴史的環境」の項目があり,P.19に「諏訪三河守が小堤に移り小堤城館を築いたと ...
伊東甲子太郎の幼少期,「すけじ」あるいは「すけゆき」と名乗っていたか知りたい。漢字だと「子₊右(子へんに右)次」(茨城県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 13:24:28)
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幼少期の名前を確認出来た資料(1)「伊東甲子太郎と幕末の同志」(かすみがうら市歴史博物館/編集 かすみがうら市歴史博物館 2017)「1 伊東甲子太郎の故郷と家族」P.3「(1)志筑という地域について」「幼名は祐」との記述があります。※「祐」のふりがなは記載が無く,読み方は不明(2)「竹内百太郎と伊東甲子太郎」(かすみがうら市/企画 かすみがうら市郷土資料館/監修 かすみがうら市 2015)P.79「資料10/伊藤甲子太郎の青年期」「幼少期は「祐」,青年期の名は「鈴木大蔵」といい」との記述があります。(3)「幕末維新大人名事典 上巻」(安岡 昭男/編 新人物往来社 2010)P.144「伊東甲子太郎」の項目に「初め鈴木大蔵のち伊藤摂津を称す」との記述があります。回答プロセス:自館OPACにて全項目「伊東甲子太郎」で資料 ...
1937(S12)年にヘレン・ケラーが来日した。茨城にも7月3日,4日と来県していたらしいので,その関連記事があるか調べてほしい。(茨城県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 13:24:28)
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「いはらき」「東京日日新聞 地方版」「読売新聞 地方版」の三紙で掲載を確認しました。・「いはらき」S12.7.3 朝刊5面「ケラー女史へ贈り物 純情土浦高女生」S12.7.4 朝刊5面「聖女ケラー女史来る けふ“世紀の驚異”を講演」S12.7.4 夕刊2面「ケラー女史来縣 けふ午後八時半水戸着」S12.7.5 朝刊3面「お、お、奇蹟の聖女 闇の世に放つ光明訓 ヘレン・ケラー女史講演會」・「東京日日新聞(毎日新聞) 地方版」S12.7.3 「聖女ヘレン・ケラー いよいよけふ来水」S12.7.4 「ようこそ・ケラー女史 三重苦の聖姿を水戸へ」S12.7.6 「ケラー女史去る 多大の感激を残して」・「読売新聞 地方版」S12.7.2 「聖女ヘレン・ケラー 水戸へ あす待望の訪れ」S12.7.4 「劇的歓迎 聖女ヘレンケラー来水」S12.7.6 「おゝ・"奇跡の聲" 水戸市を訪れた聖女ケラー」回答プ ...
呼び方(表記)は「ウバステ ヤマ」の他に,「オバステ ヤマ」「ヲバステ ヤマ」などがあるようです。(1)『日本大百科全書 4 おおつ-かき』(小学館 1985) ※館内閲覧のみp.312 姨捨山 おばすてやま[長野盆地の南西部にある山。戸倉(とぐら)町、上山田町、坂井村の境にそびえ、古来姥捨山伝説のある山で知られる。(中略)一名、姨母棄山、冠着山、更級山などともいわれ…]とあります。また,[伝説は『大和物語』に出ているのが初めで、ついで『今昔物語』にも現れ、さらに世阿弥の謡曲『姨捨』ともなった。]とあります。(2)『角川日本地名大辞典 20 長野県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1990) ※館内閲覧のみp.367 かむりきやま 冠着山[姨捨山ともいい,古くは冠(かんむり・かぶり・こうぶり) ...
(1)水戸市内の神社(常磐神社・藤田東湖神社・護国神社・東照宮・水戸黄門神社の5社)について 祭神,いつ建立されたか,管理者はだれ(国や県)か,由緒沿革等を知りたい(2)東照宮は全国に多数あるが,この神社の概要について知りたい(数や成立ち等)(3)瑞龍山と徳川家の関係がわかる資料。 徳川家の菩提寺との関連性(神社に祀られているのになぜ菩提寺があるのか?)などが知りたい。(茨城県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 13:23:08)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 13:23:08)
1.水戸市内の神社について(1)常磐神社について・『全国神社名鑑 上巻』(全国神社名鑑刊行会史学センター/編纂 全国神社名鑑刊行会史学センター 1977)p.185 「常磐神社(ときわさん)」について記述があります。・『茨城県神社誌』(茨城県神社誌編纂委員会/編集 茨城県神社庁 1973)p.63-68 「常磐神社(ときわさん)」について記述があります。(2)藤田東湖神社について・『常磐神社史』(常磐神社社務所 1992)十三 常磐神社の変容 (二)摂社東湖神社の創建(p.224-226)p.224 「常磐神社末社鎮霊社が桜山に遷座したあとの敷地に、昭和十八年(一九四三)当社の摂社として、東湖神社が創建された。」と記述があります。(3)茨城県護国神社について・『全国神社名鑑 上巻』(全国神社名鑑刊行会史学センター/編纂 全国神社名鑑刊行会史学 ...
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