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『大阪市史 第1』( 大阪市参事会/編 大阪市参事会,1913)P.485に「松平石見守殿御初入ニ付差出御覚書」を引用して、元禄2年、12年、宝永6年の三郷人口をしるしているが、この人口の計算には城附町奉行所附の吏員など、いっさいの士分の者を加えていない。P.482-483には、元禄年間(8月9月、13年5月、16年3月)三郷町数家数役数人口表があり、元禄宝永年間の大阪の人口増加の経過も概説されている。そのほか参考となる資料としては,『摂津鈔 第10 大阪市 中之上』 (浅井 幽清/纂 烟雲竹樹亭)の人員戸数の項に、元禄2年6月5日御改帳の三郷町数と人口の詳細な内訳がしるされている。また、『大阪府全志 巻之2』 (井上 正雄/著 大阪府全志発行所,1922)p243には、明治以前における大阪の人口を、寛文5年より年代順に( ...
大宝寺町の町名の由来については『大阪町名考』( 佐古 慶三/編 だるまや,1926.8)P,20に「大宝寺の旧址。出拠寺名。」とあり。『浪速叢書 第7』( 船越 政一郎/編纂校訂 浪速叢書刊行会,1927)P,331にも、「生玉寺町の大宝寺もはじめは今の嶋の内にありしを後に引うつされしゆへ今其あとを大宝寺といふ…」とある。また、『南区志』 (大阪市南区長堀橋筋一丁目外九十一ケ町区/編纂 大阪市南区役所,1928)P,16に水帳の奥書によって南区内の132の町名の沿革を書いているが、それによると大宝寺町の町名は、明暦元年にさかのぼる。なお、南区は1989年2月13日に東区と統合され、中央区となった。また、同日付の住居表示の実施にともない大宝寺町は心斎橋筋、西心斎橋、東心斎橋、島之内の各一部となった。参考資料:当館書誌ID 南区志 大阪市南区長堀 ...
下記資料に平野荘(現大阪市平野区・旧東住吉区)の豪家末吉勘兵衛利方(1526~1607)が土豪より海外貿易、貨幣鋳造にまで手を広め有力な巨商に成長する過程を詳しく説明している。末吉家の船を末吉船といい、航海図、朱印状、安南国王答礼聘(へい)物目録、清水寺所蔵の絵馬、杭全神社所蔵の絵馬から、その構造、特徴を知ることができる。『大阪町人』 (宮本 又次/著 弘文堂,1957.9)P.45-66『朱印船貿易史』 (川島 元次郎/著 巧人社 1942.8)P.415-421『中世日本商業史の研究』 増訂(豊田 武/著 岩波書店,1952)P.465-470『平野郷町誌』(清文堂出版,1970.8)P.60-64『東住吉区史』( 川端 直正/編 東住吉区創設一五周年四ヵ村編入三周年記念事業委員会,1961.3)P.62-64 P.74-75豊田武「平野と末吉家」「歴史学研究」1935年3月号 曽根研三「末吉船と南方渡海 ...
『緒方洪庵伝』 第2版(緒方 富雄/著 岩波書店,1963)には、洪庵の子孫である筆者が年次を追って蘭(らん)学者、医学者、教育者としての洪庵の生涯について詳しく述べている。 洪庵と適塾については、『東区史 2』( 大阪市東区法円坂町外百五 十七箇町区会/編 大阪市東区役所,1940)p.375-392、『東区史 5 』 (大阪市東区法円坂町外百五十七箇町区会/編 大阪市東区役所,1939.12)p.410-418、『いまに生きるなにわの人びと』( 朝日新聞社,1963)p.153-156がある。 当館所蔵の洪庵の著書(和書)としては、次のものがある。『病学通論 1巻』 (緒方 洪菴/訳述 秋田屋太右衛門,安政4.7(1857))『病学通論 2巻』 (緒方 洪菴/訳述 秋田屋太右衛門,安政4.7(1857))『病学通論 3巻』(緒方 洪菴/訳述 秋田屋太右衛門,安政4.7(1857))『扶氏経験遺訓』 (秋田屋太右エ門大阪秋田屋太右ヱ ...
七社宣言とは、昭和35年6月17日朝刊紙上で、朝日・日経・産経・毎日・東京・読売・東京タイムズの七社が共同で行ったもので、一女子学生の殺害を含む流血事件を生ぜしめた安保闘争、国会内外の混乱に対して、議会主義を守るということでなされた。宣言の内容は『日本新聞年鑑 1961年版』( 日本新聞協会/編 電通,[1961])P.341に全文収録されている。またこれに対する批判も多くされておりそれらの資料として次のものが参考になる。『安保闘争史 : 三五日間政局史論 』( 信夫 清三郎/著 世界書院,1969.1)P.420-423 荒瀬豊「果たして言論は自由であるか」『世界 173~176号』 1960年8月号 「座談会・新聞報道の30日 」『図書新聞 昭和35年1月~12月号(No.533~584)』 1960年6月25日号 「言論・報道の自由の惨状」『日本読書新聞縮刷版 昭和35年 』 1960年6月27 ...
高麗橋は『浪速叢書 第7』 (船越 政一郎/編纂校訂 浪速叢書刊行会,1927) P.55の暁鏡成「摂津名所図絵大成」、『東区史 3』(大阪市東区法円坂町外百五十七箇 町区会/編 大阪市東区役所,1941) P.982-986によれば、橋の東に難波高麗館があったからとも、また秀吉が東横堀川を開さくし、橋をかけ、ここを中心に高麗との貿易をさかんにしたため名づけられたともいう。『船場』( 宮本 又次/著 ミネルヴァ書房,1960)P.119-126にも、高麗橋の由来、変遷について述べられている。参考資料:当館書誌ID 船場(風土記大阪 第1集) 宮本 又次/著 ミネルヴァ書房 1960, 参考資料:『浪速叢書 第7』 船越 政一郎/編纂校訂 浪速叢書刊行会,1927 , 参考資料:『東区史 3』 大阪市東区法円坂町外百五十七箇 町区会/編 大阪市東区役所,1941 , 備考:『昭和39年 大阪市立中央図書 ...
『工業地帯計画』 (小川 元/著 国民科学社,1964.3)P.12-15には、阪神工業地帯の特徴について説明しており、この地帯の代表的都市として大阪、神戸、堺など10都市があげられている。これら各都市の工場数と従業者数については 『近畿都市統計要覧 昭和37年度』(近畿都市統計協議会/編 近畿市長会,1963)P.14-16、 『市民生活からみた阪神都市圏 : 大阪、神戸を中心として』( 阪神都市協議会事務局/編集 阪神都市協議会事務局,1960) P.4-5 が参考になる。参考資料:当館書誌ID 近畿都市統計要覧 昭和37年度 近畿都市統計協議会/編 近畿市長会 1963, 参考資料:当館書誌ID 市民生活からみた阪神都市圏 -大阪、神戸を中心として- 阪神都市協議会事務局/編集 阪神都市協議会事務局 1960, 参考資料:『工業地帯計画』 小川 元/著 国民科学社,1964.3 , 備考:『 ...
現在(昭和39年)の大阪市庁舎の (1)起工年月日 (2)完工年月日 (3)設計者 (4)施工者 (5)工費 について(大阪市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/4/1 16:06:07)
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(1)大正7年6月(2)大正10年5月(3)大阪市庁舎臨時建築部(4)銭高組、鴻池組(5)3,842,600円資料として 『大阪の建築ガイドブック』(大阪府建築士会創立10年記念出版委員会/編 大阪府建築士会,1962.11) 『大阪ガイド』 (牧村 史陽/著 東京法令出版,1961.9)P.35 『大阪市概観』 ([大阪市役所/編] 大阪市役所,1932.11)P.19-21 『大阪市政70年の歩み』(大阪市行政局/編 大阪市役所,1959.4)P.50-52 等が参考になる。参考資料:当館書誌ID 大阪の建築ガイドブック 大阪府建築士会創立10年記念出版委員会/編 大阪府建築士会 1962.11, 参考資料:当館書誌ID 大阪ガイド 牧村 史陽/著 東京法令出版 1961.9, 参考資料:当館書誌ID 大阪市政70年の歩み 大阪市行政局/編 大阪市役所 1959.4, 参考資料:『大阪市概観』 [大阪市役所/編] 大阪市役所,1932.11 , 備考:『昭和39年 大阪市立中央図書館 調査相談 ...
昭和39年頃の大阪における食料品、繊維、化学、金属、機械などの産業別による事業所数と生産高を知りたい。(大阪市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/4/1 16:05:45)
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大阪府を単位とした資料としては、 『大阪経済年鑑 昭和39年版』 (大阪商工会議所/共編 大阪経済調査会/共編 大阪商工会議所,1963)P.318 産業別事業所数、従業者数、製造品出荷額など、付加価値額の構成比と前年対比の項があり、食料品をはじめとする20種目にわたる業種について事業所数、製造品出荷額および従業者数などについて実数があり、なお、それぞれについて構成比も出ている。 また大阪市を単位とした資料では, 『大阪市統計書 第50回 昭和37年度』(大阪市行政局統計課/編 大阪市行政局,1963.3)P.76~77 製造工業の推移の項があり、昭和32年~36年にわたって食料品をはじめとする各業種につき事業所数、従業者数および製造品出荷額が出ている。参考資料:当館書誌ID 大阪経済年鑑 昭和39年版 大阪商工会議所/共編 大阪商工会議 ...
参考資料として下記があげられる。『大阪市学事統計 大正7-8年』 (大阪市役所学務課/編 大阪市役所学務課,1919.10)P.164 『大阪市学事統計 大正8-9年』(大阪市役所教育部/編 大阪市役所教育部,1919.3)P.202 市内及接続村町官 公立学校及図書館の項『大阪府学事職員録 昭和10年5月現在』 P.655 『大阪府産業教育七十周年記念誌』 (大阪府産業教育七十周年記念会実行委員会/編 大阪府産業教育七十周年記念会実行委員会,1956.6)P.9の「第3項 廃校となった産業諸学校 」上記より、「大阪市立実業高校」のことと思われる。同校は、大正8年1月21日創立、昭和15年に廃校となった。所在地は、大阪市北区玉江町2丁目(3丁目と書いた資料もある,昭和53年に中之島5丁目となった)で、創立当時の校長は、岡篤郎となっている。参考資料:当館書誌ID 大阪市学事統計 大 ...
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