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甲斐武田氏に相伝した「小狐丸」という刀剣について書かれている資料があるか。小狐丸は八幡神社に奉納されたこともあるようだ。(山梨県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 14:32:03)
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参考資料をご確認ください。回答プロセス:1.『山梨百科事典』(山梨日日新聞社/編集・発行 1989年)〈資料番号0103544193〉を確認するが、「小狐丸」の項目なし。2.「甲斐国志」を確認。次の部分に「小狐丸」に関する記述があった。・甲斐国志 巻之五十五 神社部第一「八幡宮」の項に、「太刀一口」として「小狐丸」に関する記述がある。※『大日本地誌大系 46 甲斐国志 3』(雄山閣 1998年)〈資料番号0103540423〉p.3上段※国立国会図書館デジタルコレクション一般公開https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1240877/6(133コマ左頁)・甲斐国志 巻之九十五 人物部第四「武田右馬助信長」の項に、「〇江草兵庫介信泰 一ニ造信康」があり「小狐ノ太刀」に関する記述がある。※『大日本地誌大系 47 甲斐国志 4』(雄山閣 1998年)〈資料番号0103540472〉p.65下段※国立 ...
山梨県の郷土食「ほうとう(餺飥)」の起源について書かれた図書を紹介してほしい。また、賈思勰(か しきょう)の「斉民要術」や慈覚大師円仁の「入唐求法巡礼」等に「餺飥」についての記述があるが、円仁以降、どのような経緯を経て甲州名物になったのかについて知りたい。(山梨県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 14:19:46)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 14:19:46)
ほうとうなどの日本の麺類の起源は中国で、賈思勰(か しきょう)の『斉民要術』(北魏時代・6世紀)に餺飥の調理方法が書かれている。また、日本人によるもっとも古い記録は円仁の『入唐求法巡礼行記』(9世紀)で、839(承和6)年に唐で餺飥を食べたことが記録されている。このときに円仁が食べた餺飥が日本に伝わったのは平安時代。円仁が延暦寺に伝えた可能性があるが、戦国時代の戦禍により寺の記録は焼失している。 それ以降の変遷については、『日本めん食文化一三〇〇年』(奥村 彪生/著 農山漁村文化協会 2009年)によると、平安時代の「和名類聚抄」(承平年間・10世紀)に餺飥(はくたく/ほうとう)の記述がある。また「枕草子」因能本には、「ほうちょう」という名でほうとうが出てくるが、この「ほうちょう」が山梨県 ...
『昭和時代 戦前・戦中期』(読売新聞昭和時代プロジェクト/著 中央公論新社 2014)※貸出用図書ありP.229~239 20 五・一五事件『犯罪の大昭和史 戦前』(文藝春秋/編 文藝春秋 2016)※貸出用図書ありP.227~245 五・一五事件回答プロセス:百科事典や辞書で、各内容の概要を確認。「5.15事件」に関しては、自館OPACにて件名+郷土資料で絞込み検索、関連資料の調査。各資料の参考文献に紹介されていた、各市町村史を確認した。【以下、案内には使用しなかったが確認した資料一覧】「茨城歴史人物索引(参考用)」『茨城県大百科事典』(茨城新聞社/編 茨城新聞社 1981)…各項目『日本大百科全書 21 へき‐ます』(小学館 1988)『日本大百科全書 5 かく-かる』(小学館 1988)『日本大百科全書 8 け-こうの』(小学館 1988)『日本歴 ...
『下館市史 下巻』(下館市史編纂委員会/編纂 大和学芸図書 1982)※貸出用図書ありP.73~113 第一編 最近世・現代 第四章 自由民権運動と加波山事件P.77 第二節 自由党の弾圧と福島事件…加波山事件の発端となったとされる福島事件の説明があります。P.79~113 「第三節 加波山事件の発端」から「第六節 事件の意義」にかけて、加波山事件についての記述があります。 『常陽芸文 2012年7月号』 ※貸出用図書ありP.1~11 芸文風土記 富松正安と加波山事件…加波山事件に関して、簡潔にまとめてあります。『加波山事件[ふるさと文庫]』(加波山事件研究会/編 池田 峰雄/解説 1979)※貸出用図書ありP.1~15 第一章 加波山事件のあらましP.16~54 第二章 加波山事件の背景 に、概略がまとめられています。回答プロセス:百科事典や辞書で、各 ...
茨城県内から北海道開拓など(人事異動等ではない)自ら大志を抱いて渡道し、その後何らかの理由で帰郷された方々の中で後年の郷里での活躍が、児童・生徒用の郷土史の副読本・郷土読本・地域史(誌)等に取り上げられたことがある先人について調べてほしい。時代は明治時代から戦前。(茨城県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 14:14:07)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 14:14:07)
該当する茨城県民は見つかりませんでした。参考に、関連する人物をご紹介します。1 職務等のため渡道し、県や市の教育委員会が出版した図書に掲載されている茨城県人(1)野口雨情(童謡・民謡詩人)1882-1945 北茨城市出身『郷土の先人に学ぶ』(茨城県教育委員会 1986)【貸出用図書あり】p.224-241 野口雨情『詩人野口雨情』(長島 和太郎/著 有峰書店新社 1981)【貸出用図書あり】p.308 あとがき 冒頭に概略があります。(2)間宮林蔵(探検家)1780-1844 伊奈町出身(現つくばみらい市)『郷土の先人に学ぶ』(茨城県教育委員会 1986)【貸出用図書あり】p.124-141 間宮林蔵『間宮林蔵』(伊奈町教育委員会(茨城県)/編 伊奈町教育委員会 〔19‐‐〕)【館内閲覧のみ】p.1(3)木村謙次(北辺探検家)1752-1811 水府村出身(現常陸太田市)『郷土 ...
下記の期間の徳川幕府将軍・天皇・総理大臣の代(第〇代)・名前・在位期間を知りたい。(1)1791年~1868年(明治維新)の徳川幕府将軍と天皇(2)1868年~1945年(終戦)の総理大臣と天皇(3)1945年~現在までの総理大臣と天皇(茨城県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 14:14:07)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 14:14:07)
1.1791~1868年(明治維新)〔代・名前・在職期間の順で記載〕(1)徳川幕府将軍 第11代 家斉 天明七(一七八七).四.一五 ~ 天保八(一八三七).四.二 第12代 家慶 天保八(一八三七).九.二 ~ 嘉永六(一八五三).七.二二 第13代 家定 嘉永六(一八五三).一一.二三 ~ 安政五(一八五八).八.八 第14代 家茂 安政五(一八五八).一二.一 ~ 慶応二(一八六六).八.二〇 第15代 慶喜 慶応二(一八六六).一二.五 ~ 慶応三(一八六七).一二.一二(欄 外) 在職年代は便宜上、将軍宣下より隠退あるいは死没までを記した。 在職は家治・家慶・家定・家茂ともに発喪の日までとした。(2)天皇 〔代・名称・異称・践祚・即位・譲位/崩御・在位年数の順で記載〕なお、「践祚」とは、『広辞苑』(新村 出/編 岩波 ...
(1)『日本のふるさとことば集成 第4巻 茨城・栃木』(国立国語研究所/編集 国書刊行会 2002)Ⅰ.茨城県水戸市1982 p.14-19 解説「各地方方言収集緊急調査」が行なわれた水戸市上国井町の概観や方言の特色について説明されている。(2)『ごじゃっペディア』(青木 智也/著 茨城新聞社 2011)第1章 基礎文法編 茨城弁の文法をマスターしよう(p.24-95)小見出しで茨城弁の特徴が説明されている。回答プロセス:郷土資料の方言(L818)の書架をブラウジング参考資料:国立国語研究所 編 , 国立国語研究所. 日本のふるさとことば集成 : 全国方言談話データベース 第4巻. 国書刊行会, 2002. (国立国語研究所資料集 ; 13-4)https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008224670-00, 4336043647参考資料:青木智也 著 , 青木, 智也, 1973-. ごじゃっペディア : 楽しく学ぶ茨城弁. 茨城新 ...
皆川朝吉『東湖先生之半面 : 一名・東湖書簡集』のP.136~137の記述に出てくる「澤三郎」という人物を知りたい。(茨城県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 14:14:06)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 14:14:06)
1 澤三郎について確認できた資料(1)『木下い村日記 (一) 』(島 善高 早稲田社会科学総合研究・第13巻第2号 早稲田大学社会科学学会 p.1-28 2012) ※い村の「い」は韋に華http://irdb.nii.ac.jp/00835/0002064387 PDFファイルで閲覧可p.1-2の記述から、木下い村(一八〇五~一八六七)とは熊本藩校時習館の訓導であり、木下い村日記は天保十一(一八四〇)年九月四日から慶応三(一八六七)年三月十八日に至るまでの二十七年間、殆ど途切れることなく編年体で綴られている日記です。こちらの論文は、その木下い村日記を翻刻したものになります。■澤三郎についての記述がある日記記事の年月日は以下のとおりです。・『木下い村日記 (一) 』p.20-21 天保十二年丑正月 十四日 ・『木下い村日記 (二) 』(島 善高 早稲田社会科学総合研究・第13巻 ...
1.五來欣造の家族や履歴についての参考資料(1)『人事興信録 第13版 上』(人事興信所/編 昭和16) 【国立国会図書館デジタルコレクション インターネット公開】704コマ https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3430443/704コ之部 コ 九三 五來欣造五來欣造の家族や、履歴に関する記述がありました。(2)『日本近現代人物履歴事典』(秦 郁彦/編 東京大学出版会 2013)【館内閲覧のみ】p.251-252 1343 五来 欣造 [茨城]五來欣造の家族や、履歴に関する記述がありました。(3)『日本人物レファレンス事典 政治・外交篇〈近現代〉あ~そ』(日外アソシエーツ株式会社/編集 日外アソシエーツ 2014)【館内閲覧のみ】p.505 五來欣造日本の政治・外交分野の人物が、どの事典にどんな名前で掲載されているかが、記載された総索引事典です。「五來欣造」や、別名 ...
1.大日本史(大友皇子の項)で書き下し文が載っている資料はあるか2.「大友皇子」は水戸学では「弘文天皇」として天皇の位に位置付けられている。そのことは一般的には水戸学によって歴史が捻じ曲げられたと解釈されているが、関連する本はあるか。(水戸学から見た「大友皇子」について)(茨城県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 14:14:06)
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1.大日本史(大友皇子の項)書き下し文と注記の載っている資料『訳註大日本史 1 本紀』(徳川 光圀/〔編〕 川崎 紫山/訳註 大日本史普及会 1964)※館内閲覧のみ 卷之十 本紀第十 弘文天皇(P.106~109)2.水戸学から見た「大友皇子」について書かれている資料(1)『水戸市史 中巻1』(水戸市史編さん委員会/編 水戸市役所 1991)※貸出用図書ありP.754~780 第五章 光圀の文教振興と宗教政策(一) 第四節 大日本史の思想特にP.766三大特筆の意義の項目では、「日本書紀」の編纂方針についての光圀の考えや、大友皇子の即位を立証するために文献を集め、それに基づき本紀に記載されたという内容の記述があります。(2)『常陽藝文 2003年12月号 「大日本史」成立事情』※貸出用図書あり大日本史に関して、水戸市史やその他文献に書 ...
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