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【医王山大沼付近の伝説について】 室生犀星の作品に『不思議な国の話』というのがある。医王山行った娘が帰ってきたら何かにとりつかれたように人が変わり、最後は行方不明になるというものだ。もとになった伝説が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:33:58)
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・雑誌『金の鳥 1922年4~6月号』に掲載された作品で、国立国会図書館デジタルコレクションでも閲覧できる、との情報提供が利用者よりあった。・医王山がテーマの本、石川県の民話が収録されている本を確認し、次の資料から「医王山の大沼」の伝説を紹介した。 『加賀・能登の伝説』(11826162) 『加賀の昔話』(109167537) 『金沢の民話と伝説』(11824201) 『医王山物語』(118458364) 『山の民物語』(118419580) 『医王山』(118338114)国立国会図書館デジタルコレクション『我が郷土の童話伝説』鏑木勢岐 著 加越能史談会/刊 いずれも金沢下堤町(または堤町)の大店の娘が病気になり、大沼の水で治るがそのお礼参りに医王山へ行った娘は、沼に落ち大蛇になった、という話であった。犀星は、娘を薬屋の娘に設定しているとのこと。下堤町の場所を地 ...
【野上祇麿が犀川画廊で開催した展覧会について】 富山県射水市生まれの洋画家、野上祇麿(のがみ ただまろ)について1 昭和49年(1974) 「犀川画廊企画展」に出品 昭和51年(1976) 「シュピーゲル展」に出品 この2つの展覧会の開催を伝える新聞記事等、文献資料がないか2 犀川画廊の会社概要、沿革等が確認できる文献資料がないか3 10/14追加・野上祇麿(のがみ ただまろ、昭和5年(1930)―平成29年(2017))が出品した展覧会(金沢市内[推定])について 昭和43年(1968
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:33:58)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:33:58)
・石川県立図書館の「石川県内新聞記事共同データベース」で「犀川画廊」を検索。 1997-11-25 女の目 女性の感性を生かして 基本は思いやり 心の安らぎを与える 金沢ミセスクラフト協会 中谷照子さん(画廊主) がヒットした。当該記事を北國新聞縮刷版で確認。・当館OPACで「中谷照子」をフルテキスト検索。 『私の人生抄 蘭の巻』(11912174)がヒット。 犀川画廊の設立に関する記述あり。・昭和49年、昭和51年の北國新聞縮刷版「きょうの催し」で、犀川画廊の展示会を順次確認。 昭和49年8月1日~に「伊藤公象・二人展」が開催されたとの記述あり。 昭和51年の催しに「シュピーゲル展」が見当たらず。 念のため昭和52年1~3月分も参照したところ、昭和52年2月1日~13日に当該展示会が 開催されたことの記述を発見した。・『石川の美術』(11947 ...
以下の資料を確認した。資料によって、最終運行日昭和42年2月10日を以て廃止としているものと、最終運行翌日の11日を以て廃止としている資料があった。『よみがえる記憶北陸の鉄路』(118619115)p.26「S42.2.11 全線廃止」、p.49「昭和42年2月10日の廃止時に、」とある。『金沢市史 通史編3 近代』(119958310)p.739「運行最終日である二月十日の最終電車発車時刻には、」とある。『金沢市内電車50年のあゆみ』(11909314)p.3「昭和42年2月10日限り、約半世紀にわたる歴史を閉じたのであります。」p.50「軌道金沢市内線の運輸営業を廃止し、バス輸送に切り替える。」とある。『金沢の百年 昭和続編』(119320633)には、「大正8年以来48年の歴史をもつ北鉄の市内電車が全面廃止された。」とある。『市電廃止記念』(118309050)巻頭「昭和42年2月10日かぎりで、金沢 ...
【足利義政の生花について】 足利義政が生花を生けていることについて書かれた資料を見たい。特に、撫子について書かれた資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:33:57)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:33:57)
以下の資料には、義政が同朋衆立阿弥に牡丹など花を立てさせていたことや、梅を愛好していたことに関する記述がある。なお、撫子に関する記述は確認されなかった。『日本花道史』(11927207)p.30~31『足利義政 日本美の発見』(112432745)p.175~176『いけばな史論考』(111834193)p.82~85『足利義政と東山文化』(113653043)p.157~158『歌・花・香と茶道』(113794266)p.108~109『いけばなハンドブック』(11069734)p.21~22『山根有三著作集 7 花道史研究』(119864519)p.16~17なお、各書で引用されている史料「蔭凉軒日録」は、『大日本仏教全書』133~136などに収録されている(当館には「蔭凉軒日録」を収録した資料の所蔵なし)。『大日本仏教全書』の戦前発行のものは、国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されている。【URL】https://dl.ndl.go.jp/p ...
【明治期の金沢の上野町の場所について】 先祖が明治期に上野に住んでいたことがわかっている。市役所で調査後、戸籍に書かれた住所(明治頃の上野町)の場所が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:33:57)
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明治頃の上野町は現在の小立野あたりである。上野町の歴史や由来は以下の資料に記載あり。・『角川日本地名大辞典』(118552562)・『さきうら』(119764317)・『いし曳』(119456767)・『小立野共和会百年史』(109219615)明治期の地番図は所蔵がなく、以下の地図を提供した。・『地図で見る金沢の変遷』(118365873) 明治42年頃・『金沢市史 資料編18』 別刷25「金沢市街図」(明治38年)
【数字の入った名前について】 五男であるが、利三郎という名前の人物がいる。三男ではないのに、なぜ利三郎なのか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:33:57)
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三郎や五郎など出生の順番を表した名前は、排行(輩行)名(はいこうめい)と言い、通称の一種にあたる。『日本人の姓・苗字・名前』(113271362)p.87によると、出生順に従うことが原則となっているが、必ずしも実際の出生順に従っていたとは限らないと記されている。排行名については、以下の資料に記載がある。『日本人の名前の歴史』(113833711)p.228~236「一般庶民の名前」『読みにくい名前はなぜ増えたか』(112930980)p.84~『苗字と名前の歴史』(112780829)p.72『日本人の名まえ』p.89~90では、八男である源義経を「源九郎」、曽我兄弟の兄を十郎、弟を五郎といった古い例や清河八郎が長男であったなどの、出生順と一致しない実例を紹介している。「単に「よくある男子の名」として、排行とは無関係に付けたのもあるらしい。」との記述 ...
【秀吉・利家の遺物の分配について】 1.慶長3年に前田邸で秀吉の遺物の分配が行われたことについて書かれた資料を見たい。2.前田利家の遺物の分配について書かれた資料を見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:33:57)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:33:57)
いずれについても、前田利家のことについて書かれた以下の資料に記載がある。『前田利家』(人物叢書新装版)(11826716)p.259~260、294~295同書の出典のひとつである「亜相公夜話」は『御夜話集 上編』(118511603)p.1~76に収録されている。『加賀藩史料 第1編』(11801624)p.577「遺物配分覚」、p.625「国祖遺言」なお、『加賀藩史料』は、東京大学史料編纂所の近世編年データベースで閲覧可能。【URL】https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/shipscontroller利家の遺物については、『前田利家 図説,前田育徳会の史料にみる』(118386176)「利家の遺書と子供達」、『前田利家のすべて』(118370837)「前田利家の遺品」、『加賀前田家と尊経閣文庫』(118581340)p.79~82にも記述がある。
図書館システムで「青木木米」とフルテキスト検索をかけたところ、『日本美術絵画全集 第21巻』(11027809)がヒットしたので、まずそちらを紹介した。また、郷土に関連する人物であるため石川県立美術館に作品が所蔵されていると考え『石川県立美術館所蔵品目録』(11916651)を確認したところ、青木木米の作品「染付?風箱香合」のモノクロ写真が掲載されていた。落款については、掲載されている資料を探すため図書館システムで「落款」と検索をかけ、検索結果のうち『日本書画 落款大事典』(118482270)が最も青木木米に近しい資料であると予想し内容の確認を行った。p.2には木米の落款とその読みが2種類掲載されていた。以上の資料を提供した。
【華道の「夏草秋萩」という言葉について】 華道で使われる「夏草秋萩(なつくさあきはぎ)」という言葉の意味や思想(考え方)を知りたいので、掲載されている資料がないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:33:56)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:33:56)
いけばなに関する以下の事典類を確認したが、「夏草秋萩」という言葉の掲載はなかった。・『いけばな総合大辞典』(11028130)・『いけばな辞典』(11007798)・『いけばな花材総事典』(11800745)・『いけばな草花辞典』(111864719)・『花知識・花用語 いけばな早わかり事典』(111897255)・『池坊いけばな花材事典』(11008347)このため、再度、質問者に確認したところ、華道稽古中に、先生の口から出た言葉であることがわかった。流派の考え方や華道の歴史に基づく言葉である可能性を考え、以下の資料を確認したが、「夏草秋萩」という言葉の掲載はなかった。・『柿屋の見たる花のいろいろ』(129431832)・『日本乃華道』(129788582)・『池坊四季生花秘伝』(129431977)・『日本いけばな文化史1』(118508125)・『花のこころ(池坊専永/篇)』(129431959)その後、質 ...
久徴館とは、明治中期、東京にあった加賀藩士子弟のための寄宿舎である。久徴館が寄宿舎であるということは、以下の資料に説明がある。『金沢市史 資料編15 学芸』p.257~『久徴館同窓会雑誌』に関する記述のところで、久徴館に関することも書かれている。『〔金沢文化振興財団〕研究紀要 第9号』(109153390)p.31~37「久徴館の意義―『久徴館同窓会雑誌』の翻刻―」冒頭で久徴館に関する説明がある。『市史かなざわ 第10号』(119856651)p.75~83「明治中期までの石川県教育の一面」『石川郷土史学会々誌 第47号』(109205567)p.89~91「加越能育英社の由来」育英社関係の資料にも記載がある。『育英社沿革誌』(118582982)p.13~14『財団法人加越能育英社百二十年史』(119662738)p.38~41
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