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次の本に関連の記述があります。① 『塩道と高瀬舟 陰陽交通路の発達と都市の構造変化』 富岡儀八/著 1973 古今書院 p.20~32に近畿西部の地域の塩の移送路について記述があります。② 『日本の塩道 その歴史地理学的研究』 富岡儀八/著 1978 古今書院 内容は①と重なっています。③ 『近世日本の塩』 広山堯道/著 1997 雄山閣出版 p.307~308に塩回送路の津居山・円山川・市川ルートについて記述があります。④ 『塩の道を探る』 富岡儀八/著 1983 岩波書店 p.103~104に関連記述があります。回答プロセス:まず、『姫路市史 第3巻 本編 近世1』 姫路市史編集専門委員会/編 1991 の3章6節にある塩の生産と流通についての部分をあたるが、市川・夢前川・揖保川の上流は明らかでないと書かれている。次に669の棚で③と④を見つける。③に参 ...
戦時中に今の姫路市立灘中学校の場所に陸軍の工場があり、今のJR御着駅からそこに専用の鉄道路線があったそうですが、それについて経緯、図面などわかる資料はありますか?(姫路市立城内図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/6/10 14:24:17)
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簡単な経緯および路線については、以下の資料に記載があります。図面は見つかりませんでした。・『松原郷土史シリーズ4 近・現代の松原』(1998年 寺脇弘光著 灘の松原自治会出版) P105「旧松原村地形変遷図④ 昭和22年」(昭和22年(1947年)の修正測量によって作られた地形図を略図化したもの)があり、線路導入の簡単な経緯の記載があります。・『歴史を刻む松原荘 姫路市白浜土地区画整理事業完工誌』(1979年 姫路市白浜土地区画整理組合) P146~147 「戦後間もないころの白浜地区」の地図と航空写真 地図上には鉄道路線の記載あり、航空写真では線路が確認できます。・『住宅案内図帳 姫路市的形四郷』(1961年 日本特殊地図協会) P1 地図上で、白浜(今の灘中学校付近)から御着駅までの路線あり。
造船の父と言われた、赤松則良の先祖について、教えて下さい。ウィキペディア の記載では、赤松義則の庶流の苗喬・則良とありますが、赤松家の本流ではない のでしょうか。また、 義則は名字帯刀を許されて、赤松になったそうですが、改名前はどのようだった のでしょうか。(姫路市立城内図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/6/10 14:24:17)
from レファレンス協同データベース (2025/6/10 14:24:17)
「赤松則良の先祖」について回答いたします。『赤松則良半生談』 赤松則良/著 平凡社/出版 によりますとp.4 「出生から成人まで」赤松則良の父・吉沢雄之進は播磨国網干の商家・赤松泰助(良則)の長男に生まれ、江戸に出て、町奉行筒井伊賀守(政憲)の目安方・吉沢久之進(資隆)の娘婿となっています。その後、雄之進の後妻・ますを母として則良が次男として生まれます。則良が7歳の時、父方の祖父・赤松泰助と父・雄之進が協議の上、則良を赤松氏の後継としています。p.248 「関係人物略伝」則良の実祖父・赤松泰助については、播磨国網干にて干鰯問屋、船主、米穀・綿布の売買、回漕業を兼ね、竜野藩の廻米御用達を勤め、苗字帯刀を許されるに及び祖先の赤松姓に復した。といった内容が記載されています。・赤松良 ...
戦時中に姫路市の仁寿山の北側で現在県立支援学校があるあたりに陸軍の弾薬庫(?)があり、終戦間際に爆撃をうけてかなりの大爆発があったらしいのですが、記録などありますか?(姫路市立城内図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/6/10 14:24:17)
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『きぎすの郷に生きて』(1987年 姫路市立四郷小学校) P78~80 昭和20年7月3日の姫路大空襲において爆撃された東阿保の火薬庫の記述があります。
明治初期、兵庫県姫路市付近に「宮置村」が存在したか。それは、いつ頃あったのかを知りたい。調べ方も。(姫路市立城内図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/6/10 14:24:17)
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調べ方としましては、地名辞典を調べていただければと思います。当館所蔵の『角川日本地名大辞典 28 兵庫県』で「宮置」を調べると、p.1449に記載があります。(以下抜粋)みやおき 宮置〈夢前町〉 夢前川中流域右岸に位置する。〔近代〕宮置村 明治9~22年の村名。飾西郡のうち。明治9年町村と中村が合併して成立。(中略)明治22年置塩村の大字となる。
姫路市大塩にあった塩田が廃止された後、土地利用や開発の計画としてどのようなものがあり、どのように計画は変化してきたか。(姫路市立城内図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/6/10 14:24:17)
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当館所蔵の資料をお調べしたところ、姫路市の都市計画として以下のものがあります。その中に少しずつですが、大塩についての記載が確認できました。①『姫路港振興計画策定にかかわる調査研究報告書 昭和58年1月』 姫路港振興策々定委員会/編 1983年 姫路港振興策々定委員会/出版 p.14 姫路港の現況 (6)白浜地区②『姫路の都市計画 [平成5年版]』 姫路市都市局計画部都市計画課/編集 1993年 姫路市都市局計画部都市計画課/出版 p.42 Ⅸ都市づくり 3.港湾整備③『姫路の都市計画 [平成8年版]』 姫路市都市局計画部都市計画課/編集 1996年 姫路市都市局計画部都市計画課/出版 p.46 Ⅸ都市づくり 3.港湾整備④『姫路市都市計画マスタープラン』 姫路市都市局計画部都市計画課/編 2006年 姫路市都市局計画部都市計画 ...
戦時中に播但線の仁豊野と香呂の間から北西に分岐し、現在福崎の工業団地があるあたりまで軍用鉄道があり、終点は弾薬庫で、戦後アメリカ軍の接収作業中に爆発事故があり死傷者がたくさん出たそうですが、地図や記録はありますか?(姫路市立城内図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/6/10 14:24:17)
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『福崎町史 第2巻 本文編』(1995年 福崎町)P544~547 P571~574によると、 福崎の工業団地付近には戦時中、大阪陸軍航空補給廠姫路出張所 通称「高橋の弾薬庫」があり、播但線の溝口駅から鉄道の引込線が開通(1943年)していたようです。爆発事故についての記述はありません。鉄道の路線図は見つかりませんでした。
姫路市における燐寸製造業について、明治後期~昭和後期に存在した企業数および企業名を年度別に把握できる資料を知りたい。姫路市域には旧飾磨郡等を含む。『姫路市史』第五巻上の700頁に明治42年の主要工場リストがあり、年度推移を調べるには同リストの典拠の『工場通覧』を年度別に参照していく必要があると思われる。あるいは企業数に限れば、県や市の統計資料等が利用可能かもしれない。(姫路市立城内図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/6/10 14:24:16)
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姫路市立図書館の所蔵資料では以下の資料があります。『工場通覧 1 明治三十七年刊』『工場通覧 2 明治三十九年刊』『工場通覧 3 明治四十二年刊』『工場通覧 4 明治四十四年刊』『工場通覧 5 大正七年刊』『工場通覧 6 大正八年刊』『工場通覧 7 大正九年刊』『工場通覧 8 大正十年刊』『兵庫県会社一覧 昭和4年12月末日現在』『兵庫県会社一覧 昭和8年12月末日現在』『兵庫県会社一覧 昭和9年12月末日現在』『姫路商工名鑑 昭和23年度版』『姫路経済概要 1956年版』 p.209~212『姫路商工名鑑 昭和38年版』『姫路商工名鑑 1968(昭和43年版)』『姫路商工名鑑 1971(昭和46年版)』『姫路商工名鑑 1977(昭和52年版)』『姫路商工名鑑 昭和55年度版』『姫路商工名鑑 昭和58年度 ...
中根寅松(寅之助)が1851年頃書写山坐主に読書習字を習っていたという事実について知りたい。中根寅之助は後松尾臣善に改め、第六代日本銀行総裁になっている人物。(姫路市立城内図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/6/10 14:24:16)
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『現代兵庫縣人物史』(田住豊四郎/編 縣友社/出版 1911年) 「男爵松尾臣善君」の項(p.13~21) の中に以下の記載が確認できました。 p.17「賀状(略)君は天保十四年癸卯二月六日を以て播磨國加西郡横田村に�生る(略) 幼名寅松後寅之助と改む年甫て九書寫山座主に就き讀書習字の業を受�く(略)」 これは松尾臣善の還暦の際に贈られた祝詞の賀状とのことです。
永田秀次郎の旧制姫路中学校の入学・卒業年はいつか。永田秀次郎は兵庫県三原郡長田村生まれ。 旧制姫路中学校を卒業。 第三高等学校法学部卒業。 東京市市長などを歴任した。(姫路市立城内図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/6/10 14:24:16)
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当館の資料を調査したところ①『姫路中学校校友会〃報 78』 兵庫県立姫路中学校校友会/編 1921年(資料№0130270804)の「最近最院移動欄」の中のp.109に 略永田秀次郎(六) 東京市助役に 略②『会員名簿』 1929年 姫中校友会 (資料№0130291370) 「住所録」の中のp.27に第六回 廿一名 (明治廿八年卒業) 略永田秀次郎 法得(京)、貴族院議員 東京市小石川區雜司ヶ谷八三 略③『会員名簿 昭和十五年度』 兵庫県立姫路中学校校友会/[編] 1940年 兵庫県立姫路中学校校友会/出版 姫中校友会会報百三号 (資料№0130249345) 「会員名簿」の中のp.16に第六回 (明治廿八年度 三十一名 ○二十一名) 略永田秀次郎 三法 前鐵道大臣 拓務大臣 貴族院議員 帝國教育會々長 東京市小石川區雜司ヶ谷八三 略④『学校人脈 姫路中~姫路西校』 神戸新聞社/ ...
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