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【雛人形について】 ①『名家秘蔵 雛と雛道具』(11014101)p.11雛壇の写真5段目に座っている左の人が持っている棒のようなものは何か。(こども図書館に展示してあった雛壇を見て来館)②同資料の写真で、眉が4つある人形があるのはなぜか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:32:01)
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①について〇『雛まつり 親から子に伝える思い』(112918903)p.16-17写真と、7段飾りの例の説明あり。「5段目には左近の桜、右近の橘、仕丁(しちょう)の三人が並ぶ。」〇『日本の年中行事』(630185270)p.11写真と、仕丁の説明あり。「三仕丁(さんじちょう)「衛士(えじ)」「使役(しえき)」「力役(りきえき)」で、宮中の雑用係といった人たちです。向かって左に「台笠(だいがさ)」を持ったおこり顔の人を、まん中に「沓台(くつだい)」を持った泣きべそ顔の人を、向かって右に「立傘(たてがさ)」を持った笑い顔の人をすわらせます。」〇『近世風俗志 守貞謾稿 4』(112306113)p.348イラストと、台笠の説明あり。〇『広辞苑』第6版(112852866)p.1673 台笠「大名行列などのとき、袋に入れて棒をつけ、供のものに持たせた被笠」p.1741 立傘・立笠「江戸時代、長 ...
【銀行頭取の写真について】 吉田外茂(ヨシダトモ、昭和3年死去、竪町にあった銀行の頭取)の地元経済界での集合写真を探している。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:32:01)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:32:01)
まず吉田外茂がどこの銀行の頭取だったかを調べた。石川県関係人物文献検索で見つけた『北陸人物名鑑』(118406107)p.107によると、吉田外茂は河北郡花園村才田の出身で、吉田銀行の頭取であったとのこと。『石川県銀行誌』(11801951)p.184-185によると、吉田銀行は明治32年2月に金沢市森下町に吉田次太郎(才田村出身)によって設立され、昭和5年良川銀行と合併し金沢商業銀行となった。『〔北陸銀行〕創業百年史』(109042800)p.492によると、吉田銀行は明治32年2月13日に吉田次太郎によって設立され、大正9年7月株式会社となった(初代頭取吉田外茂、ただし同頁掲載の新聞広告では6月1日開業と記されている)。金沢商業銀行は昭和14年4月に中越銀行と合併し(同p.491)、中越銀行は昭和18年7月十二銀行他3行と合併し北陸銀行となった(同p.547-553)。以上か ...
『金沢の老舗』(118413003)p.193-195「65 すきやきのト一亭」『老舗百年』(11909605)p.50「浅野川方面のスキヤキ元祖ト一亭」『金沢商工人名録 昭和3年版』(119503114)p.38「ト一事並木楼」『百万石味どころ 金沢・能登・加賀』(119321846)p.38-39「日本で三番目のスキ焼屋 ト一亭」『くいしん坊城下町金沢』(11929140)p.98-99「ト一亭」『百万石食べあるき』(118281737)p.65-66「ト一亭(金沢市)すき焼」『北陸三県実況案内』(118572402)金沢市街家景「〔写真〕御料理 牛肉元祖 ト一亭」『尾張町界隈の老舗と名所の由来』(11918305)p.41-42「ト一亭 橋場町四の一二」『金沢百年 町名を辿る』(119334639)p.136-137「橋場町 藩政期ののれん残す」「「ト一亭」は、明治初期に店開きしたものだが、洋風の三階建ては非常に珍しがられ「三階さん」の愛称で親しまれた」(石川県内新聞 ...
北國新聞データベースによると、東金沢駅が移転したのは2002年10月なので、桜の木があったのはそれ以前ということになる。北国新聞データベースで東金沢駅の写真が掲載された記事を探したが、桜の木が写ったものは見つからなかった。ただし、2002年10月18日の記事に「駅前の桜の大木も見事で、毎年新入生が登場するころに満開となり、通学生らには美しい思い出となっている」と記されており、東金沢駅の桜の木が大木であったことがわかる。インターネット検索では以下のページが見つかった。地上駅舎だった頃の東金沢駅【URL】http://kukanzeneki.net/all/ka-to/1f.html東金沢駅で、懐旧の木造駅舎のころ写真展【URL】http://blogs.yahoo.co.jp/coomk1051/64966594.html旧東金沢駅跡付近は今・・・【URL】http://suguru.fc2web.com/kyuhigashikanazawa2.htm旧東金沢駅舎が写 ...
【金沢の代表的な建築物について】 昭和60年代以降の金沢における代表的な建築物(公共施設など)の建築年代を追うことのできる資料が見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:32:00)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:32:00)
○雑誌『石川建築士』(99-112号欠)『建築かなざわ』、『建築行政事務統計』 表紙に代表的な建造物の写真を掲載する。○図書『石川県建築士会30周年のあゆみ』(11911145)『石川県建築士会創立35周年記念作品集』(11918177) 1981~1985中部建築賞受賞作品集、1979~85石川県建築賞入賞作品集を掲載する。『創立50周年記念誌 知命に立ちて』(119756119) 1950年から2000年までの主要建築物を掲載する。『金沢都市美文化賞』第1回~○ホームページ「いしかわ景観大賞 > 過去の受賞作品」(平成6年度~平成27年度)【URL】https://www.pref.ishikawa.lg.jp/toshi/keikan/taisyo_kako.html「金沢都市美文化賞」(昭和53年度~平成27年度)【URL】http://www.kanazawa-cci.or.jp/toshibi/
【長氏屋敷図について】 『写真図説金沢の500年』p.58に掲載されている「3万3000石長氏屋敷」という図版の出典が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:32:00)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:32:00)
『稿本金沢市史 市街編第2』(119564183)p.410-411間に「国老長氏の邸宅」というタイトルで同図版が掲載されている。『金沢市文化財紀要 298 石川県金沢市長家上屋敷跡調査報告書』(109212679)表紙にも同図版が掲載されている。これはp.32「第5章 長家上屋敷関連文書・絵図の記録保存」の第8表「長家上屋敷関連文書・絵図の記録保存絵図一覧」No.9「長氏邸絵図」(四井芦雪写)を指すと思われ、穴水町歴史民俗資料館が保管している。『長家史料目録』(11900889)p.116にも「長氏邸絵図」(四井芦雪写)と記されている。
『加賀藩史料 編外備考』p.78「礼(ミチ」「慰(ヤス)」『加能郷土辞彙』(改訂増補)p.838「礼(ミチ)・初め睦・度。安政元年11月朔日金沢に生まる。母は久徳氏。文久2年7月会津侯松平容保に婚約したが、明治4年約を解き、6年2月21日華族榊原政敬に嫁した。32年12月2日没、享年46」「慰(ヤス)・初め斐。元治元年2月8日金沢に生まる。母は久徳氏。明治13年11月11日有栖川宮威仁親王妃となる」『加賀前田家の母と姫』皆森 礼子/著(109107136) p.250「礼姫は初め睦、度。文久2年(1861)会津藩主松平容保と婚約、容保は京都守護職となり、幕末の勤皇と幕府の争いの中に巻き込まれ、そのなかに姫は捨て置かれ、明治4年(1871)にやっと婚約が解消された。同6年2月子爵榊原政敬に嫁ぐ」、p.252「慰姫は井波の瑞泉寺へ預けられ、後、富山新湊の豪商、宮林彦九郎 ...
【時計師について】 江戸時代の石川県の旧藩における藩政日記や日録と云った藩の記録、分限帳、諸職人の記録などから、職人としての時計師の存在やその事績について、教えてほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:31:59)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:31:59)
〇藩の記録、分限帳『加賀藩御細工所の研究 1』(119617509)に諸記録、分限帳の翻刻が収録されている。底本及びその他の関連史料については、近世史料館ホームページに掲載されている『加越能文庫解説目録』を参照のこと。【URL】https://www2.lib.kanazawa.ishikawa.jp/kinsei/archive.htm〇諸職人の記録金工の御用職人であった水野源六家の史料が『金沢金工師水野源六家史料』(109072587)として翻刻・紹介されているが、時計に関する記述は見つけられなかった。〇職人としての時計師の存在やその事績『からくり師大野弁吉とその時代』(118492482)本康 宏史/著 p.18-22「時刻制度(時鐘法)の改正」に、遠藤高璟らによる時刻改正の沿革がまとめられている。その中に「正時版」という時計を制作した「金沢竪町住 時計師與右衛門」「御時計師治助」の名がみえ ...
○寺町『ふるさと写真館』(118505956)p.45「松月寺の大桜」(明治30年頃、大正6年頃、大正13年頃)、p.124-125「野町広小路界隈」(金沢市野田寺町5丁目(現在のつば甚前付近)から眺めた野町広小路、金沢市広小路から寺町を望む)『金沢のいまむかし 写真と地図でみる』(118498145)p.20-21「寺町台地より市街地中心方向のまちの姿」(昭和8年、望楼付きの木造三階建ての建物)『写真集明治大正昭和金沢』(109152230)p.15「寺町の松月寺大桜付近」(大正期、大正末-昭和初期)○飛梅町『ふるさと写真館』p.56-57「金沢第二中学校」(明治頃)『北陸鉄道の歩み』(119561898)p.30「市内電車開通前の石引町」(大正6年)、「同市内電車開通後のもの」『石川百年』(109204668)p.13「大正初期の金沢市出羽町」『写真集 明治大正昭和 金沢』p.8-9「石引町」(市電開通前・後)○石引町『 ...
【米丸村、西蚊爪村の先祖調査について】 明治初期に金沢の米丸村に住んでいた中岸家、西蚊爪村に住んでいた門谷家を調査している。江戸時代の米丸村、西蚊爪村の居住者が分かる史料や、村の様子が分かる地誌などの資料はないか。また、中岸家は足軽であったとのことなので、藩士の名簿類があれば教えてほしい。金沢の苗字に関する資料も探している。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:31:59)
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(1) 中岸家について利用者から提供された情報は以下のとおり。a.中岸家は加賀藩の足軽であった。b.明治初期の戸籍謄本によると「米丸村字中4-62番地」が本籍地で、中岸源右エ門、中岸徳三郎という人物が先祖である。c.昭和に入り、中岸金男という人物が千日町に転居して中岸鉄工所という会社を経営している。a.藩士(足軽)の名簿『加賀藩組分侍帳』、『石川県史 第2編』、『加賀藩士人別帳』は閲覧済みとのこと。『加越能文庫解説目録 上巻』所収の「先祖由緒并一類附帳」に中岸姓なし。b.本籍地『角川日本地名大辞典 17 石川県』p.955「米丸村」によると、「米丸村大字中」は現在の金沢市中村町に相当する。p.650「中村町」に「もとは米丸村大字中」とある。『金沢市住居表示新旧対照表 5』(119117853)p.1356によると、旧の中村町4丁目62 ...
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