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【樫田吉蔵について】 樫田吉蔵について書かれた資料はないか。「加能郷土辞彙」に五色生菓子を作って、献上したと書かれていた。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:32:07)
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『生菓子屋読本』(119564085)p.9菓子屋吉蔵が代々博労町に住む。家柄町人、苗字帯刀を許され樫田氏と称した。珠姫輿入れの際、五色生菓子を献上した。明治43年頃金沢菓子組合長。明治末期閉店した。『金沢古蹟志 第11編』(119865973)巻29 p.3樫田吉蔵伝に同様の記載あり。『城下町金沢 封建制下の都市計画と町人社会』(118412347)p.132『昔の金沢』p.135 明治24、5年頃廃業『金沢叢語』上p.72 「生菓子の起源は分明しないが藩主利長のとき利長の好みによりて博労町の菓子商樫田が一手に創製したものであるといふ」『温故集録 2』p.374 2代目吉蔵の由来書によると、玉姫の逝去後36年間毎月菓子を霊供として天徳院に持参したとのこと。『金沢町名帳』p.202 「散算用聞役・菓子商売 菓子屋吉蔵」と書かれている。『金沢の百年 明治編』(市史年表) (1198714 ...
・『こども金沢市史』(109163823)p.127・『参勤交代道中記』(118310820)p.〔4〕-〔5〕・『加賀百万石と中山道の旅』(112836503)p.212-213・『道中記集成』18・25・26巻
『金沢市教育史稿』(118290979)p.558、『耕稼春秋』(11913683)解説、『農業図絵』(11822585)解説、『ふるさと人物伝』(118527452)p.230、『書府太郎 上巻』p.120に「義休」の読みなし。『こども石川県史 人物編』p.55によると、義休は「よしすけ」と読む。
『茶道具の世界 6 棗』(112213613)p.72「武蔵野蒔絵面中次[むさしのまきえめんなかつぎ]」(図版あり)、「武蔵野は月の入るべき峰もなし尾花がすゑにかかる白雲」の歌意を表現したものと推測されている。以下の文献に武蔵野蒔絵の図版掲載なし。『現代茶入・棗集』(112065486)『草人木書苑 茶道美術 薄茶器』(109094950)『図解茶道具事典』(111702336)p.452「武蔵野鷲棗(むさしのわしなつめ)」によると、竹木地を春慶塗にし、銀のやすり粉で月を、黒漆粉で薄を蒔絵にした非常に小さい棗。三代宗哲の作とのことだったので、以下の文献にも当たったが、武蔵野蒔絵への言及はなかった。『塗り物かたり』中村宗哲/著(112260749)『漆の美 中村宗哲家の歴代』(112560950)棗ではないが、武蔵野蒔絵に言及したものに『日本の意匠 2 秋草』p.141「武蔵野蒔絵 ...
【『長町界わいの家』という文献について】 『長町界隈の侍帳』(119553410)の参考文献『長町界わいの家』(山森 青硯著)という文献はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:32:06)
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国立国会図書館サーチ、CiNiiで検索したが、該当なし。『石川郷土史学会々誌 第25号』(119411003)p.194-195の「山森専吉(青硯)氏著作」にも該当なし。『石川郷土史学会々誌 第25号』p.190の追悼文(「追悼・山森副会長」山本久著)に「氏が校下に住まわれる長土塀校記念誌は、當に氏の力をお借り、(中略)「ながどへい」を発刊」と記載あり。『ながどへい』(11918264)を確認したが『長町界わいの家』に該当しそうな記載は見当たらず。長土塀の公民館連合会会長に問合せたところ、山森青硯氏の所蔵していた本は、現在長土塀に住む遺族のもとにあることを確認した。
『金沢町家再生活用事業』(109225229)(パンフレット、ホームページでも閲覧可能)に「金沢町家再生活用事業対象区域」の地図が掲載されているが、具体的な町名は記載されていない。【URL】http://www4.city.kanazawa.lg.jp/11107/machiya/金沢市公式ホームページ「歴史的建造物・まちなみ」に掲載の「金澤町家再生活用事業対象建築物認定要綱」別表に、認定を受けられる区域の町名が掲載されている。【URL】http://www4.city.kanazawa.lg.jp/11201/rekishitoshi/kentiku.html第2条によると、認定を受けられるのは別表に掲げた町名のうち、伝建地区等を除いた区域の建築物である。
【白山曼荼羅について】 那谷寺の史料が掲載された本が見たい。『図説白山信仰』p.138-139に掲載されている那谷寺の白山曼荼羅図に書き込まれた詞書を翻刻した資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:32:05)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:32:05)
那谷寺の史料を掲載したものに『新修小松市史 資料編9 寺社』(109111308)口絵5・6・7、p.9-21、『加南地方史研究 第58号』(109131300)p.51-56「(史料紹介)小松市 那谷寺文書について(一)」、『加南地方史研究 第60号』(109175539)p.60-65「(史料紹介)小松市 那谷寺文書について(二)」、『小松市立博物館研究紀要 第7号』(109229756)p.1-35「那谷寺記録管見」があるが、白山曼荼羅は掲載されていない。白山曼荼羅に関する文献は以下のとおり。『白山を中心とする文化財(石川県)』(11916627)p.62「辰口町の木津茂氏蔵の白山曼荼羅図」『山岳まんだらの世界』(11093501)川口久雄/著 口絵「辰口本 白山参詣まんだら」、p.55-103「白山の神々と白山権現講式」、p.109-132「白山曼荼羅の諸本と布橋勧請」で辰口本等の白山曼荼羅を紹介する。「内閣文庫本 賀州白山之絵図」 ...
日本古典籍総合目録で検索したところ、著者が原淇園(元寅)という人物であることがわかった。所蔵機関なし。【URL】http://base1.nijl.ac.jp/~tkoten/『加能郷土辞彙』(初版)p.689「原元寅」によると、880石を領し、馬廻頭などを歴任し、享保13年78歳で没した。学を室鳩巣に学び、書を山本基庸に学んだ。また詩林雑纂数十巻を編み、加賀藩文学の士の詩什を輯めたとのこと。<追記>『日本人物情報大系 48 学芸編 8』(113249601)p.450「近世漢学者著述目録大成」p.418「原淇園」著述に「詩林雑纂」が掲載されている。出典は「燕台風雅」である。『燕台風雅 3』(119555836)巻之四 8丁裏~9丁表に原元寅の略歴及び著述目録が掲載されている。国立国会図書館デジタルコレクションでも閲覧できる。【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1082705/1/47
【森田柿園の著書について】 森田柿園の著書、『加賀志徴』・『能登志徴』などの「志徴」とはどういう意味か知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:32:05)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:32:05)
『広辞苑』等の辞書に「志徴」という熟語なし。よって、「志」と「徴」に分けて、それぞれの意味を確認した。『広辞苑 第6版』p.1184「志 ①(「誌」に通用)書き記すこと。記録。(中略)②紀伝体の歴史書中、本紀・列伝とは別に、天文・地理・財政・礼楽・刑法などの事項を記述した部分。」 『加賀志徴』・『能登志徴』の内容から、ここでは地誌の意で用いられていると考えられる。『大漢和辞典 巻四』(118361515)p.918「徴 ①めす。②もとめる。③とりたてる。④とひただす。⑤しるし。証に通ず。⑥あかしをたてる。⑦あらはれる。⑧あらはす。明かにする。(後略)」『加賀志徴』・『能登志徴』・『越中志徴』の解説に書名の由来は記されていない。『加賀志徴』の特徴として、「江沼・能美・石川・河北四郡の地誌の大集成」、「其の ...
【「能楽記」について】 『加賀・能登の能楽』p.130に書名が掲載されていた、前田斉泰が書いた「能楽記」という資料の本文が見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:32:05)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:32:05)
「金沢市立玉川図書館加越能文庫蔵」と書いてあったため、近世史料館のホームページで検索し、所蔵を確認した。特16.97-16 能楽記なお、活字資料がないか調査したところ、『金沢市史 資料編15 学芸』p.307-308に翻刻が掲載されていることがわかった。
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