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小学館 全文全訳古語辞典によると、①鵲 カチガラス②笠鷺 小鷺か中鷺とある。また、小学館 日本国語大辞典によると解説にコサギとあり、用例には源氏物語の浮船の「鵲」が使われている。さらに、「日本産カササギPica Pica sericeaの由来--史料調査による」(山階鳥研報24:p32-39,1992)江口和洋・久保浩洋によると、“古い時代には「かささぎ」の語の意味するものが必ずしも明確ではなかったようである。漢字の「鵲」は確かに今日のカササギを指すが,古代日本の「かささぎ」という言葉がすべて今日のカササギを指していたとは必ずしも言えない。”とあり、また、“「源氏物語」浮舟の巻にある「洲崎にたてるかささぎの」という文中のの「かささぎ」の語は前後の文から推測して,鷺の仲間を指しているようである。”の記述から、源 ...
佐賀県出身の「宮崎譲」(みやざき ゆずる)という詩人について調べている。なにか、てがかりはないか?(伊万里市民図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/25 17:13:05)
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自館OPACで検索すると『太宰よ!45人の追悼文集』がHITした。この中にp75「太宰治を憶う」というタイトルで宮埼譲のエッセイが収録されていた。この著者紹介に「太宰は出合いの顛末を『同じ星』と題する随筆に書き残している。」とあり。その随筆は『太宰治全集 10』(ちくま文庫)p381 に、掲載されていた。『佐賀県 人物・人材情報リスト 2004』p304 に出身が「佐賀県嬉野村」とあったため、嬉野市のweb OPACを検索するがHITなし。国立国会デジタルコレクションで検索すると、雑誌や詩集など20数件のHITあり。回答プロセス:佐賀県出身のため、佐賀県立図書館の人名DBで検索するが、HITなし。Web NDL AuthoritiesにもHITなし。事前調査事項:太宰治と同じ生年月日である、誕生日は1909年(明治42年)6月19日である。参考資料:河出書房新社編集部 編 ...
「佐賀県近世史料 第一編 第八巻 〔泰國院様御年譜地取 Ⅵ〕」のp.24に「於御領内鉄仕立之儀、~」と記載あり。さらに、島根県立古代出雲歴史資料館で開催された企画展「たたら製鉄と近代の幕開け」の図録に、佐賀藩での製鉄の様子が記載されており、p85に「松乃落葉」(まつのおちば)が紹介。参考資料:佐賀県立図書館 編 , 佐賀県立図書館. 佐賀県近世史料 第1編 第8巻. 佐賀県立図書館, 2000.https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002875708-00, 参考資料:島根県立古代出雲歴史博物館 編 , 古代出雲歴史博物館 (島根県立). たたら製鉄と近代の幕開け : 日本独自の文化遺産 : 島根県立古代出雲歴史博物館企画展. 島根県立古代出雲歴史博物館, 2011.https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I023566044-00, 9784990574017照会先:佐賀県立図書館
万葉集には、菊の花を詠んだ歌がないと聞いたが本当か。また、古今和歌集で初めて登場するそうだが、何首読まれているのか。他の植物はどうなっているのか。(伊万里市民図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/25 17:13:05)
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菊は中国から日本に入り、平安時代初期には栽培もされていたようですが、一般にはあまり知られていなかったとされ、万葉集には一首も読まれていません。万葉集成立から150年後、平安時代前期に1110首からなる古今和歌集が編まれます。その中には、75種類の植物が登場しますが、万葉集とは花の種類や頻度が違います。食用植物で登場するのはイネだけで、8首のみ。また、ただ「花」と詠っているものが77首あり、そのほとんどがサクラだと推測されています。ちなみに、キクは15首詠まれています。巻五「秋歌下」に12首の菊の歌がならんでおり、他に巻十一、十二の恋歌にそれぞれ1首詠まれています。回答プロセス:自然の中の人間シリーズ「花と人間編」6 花と人間のかかわり~花の文化史~ 田中宏/著 農文協 p25 に万葉集と古今 ...
「二里町誌」p.960によると、“墓は西願寺(旧大里庵)の裏手にあります。”“墓碑には、学者「川久保永康」書の碑文が刻まれており、「居本唯然」は、肥前松浦郡大里人浄土真宗徒である。(以下略)”さらに確認のため、遠縁にあたる、広海寺(二里町中里)に問い合わせたところ、下記のような回答であった。“ひ孫である居本キヨさんが家系図を作成したものを持っている。その中には、「居本唯然(ユイネン)と、カタカナで読みが振ってある”事前調査事項:「伊万里市史」(昭和39年刊)には『居本唯念』と表記。「幕末・明治と伊万里の人」には『居本唯然』(おりもと ゆいぜん)と表記されているため、出典である「二里町誌」や、伊万里市史(人物・教育編)なども調査した。参考資料:二里町誌編纂委員会 編. 二里町誌 ...
天皇家の菊紋は、16花弁二重の菊花がデザインされた十六葉八重表菊です。菊紋は、鎌倉前期に後鳥羽上皇が愛用して、衣服、調度品、車、懐紙、刀剣などの身の回りの品々につけていました。以後の上皇、法皇にこの紋が受け継がれ、それが皇室の紋章として定着したといわれています。明治2(1869)年に太政官布告で菊花紋が正式に皇室の紋とされました。ちなみに菊の家紋164点のうち、15点が皇族関係のものです。回答プロセス:自然の中の人間シリーズ 「花と人間編」6 花と人間のかかわり ~花の文化史~ 田中宏著 農文協 p35◆菊紋が皇室の紋となったわけ に掲載。参考資料:農林水産省農林水産技術会議事務局/監修 , 農林水産技術会議 , 田中‖宏. 自然の中の人間シリーズ 花と人間編 6. 農山漁村文化協会, 2005.https://iss.ndl.go.jp/books ...
以下の通り提供した。『料理ならおまかせ 定番おせちとお祝い料理』世界文化社 p86 ささげと炊飯器でつくる赤飯の作り方が掲載されている。『井村屋さんの毎日ほっこり あずきレシピ』主婦の友社 p12 「お赤飯の素」と炊飯器で作る赤飯の作り方が掲載されている。回答プロセス:お供日が近いため、赤飯の作り方を調べに来られた。調べていくうちにできるだけ簡単に、炊飯器でできないかと言われた。参考資料:定番おせちとお祝い料理 : 料理ならおまかせ. 世界文化社, 2005. (特選実用ブックス ; cooking)https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008004689-00, 4418053255参考資料:主婦の友社 編 , [岩﨑啓子, 栗山善四郎] [料理] , 岩崎, 啓子. 井村屋さんの毎日ほっこりあずきレシピ : あずきを使ったおかずからスイーツまで. 主婦の友社, 2017.https://iss.ndl.go.jp/b ...
以下の資料を提供した回答プロセス:国宝の曼荼羅が掲載されている資料を見たいとの要望だったが、詳しくお聞きすると描くための参考になるものをお探しだった。曼荼羅の種類の違い、構成や細かい描かれ方を知りたいとのことだったので、以下の資料を提供した。『図解・曼荼羅の見方』 小峰 彌彦/著 大法輪閣「胎蔵」と「金剛界」の両部曼荼羅の見方、曼荼羅を構成する各院・各会の数多くの仏について解説。『姿と形の仏像辞典』 小峰 彌彦/著 里文出版仏像の姿やしぐさ、手に持つ特有の法具が示す意味や特徴を解説。参考資料:小峰彌彦 著. 図解・曼荼羅の見方 : カラー版. 大法輪閣, 2009.https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010557990, 978-4-8046-1288-1参考資料:小峰彌彦 文 , 小峰和子 画. 姿とかたちの仏像事典. 里文出版, 2020.https://nd ...
民間情報局(CIE)の軍政官、フランク・バーツ氏。「佐賀県教育史」第五巻 通史編(二)p949 イ・占領軍政の指導 に、バーツ氏の公民館施策について記述あり。p950には、顔写真あり。また、「伊万里市史」教育・人物編 p562 戦後の民主化と公民館活動の定着 に、公民館活動の具体的な紹介あり。回答プロセス:佐賀県立図書館 人物DBにて調査。参考資料:佐賀県教育史編さん委員会 編 , 佐賀県教育委員会. 佐賀県教育史 第5巻 (通史編 2). 佐賀県教育委員会, 1992.https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002155653-00, 参考資料:伊万里市史編さん委員会 編 , 伊万里市. 伊万里市史 教育・人物編. 伊万里市, 2003.https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009208133-00,
・『佐賀県統計帳』昭和43年のものが当館に所蔵。上記項目に伊万里港の記載あり、遡ってないか、佐賀県立図書館に確認→S33.38記載なし。その後資料自体がなく、伊万里港の掲載があるのがS43から。・学芸員に確認→「世界に輸出された肥前陶磁2010 九州近世陶磁学会」 「九州陶磁文化館の研究紀要」に記載がないだろうか。→記載なし。大正、昭和初期はなかなか出てこず…。研究紀要の論文の参考文献に『農商工公報』農商務省があり、国立国会図書館のデジタルコレクションで引いてみるが、県違いなど、資料が多くて数字は見つけられず。キーワード「伊万里港」でデジタルコレクションを検索→朝日年鑑(S6年)の出入船客数(S3年)がヒットこの数値が『大日本帝国港湾統計』からとったとの記載があったので、『大日本 ...
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