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大館神明社例祭の次のことについてわかる資料を探している。・お祭りそのものの歴史・踊り手の衣装についての歴史(秋田県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/25 13:56:30)
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以下の資料を案内。①『秋田大百科事典』(秋田魁新報社/編、秋田魁新報社、1981、031/アア/郷)資料番号:128639200②『大館市史 第2巻 近世編』(大館市史編さん委員会/編、大館市、1978、214.2/オオ/2郷)資料番号:124017542③『大館市史 第4巻』(大館市史編さん委員会/編、大館市、1981、214.2/オオ/4郷)資料番号:111326377④『秋田論叢 秋田経済法科大学法学部紀要 第19号』(秋田経済法科大学法学部/編 、秋田経済法科大学法学部、2003、 A377/113/19)資料番号:128875481⑤『火内 大館郷土博物館研究紀要 第3号』(大館郷土博物館/編、大館郷土博物館、2002、069/オヒ/3郷)資料番号:128768843⑥『大館神明社祭典小史 おおだてのおまつり』(鷲谷豊/ ...
大正時代の絵葉書に、「松平直政公250年祭」という記念スタンプが押してある。この行事について、詳しいことが知りたい。※松平直政は、松江藩松平家の初代藩主。寛文6年2月3日(西暦1666年3月8日)に、江戸で亡くなったとされる。(島根県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/25 13:52:30)
from レファレンス協同データベース (2024/12/25 13:52:30)
当時の地元新聞(資料3)の記事を紹介し、回答とした。記事によれば、直政公二百五十年祭は、松平直政没後250周年の記念祭で、大正4年5月5日に開催された。松江城山内の松江神社で式典があった後、武者行列が市内をめぐった。以下、新聞記事の概要をまとめる。〇大正4年5月3日3面「松江祭の日と直政公二百五十年祭」・5日、松江城山の県社松江神社の例祭と同時に、直政公二百五十年祭もおこなわれる・松平直亮伯爵(※1)も参拝する・余興として、神能神楽、武術試合、和歌展覧、活花陳列等が催され、二松亭前(※2)から城山松平家事務所際までのところに、武器や大名道具を配列し、一般に公開される予定・約百人による武装行列がおこなわれる予定。指図役は、越後流の軍学師として松江藩に仕えていた二名が務める※1)松 ...
松江藩第7代藩主の松平治郷(はるさと)は、号を「不昧(ふまい)」といい、茶道具の研究や収集を行った大名茶人としても有名。ここでは手に取りやすい資料を紹介する。そのほかの資料については「松平治郷」「松平不昧」「不昧」「不昧流」などのキーワードで検索することができる。【松平治郷の人生について調べる(伝記など)】1.『松平不昧伝 増補復刊』松平家編輯部/原書房/1999年松平治郷の伝記。松平治郷について調べる基礎資料。治郷の人生・事蹟および武術、茶道、学問、芸術、家庭、逸話などを載せる。初版は大正6年(1917)。増補には解説・口絵・系図(宗衍~治郷~齋恒)などを載せる。2.『松平不昧 増補版』内藤正中・島田成矩/松江今井書店/1998年 主に治郷の藩政改革と茶道について記述する。藩政改革で ...
永井隆(1908-1951)は島根県出身の医者・作家。松江市で出生し雲南市三刀屋町で育つ。長崎医科大学へ進学し医師となるが、戦時中のフィルム不足により直接透視の胸部X線検査を行っていたため放射能過量照射により白血病となる。1945年に長崎への原子爆弾投下により被爆、重傷を負いながらも救護活動を行い、「原子爆弾救護報告」を作成し大学へ提出する。その後、病床に伏しながらも「長崎の鐘」「この子を残して」「ロザリオの鎖」などを執筆した。(参考文献『島根県歴史人物事典』ほか)ここでは主に伝記と作品を紹介する。【永井隆の人生について調べる】『「平和」をいつまでも-永井隆博士-』きしもとみつこ(絵)、三刀屋町教育研究室(文)/1994年永井隆の生涯を絵本で紹介。文中の難しい漢字や言葉には読み仮名 ...
ここでは小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の伝記を中心に、代表的なもの、わかりやすく解説している資料を紹介する。【小泉八雲の人生(伝記)について調べる】①『文学アルバム 小泉八雲 ラフカディオ・ハーン 増補新版』小泉時、小泉凡(共編)/恒文社/2008年小泉八雲の生誕から死没まで編年体で解説。カラー写真で資料も掲載。巻末には系図や主要著作一覧も収録。②『小泉八雲事典』平川祐弘/恒文社/2000年小泉八雲に関する事典。五十音順。人名・作品・事柄など幅広く収録。巻末には、年譜・参考文献(1975~2000年まで)・系図(ハーン家、小泉家など)・足跡(地図)および索引が掲載されている。③『詳述年表 ラフカディオ・ハーン伝』坂東浩司/英潮社/1998年小泉八雲の生涯を年表形式でまとめた伝記。上段に年表、下段 ...
安野史子「長期的視点での大学入学者選抜状況とシステム変更との関連」(https://cir.nii.ac.jp/crid/1390861493927357056)p.72:図3大学・短期大学定員数の推移回答プロセス:(1)CiNiiResearch検索キーワード:大学 入学定員 推移→以下の論文がヒット 長期的視点での大学入学者選抜状況とシステム変更との関連 安野 史子 大学入試研究ジャーナル 24 (0), 69-80, 2014 p.72:図3大学・短期大学定員数の推移の出典「昭和 27年度ー平成 24年度「全国大学一覧」」(2)「全国大学一覧」を確認 昭和57年度版移行は、第11表:入学定員の増加概要として数年分の定員変化が載っている。 ※昭和57年版 p.397:第11表 入学定員の増加概要(昭和51~57年度) 昭和56年版以前は、まとまった表は載っていない。参考資料:安野史子「長期的視点での大学入学者選抜状況とシステム変更と ...
資料により曽田共助の病院は「耳鼻咽喉科」と分かりました。『新豊前人物評傳 中村 十生/著』・・・「大正8年小倉堺町に耳鼻咽喉科医院を開いて仁術を施し大いにはやった」と掲載がありました。『北九州学 その7』・・・「現小倉飯店(福岡県北九州市小倉北区堺町1-8-14)の横に当時曽田邸があり、その近くに耳鼻咽喉科医院を開いた」と掲載がありました。『小倉郷土会のあゆみ 曽田共助につづく人びと』・・・「大正5年、小倉市立病院耳鼻咽喉科開設にあたり医長として赴任。大正8年に堺町に耳鼻咽喉科医院を開業」と掲載しています。『小倉医師会史 北九州市小倉医師会/著』・・・「曽田耳鼻咽喉科病院」という病院名や経歴の記載がありました。回答プロセス:自館端末でキーワード検索したのちインターネットで検 ...
関連ファイル参照。<内容>2024年11月17日に当館で開催したイベント「第18回図書館資料片手に街角散歩~寺町界隈そぞろ歩き~」にて配布したブックリスト。徳島市寺町の歴史や大瀧山、有名人のお墓に関する資料、寺町のパンフレットなどの関連資料を紹介。備考:記載すべてのURL2024.11.17確認。
関連ファイル参照。 2023年11月12日に当館で開催したイベント「第17回 図書館資料片手に街角散歩知られざる寺島川~徳島城天然のお堀~」で配布した資料のブックリスト。寺島川は、かつてひょうたん島内のJR徳島の線路や水路などを流れていた河川である。現在は廃河川となっている。イベントでは、寺島川ゆかりの地を訪れた。配布した資料では、寺島川にまつわる人物や場所などの関連資料を紹介。
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