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Across the continent, remote villages are fading amid declining births and residents departing for greater opportunity in urban centres
Britain ‘cannot afford to scare capital away’, says boss of Royal Bank of Canada
Big launch, small gains: Bobby Jain struggles to match hedge fund giants
from UK homepage (2025/7/17 13:00:03)
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Jain Global’s first year showcases the huge barriers to entry of starting a new multi-strategy hedge fund
安房直子(1943~1993)について記載のあった資料は下記のとおりです。なお網羅性はありません。・『日本の文学者18人の肖像 現代作家編』 宮川 健郎/編 あすなろ書房 2022.12 p50~53 安房直子 ※『安房直子コレクション 7』から作成とあり・『わたしの出会った作家と作品』 小西正保/著 創風社 1997.5 p7~40 安房直子 ※論文5編・『児童文学の伝統と創造』 小西 正保/著 ハッピーオウル社 2005.11 p123~161 安房直子童話の深層・『安房直子コレクション 7』 安房 直子/作,北見 葉胡/画 偕成社 2004.4 巻末p1~32 著作目録 巻末p33~68 著作索引 巻末p69~71 年譜・『日本児童文学 第70第2号 通巻670号』 2024.4 日本児童文学者協会 p63~67 「安房直子論」 安藤美紀夫 (1981年9月号より再録)・『こころが織りな ...
『虹のたつ峰をこえて』(新開ゆり子/作,北島新平/絵 アリス館牧新社 1975)の著者である新開ゆり子の肖像写真を探している。新聞以外にあるものが欲しい。(福島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/7/17 12:54:15)
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(1)「新開ゆり子さんを偲ぶ」『日本児童文学』第50巻第6号 片平幸三/[著] 2004 108ページ肖像写真あるが小さい(2)『ふくしまの女流文学者たち 中央の文学から土着の文学へ』 こおりやま文学の森資料館 201516-19ページ「新開ゆり子」の項目あり、写真4枚あり。いずれも「個人蔵」とある。(3)「受賞の言葉」『農民文学』第95号 1971 10ページ ※当館未所蔵、デジコレ送信館肖像写真あり。
昭和47年5月13日に川俣線が廃止になりました。このとき営業運転後に、岩代飯野駅と岩代川俣駅に保存するSL(C12)が川俣線の線路を自走してそれぞれの駅まで回送されました。この自走して回送される写真の入った新聞記事がないかを探してます。5月14日あるいは15日の福島民友か福島民報に載っていないでしょうか。(福島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/7/17 12:51:43)
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昭和47(1972)年5月の国鉄川俣線の廃線当時の福島県内の地元新聞の記事を確認しましたが、写真入りの記事は見つかりませんでした。調査対象・範囲と関連事項の確認できた記事は以下のとおりです。○福島民報(昭和47(1972)年5月11日朝刊~21日朝刊を調査)1 昭和47(1972)年5月12日 朝刊 14面紙面上段右側「あす“最終列車” 国鉄川俣線」「47年間ご苦労さま 名残り惜しむ地域住民 14日に記念式」※SLに関する記事はありませんでした。2 昭和47(1972)年5月14日 14面紙面上段右側「川俣線 哀愁の終着 満員の客…お別れ列車」「きょうからバス運転」「46年の歴史に幕 赤字続きでついに」※SLの引き渡し式の予告の記事があります。SLの写真はありませんでした。3 昭和47(1972)年5月15日 14面(県北版)紙面上段右側「“46年の歴史 ...
囲碁のプロアマ対抗戦で吉村正之とヤマベトシロウ九段(趙治勲六段かもしれない)の対局後の感想が読みたい。ヤマベトシロウが吉村正之への評価を口にしているもので、棋風や強さに言及があった。雑誌『棋道』の昭和48年~50年のどこかに載っていた。対局の日時は分からない。朝日新聞社主催と記憶している。(福島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/7/17 12:49:50)
from レファレンス協同データベース (2025/7/17 12:49:50)
朝日クロスサーチで検索したところ、以下の記事が確認できた。1973/09/12 朝刊(東京版)18面 「第8局 趙治勲(五段)吉村正之(東京)_第6回アマ・プロ十傑戦(棋譜)」棋譜の他、記事内で解説の山部俊郎が吉村正之について言及しています。「(前略)解説の山部俊郎九段は、アマ・プロ戦全十局を並べてみて、この碁がいちばんおもしろかったといっている。プロの意表をつくような着手がポンポンとび出して治勲五段をあわてさせるあたり、吉村選手はやはり一種の天才ではないか、と山部評があったことをお伝えしておく。」上記を踏まえ、当館所蔵の下記資料を確認したところ、関連する記述が見つかった。「棋道」1973年9月号(通巻588号) 日本棋院pp.38-45「第六回朝日アマ・プロ十傑戦 観戦雑記」の項中の「第八位戦 ○趙治 ...
1904(明治37)年6月14日から30日の『朝日新聞』・『毎日新聞』と、1904(明治37)年7月30日から8月5日の『福島民報』・『福島民友新聞』に、岡山孤児院の音楽幻燈会に関する新聞記事はあるか。1904(明治37)年6月14日から27日の間に東京市内で、同年8月2日と3日に郡山町内で当該の音楽幻燈会が開催されたという。(福島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/7/17 12:47:59)
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(1)「朝日新聞」「毎日新聞(東京日日新聞)」の1904(明治37)年6月14日-6月30日を調査したところ、以下の記載が確認できました。【朝日新聞】(朝日クロスサーチで確認)〇1904年6月14日 朝刊 1面[會]の欄 「岡山孤児院慈善音樂活動幻燈會 本日午後七時華族會館に於て催す」〇同上 8面 広告欄「開會 六月十六、十七、十八日午後六時會場 神田美土代町、青年會館岡山孤児院慈善音樂 活動幻燈會」【東京日日新聞(現:毎日新聞)】(当館所蔵マイクロフィルムで確認)●1904年6月14日 朝刊 4-5面「慈善音楽活動幻燈會」●同上 8面 広告欄上記の朝日新聞と同じ広告あり(2)「福島民報」「福島民友新聞」の1904(明治37)年7月30日-8月5日を調査したところ、以下の記載が確認できました。【福島民報】(当館 福島民報新聞記事閲覧システムで ...
大正12(1923)年9月の大相撲の巡業について調べている。福島県の地元紙に記事はないか。東京朝日の記事によれば、同年9月26日は山形県の鶴岡市に居たらしい。東京朝日新聞及び毎日新聞の地方版は検索しても見つからなかった。(福島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/7/17 12:45:05)
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当館所蔵の福島新聞、福島民報、福島民友新聞の大正12(1923)年9月から10月分を確認したところ、該当する記事が見つかった(なお該当期間には欠号もあり)。○「福島民報」1923/10/1 朝刊3面「東京大相撲 源氏山太刀光一行来福」「東京大相撲源氏山太刀光一行二百五十人は十月十五六の両日ごろに福島市稲荷公園に於て興行する事となったが此の一行は今回の東京大震災の寄附興行で木戸銭は土間一圓五十銭を一圓二十銭に桟敷二圓五十銭を二圓に割引し其内から寄附すると」10/23 朝刊5面「東京大相撲は愈々廿八日から」「横綱源氏山太刀光一行の東京大相撲は雨天の爲幾分興行日取が変更されたが愈々二十一日中村町を打揚げ二十三日二十四日を原の町に二十五日から二十七日までを仙臺に興行し福島は二十八日二十九日の當り興行の筈 ...
戊辰戦争勃発時の会津藩の石高について知りたい。資料によって幕末の会津藩は「23万石」または「28万石」と表記が分かれている。23万石に京都守護職の役料5万石を足せば28万石になるが、戊辰戦争時には京都守護職ではないから23万石というのが正しいのか。(福島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/7/17 12:42:07)
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戊辰戦争時の会津藩の石高について調査しました。まず、幕末時の会津藩石高「23万石」から「28万石へ」の「5万石」の増加について、資料1~5から「南山御蔵入地方」(現在の南会津郡、大沼郡の一部)が増加した5万石であることが確認できます。資料1『福島県史 第2巻 通史編2 近世1』 福島県/編 福島県 1971p.729「第二編 各藩編(一) 第一章 会津藩」の「第五節 激動する会津藩 二 京都守護職時代」より「元治元年二月十日、幕府は鎮撫の功を賞して五万石を増封した。容保は十一日これを辞したが允されず、これをうけることになり、南山御蔵入地方が会津領となった。」資料2『会津若松史 第3巻』 会津若松史出版委員会/編 会津若松市 1965※国立国会図書館デジタルコレクション収録(図書館・個人送信)(https://dl.ndl.go.jp/pid/3048619 ...
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