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昭和6年10月に郡山市菜根屋敷に創立された安積家政学院について、創立者、教育方針、いつまで存続したのかなどについて知りたい。(福島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/7/17 12:39:37)
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「安積家政学院」について、下記資料を調査しました。資料(1)『郡山市史 第5巻 近代(下)』 郡山市/編・発行 1971※国立国会図書館デジタルコレクション収録(図書館・個人送信対象資料)(https://dl.ndl.go.jp/pid/9642400)p.389-390(コマ番号207,208)「3 私立各種学校」「また、昭和六年に山本亀集が創設した家政学院もあった。生徒は、本科三七名、研究科一五名で、主として家庭一般を教えていた」資料(2)『福島県報』 福島県 1931 ※館内閲覧のみ。貸出不可第五百十二号(昭和6年10月24日)福島県告示第四百七十一号「私立學校令ニ依リ左記學校ヲ設立ノ件昭和六年十月十九日認可セリ 昭和六年十月二十四日 福島縣知事 川崎 末五郎」「一、名稱 安積家政學院 一、位置 郡山市字菜根屋敷四三 一、目的 女子ノ齊家ニ必須ナル知識技能ヲ ...
毎日小学生新聞2025年4月14日1面に掲載の連載記事「80年前の今日 何があった?」に、東京帝室博物館(現・東京国立博物館)が、美術品などの全面疎開を開始したとある。疎開先の一つに福島県が挙がっていたが、場所と説明がある資料はあるか。(福島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/7/17 12:37:23)
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太平洋戦争時に東京帝室博物館(現:東京国立博物館)が福島県に文化財の疎開を行った件についてお調べしましたところ、以下の資料1~3に関連記述を確認いたしました。資料1『東京国立博物館百年史[本編]』 東京国立博物館/編 第一法規 1973※国立国会図書館デジタルコレクション収録(図書館・個人送信)( https://dl.ndl.go.jp/pid/12276652 )「第五章 復興博物館の開館と戦時下の博物館 第三節 太平洋戦争と博物館」に太平洋戦争時の美術品疎開について詳細にまとめられています。pp.568-572(コマ番号:307-309)「国宝等の分散の強化」に福島への文化財疎開について記されており、以下の文言などが確認できます。p.570(コマ番号:308)「博物館ではこの閣議決定等があったので政府の方針と合わせ分散疎開を強化することとなり、十九 ...
富士生命専務取締役、報知新聞副社長、上智大学名誉教授などを歴任した寺田四郎について、生地及び生没年月日を知りたい。(福島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/7/17 12:35:15)
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寺田四郎氏の生地および生年月日、没年月日について調査いたしましたところ、以下の資料1~6に関連内容を確認いたしました。資料1『福島県年鑑 1963年版』 福島民友新聞社 1962※国立国会図書館デジタルコレクション収録(図書館・個人送信)(https://dl.ndl.go.jp/pid/2980632)p.517(コマ番号:261)「寺田四郎」の項目に、生年月日「明治19・2・5」と記載あり。資料2『新日本史 別篇』 万朝報社/編 万朝報社 1928 ※当館所蔵なし※国立国会図書館デジタルコレクション収録(図書館・個人送信)(https://dl.ndl.go.jp/pid/3436399)p.903(コマ番号:500)「寺田四郎」の項目に「生地 福島縣安達郡二本松町」と記載あり。資料3『竜南人物展望』 吉田千之/著 九州新聞社出版部 1937 ※当館所蔵なし※国立国会図書館デジタルコレクション収録(図書館・個 ...
日本野鳥の会初代会長である中西悟堂が、複数人で安達太良山に登った際に「鳥や植物には厳しい山だ」という感想をいだいたという本を県立図書館で読んだことがある。そのような記述のある資料はあるか。(福島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/7/17 12:33:25)
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以下の資料と思われる。『石川近代文学全集 13』 新保千代子/監修,藤田 福夫/監修,梶井 重雄/監修,小林 輝冶/〔ほか〕編集委員 石川近代文学館 1998.12→p.93-100「安達太良山の記」 中西悟堂/著 →p.99「「くろがね小屋」まで一羽の鳥にも逢わなかったが、木の少ない岩峰に鳥の種類を望むのは無理かもしれぬ」 「つい数日前に登った越中立山には、これらの鳥の声がすこぶる多く、(中略)やはり安達太良山には鳥が少ないのである」 「爆発のために植物相の安定しない地物条件と、亜高山鳥に乏しい鳥の分布状況の双方から考えて」以上の記載あり。なお、登山時期について文中に記載なし。p.484-485「中西悟堂 解説」に「名作品の初出誌紙(「 」で示した)」と記載あることから、「安達太良山の記」中西悟堂/著 ...
1993(平成5)年7月1日に制定され、白河市との合併で廃止された「表郷村民の歌」について、以下の事項を知りたい。1. 作詞者と作曲者(補作者含む)の氏名。2. 歌詞および楽譜が掲載された資料(当時の広報紙、閉村記念誌など)の有無。ある場合は資料名とページ数。(福島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/7/17 12:29:33)
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下記の資料1と資料2に、作詞者、補作者,作曲者の氏名および歌詞が掲載されています。 作詞 橋本 俊 補作 斎藤庸一,三谷晃一 作曲 石河 清資料1『表郷村史 第1巻 通史編』 表郷村史編さん委員会/編集 白河市 2013.3 →pp.791-792「三 村民の歌完成」に「表郷村民の歌」の歌詞が掲載されています。楽譜はありません。p.291「作詞の公募を行い、(中略)審査委員に依頼した斎藤庸一氏(日本現代詩人会員、日本音楽著作権会員)・三谷晃一(詩人)の補作を受け、石河清氏(いわき短期大学教授・全国合唱連盟理事)の作曲により出来上がった。」と記されていました。資料2『広報おもてごう No.241(平成元年2月号)‐No.276(平成3年12月号)』 表郷村 ※貸出不可 →No.275(平成3年11月号)p.8に「表 ...
資料1『白河市史 第10巻 各論編』 白河市/編 白河市 1992.3■大原満治第3編人物 Ⅰ人物 pp.813-814「大原満治」に「常宣寺に頌徳碑がある。」と記載ありⅡ頌徳碑 pp.895-896「大原満治(常宣寺)」には碑文が記されている(明治43年9月)■山下仁里第3編人物 Ⅰ人物 p.883「山下仁里」に「関川寺に門弟建碑の頌徳碑がある。」と記載ありⅡ頌徳碑 pp.910-911「山下仁里(関川寺)」には碑文が記されている(明治40年仲秋)資料2『白河案内 訂正増補』 熊田黄雲/編 奥村書店 1911 ※当館所蔵なし。国立国会図書館デジタルコレクション収録(インターネット公開:https://dl.ndl.go.jp/pid/1081848)■山下仁里pp.110-111(コマ番号:77) 「山下仁里」に「愛宕町關川寺に葬る、明治四十一年門生相議り、碑を關川寺境内に建て以て先生の事歴 ...
双葉郡郷土誌に記載のある、苅宿仲衛頌徳碑、山田作左エ門の碑、中里範文記念碑、また西植堂の墓の所在地が知りたい。(福島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/7/17 12:24:43)
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■苅宿仲衛資料1『福島民権家列伝』 高橋哲夫/著 福島民報社 1967※国立国会図書館デジタルコレクション収録(図書館・個人送信)(https://dl.ndl.go.jp/pid/3006746)「若芽なき双葉 双葉郡 自由党の孤島守った 苅宿仲衛」に以下の記載あり。→p.343(コマ番号:179)「明治四十四年、板垣退助の筆になる仲衛の頌徳碑が、生前節を曲げなかったかれを讃え、生家の側の標葉神社境内に建立されている。」資料2『相馬市史 2 上巻 各論編 1 論考』 相馬市編纂会/編 相馬市 1978.12※国立国会図書館デジタルコレクション収録(図書館・個人送信)(https://dl.ndl.go.jp/pid/9569987)「六 相馬・双葉の自由民権運動」(高橋哲夫/著)に以下の記載あり。→p.253(コマ番号:141)「明治四十四年板垣退助の筆になる仲衛の頌徳碑が、生前節を屈げなかった彼を ...
Daughter of former FBI director James Comey also worked on Sean Combs case
以下の資料を所蔵しています。・『消えた駅名 駅名改称の裏に隠された謎と秘密』 今尾 恵介/著 東京堂出版 2004.8平▶いわき駅の項あり。・『いわき発・歳月からの伝言 過去から未来へいわき地方の生活記録史 1 あ〜お』 おやけ こういち/著 歴史春秋出版 2020.10pp.172-「駅名」「実現しなかった泉駅の改称」(p.177-)「平駅からいわき駅へ改称」(p.179-)・『未来へつなぐ「いわき」ものがたり いわき市市制施行50周年記念誌 1966-2016』 いわき市総合政策部ふるさと発信課/企画・編集 2016.10 ※貸出不可 ※電子版ありp.142いわき駅改称の経緯について若干記載あり。
会津戦争の発端となった奥⽻鎮撫総督府下参謀世良修蔵、襲撃現場の⾦沢屋はいつ頃から福島市内で営業をしていたのか、また店舗の祖先とされる斎藤武右衛⾨が加賀藩由来の武将である根拠は⾃伝以外にあるのか。(福島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/7/17 12:20:22)
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福島市にあった金沢屋についてお調べしましたので回答いたします。(1)⾦沢屋はいつ頃から福島市内で営業をしていたのかお調べしましたが、正確な年代が分かる資料は見つけられませんでした。なお以下の資料1~3などによれば、『文政十年諸国道中商人鑑』には金沢屋が掲載されているようです。また、資料4の記載によれば、文政2年には金沢屋が福島北町にあったようです。参考までにご紹介します。資料1『福島市史 別巻1 図説福島市史』 福島市史編纂委員会/編 福島市教育委員会 1978.3*国立国会図書館デジタルコレクション収録(図書館・個人送信対象資料)( https://dl.ndl.go.jp/pid/9641429 )「VI 板倉福島領の経済発展」 p.153(コマ86) ページ下部に「商人定宿 福島北南町」「金澤屋浅之助」とよめる図版が掲載されています。 キ ...
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