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信号機(3色)が、福井県内に初めて設置されたニュースに関する資料(県内誌・新聞・写真など)はありますか。日付:昭和38年12月3日 福井市大名町交差点(福井県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/2/24 17:23:40)
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下記資料2点に記載がありました。資料(1)は、福井県立図書館所蔵で閲覧・複写・館外貸出が可能です。資料(2)は、福井県文書館で閲覧・複写が可能です。(1)福井県警察史編さん委員会∥編. 福井県警察史 第2巻. 福井県警察本部, 1990.1・・・p1218-1220「信号機の設置」立項あり。県内に初めて「交通信号機」が設置されたのは昭和26年(福井市山奥町)で、県下初の「三現示信号機」が設置されたのは昭和38年12月3日(大名町交差点)と記載があります。(2)「福井新聞 昭和38年12月4日 8面」・・・「信号機の使用開始/大名町交差点/本部長がスイッチ」という見出しの記事があります。ただし、県内で初めての信号機である旨の記載はありません。
小黒丸城の所在地は七字浜田北割(松原信之・福井の城)あたりといわれているので、それが表示されている地図を教えて下さい。また松原信之さんの福井の城は図書館にありますか。(福井県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/2/24 17:14:01)
from レファレンス協同データベース (2025/2/24 17:14:01)
下記資料は、すべて当館所蔵資料です。(1)小黒丸城跡記念碑の記載がある地図『ブルーマップ福井市[福井・越廼・清水] 202303』ゼンリン,2023.3,p29『福井市北住宅明細図 令和5年版』刊広社,2023.11,p45・・・黒丸町付近に「小黒丸城跡」記念碑の記載がありますが、下記インターネットサイトに”区画変更によって現在の場所に移転改修されました”とあります。「小黒丸城跡|ふくいドットコム」https://www.fuku-e.com/spot/detail_5607.html(2)小字界の記載がある地図福井県 編『福井県史 資料編 16 下 (条里復原図)』福井県,1992.3 図版34・・・図版34に、小字「浜田北割」「古宮」の小字界(境界破線)の記載があります。ただし、「小黒丸城跡」の記載はありません。(小字「古宮」については、資料(4)『日本城郭全集 第6』の説明を参照ください。)(3)小 ...
江戸時代の永平寺町法寺岡付近の地形図はあるか。九頭竜川近くの埋め立て前の様子が知りたい。明治期の国土地理院地形図は確認済。(福井県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/2/24 16:38:12)
from レファレンス協同データベース (2025/2/24 16:38:12)
地形図ではないが、下記史料を紹介。書誌には「明治初年の図か」と年代推定記載あり。「九頭竜川之図(越前三大川沿革図のうち)(松平文庫)|デジタルアーカイブ福井」https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/archive/da/detail?data_id=011-320801-0 (3コマ目の中ほど)上記画像の文字が小さくて読めない場合は、下記資料で文字判別が可能。『九頭竜川沿革図 [越前三大川沿革図] 』(科学技術庁資源調査会、1966年)・・・モノクロ拡大図版あり。
福井県坂井(三国)・芦原地方の公共交通の変遷(明治~現在)が分かる資料。特に国鉄三国線(北陸本線として予定されていた部分も含みます)・えちぜん鉄道三国芦原線について、下記の記載がある資料。・えちぜん鉄道三国芦原線の敷設免許取得過程・北陸本線の初期ルートに三国港付近含むかどうか・えちぜん鉄道三国芦原線による官設三国線[三国ー三国港区間]借り上げ経緯・京福電気鉄道による国鉄三国線[芦原ー金津区間]借り上げ/買収・国鉄三国線廃止に対する地元の反対運動・あわら市金津付近の公共交通の現状と展望(福井県立
from レファレンス協同データベース (2025/2/24 16:27:13)
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関連資料は下記の通り。本多義明∥ほか編著. 福井公共交通の歴史. 改訂版. 地域環境研究所, 2012.10・・・「第1部 福井地域における公共交通整備史」で、江戸期から戦後までの福井県内の公共交通史を概観しており、明治期の「三国線開通にもふれているほか、戦後の三国線の復活と廃線についての立項もあります。「第3部/第3章 地方鉄道再生への途」で、平成以降のえちぜん鉄道の動きを紹介しています。巻末に「参考資料」記載あり。渡邊誠∥編. ふくいの鉄道160年. 追補版. 鉄道友の会福井支部, 2017.9・・・「第1部 福井の鉄道160年のあゆみ」で、明治期の三国線開業や大正期~昭和期の三国芦原電気鉄道、昭和期の三国線の軌道撤去・再開など関連項目を多数立項しています。小谷正典∥著. 北陸線の敷設について(研究集録 第24号,福 ...
京福電気鉄道(越前本線)時代の公共交通(福井市、勝山市、大野市)についての資料。特に、下記の記載がある資料。・越前本線[東古市ー勝山]や永平寺線・丸岡線廃止提案(資料Aに書かれていた)と地元の反応・京福電気鉄道休止時の影響・えちぜん鉄道への移行過程と地元の反応(福井県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/2/24 16:21:40)
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関連資料は下記の通り。本多義明∥ほか編著. 福井公共交通の歴史. 改訂版. 地域環境研究所, 2012.10・・・「第1部 福井地域における公共交通整備史」「第3部 公共交通再生・活性化の動き」で、京福電鉄線の撤退やえちぜん鉄道としての再生等について立項されています。巻末に「参考資料」記載あり。渡邊誠∥編. ふくいの鉄道160年. 追補版. 鉄道友の会福井支部, 2017.9・・・「第1部 福井の鉄道160年のあゆみ」で、京福電鉄丸岡線・永平寺線・越前本線、えちぜん鉄道について立項されているほか、「第2部 福井の鉄道あれこれ」で、「えちぜん鉄道12周年を迎えて」という手記が収録されています。住民がつないだ存続活動の記録. 永平寺町えちぜん鉄道サポート会,2023.3・・・サポート会設立20周年記念誌。福井新聞の関連記事が多数転載あ ...
敦賀市に「サフラン湯」という銭湯がある。経営者によると、昭和7年の創業時、薬草風呂としてサフランを入れていたとのこと。サフランは貴重で高価な薬草なので、お風呂に入れていたとなると、当時は近隣で大量に栽培されていたのではないか。知りたいのは以下2点。(1)福井県での明治以降のサフラン栽培の実績が分かる資料(2)サフラン湯について書かれた資料(福井県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/2/24 14:51:25)
from レファレンス協同データベース (2025/2/24 14:51:25)
(1)福井県での明治以降のサフラン栽培の実績が分かる資料福井県全体のサフラン栽培の実績がわかる資料は確認できませんでしたが、薬用植物の生産振興計画や一部の自治体の栽培量等がわかる資料はありましたので、下記の通りお知らせします。(1-1)福井県の薬用植物生産振興事業についての関連資料下記資料Aに、福井県の事業として、昭和36年頃にサフランを含む薬用植物の生産振興について計画された旨記載がありました。しかし、その後の資料Bには、薬用植物の生産振興事業についての記載はあるものの、サフランの文字は見当たりません。さらにその後の資料Cには、薬用植物の生産振興事業自体の記載はなく、薬用植物の記載は林業編の特殊林産物の項中に、黄蓮(オウレン)などの記載があるのみです。資料A 『福井県総合開発 ...
1.エッセルは凝灰岩の採取場所を、「カマツゴダニ」「ハサイ」「ハサイ オニオシ」「二ツ屋」と5ヶ所記載している。 ⇒『淀川オランダ技師文書(欧米関連編) 淀川工事事務所 平成9年』に上記の場所が書いてある。 ⇒「二ツ屋」が「現二ツ屋町」であることだけ判明、他の場所名は不明。 ⇒「カマツゴダニ」は、『福井市史資料編13』による浜住石の石切り場についての記述「道を挟んだ東西に各人の石切り場(マブと称した)が計20数ヶ所配置されていた」より、この地が多分「カマツゴダニ」と推測。2.「浜住石」・「別所石」
from レファレンス協同データベース (2025/2/24 14:36:51)
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(1)ご質問の「二ツ屋」は、福井市二ツ屋町(旧丹生郡二ツ屋村)ではなく、福井市西二ツ屋町(旧坂井郡二ツ屋村)の可能性が高いと考えます。出典『淀川オランダ技師文書 欧文関連編』p293記載の「越前の三国の南方約4里(15.7km)の浜道に算出する石」という記述からみても、二ツ屋町ではなく西二ツ屋町が適当と思います。(『角川日本地名大辞典 18 福井県』によると、西二ツ屋町の前身である西二ツ屋村は、明治17年に二ツ屋村が改称して成立し、明治22年に鷹巣村の大字となりました。)しかし、それ以外の場所は特定できませんでした。以下、参考までにお知らせします。「カマツゴダニ」は、出典欧文には「Kamatsukodani vallei」、欧文現代語訳には「カマツコダニ」と記載されています。「vallei」は「谷」を意味するため、「カマツ ...
朝倉氏滅亡後、明智光秀の代官として北ノ庄に置かれた、三沢少兵衛(尉)秀次に関する古文書や論文その他の文献があればお教えください。(福井県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/2/24 13:57:55)
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当館で確認することができた関連資料は以下の通りです。(1)南条郡教育会 編纂『福井県南条郡誌』,名著出版,1972. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9536262/1/467 (送信サービスで閲覧可能)『橋本文書』の中に三澤少兵衛尉の記載あり。(2)『若越郷土研究』27(6)(157),福井県郷土誌懇談会,1982-12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/6072907/1/1 (送信サービスで閲覧可能)「織田信長の第一次越前支配(一)」 (3)『若越郷土研究』28(2)(159),福井県郷土誌懇談会,1983-03. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/6072909/1/5 (送信サービスで閲覧可能)「織田信長の第一次越前支配(二)」(2)(3)ともに三沢→小沢に間違えていると思われる箇所あり【その他の参考資料】(4)谷口克 ...
下記資料に、関連記載あり。しんふくい出版∥編. 小野忠弘追悼集. 小野忠弘先生追悼集刊行委員会, 2001.12・・・巻末「年譜」中のp143-144に、”1942年 福井県立三国中学校(現・福井県立三国高等学校)に図画担当教諭として赴任。以後福井県三国町に居を定めて今日に至る。””1943年(中略)福井県に来たきっかけとして小野自身は、「当時、写楽が三国に住んでいたという学説があって、それじゃ写楽を発掘してやろうという”山師根性”もありました。・・・それと、海の近くに住みたいという気持ちもありました。」と語っている”と記載あり。回答プロセス:(以下、記載なし資料)小野忠弘∥[著] 福井県立美術館∥編. 小野忠弘展図録. 福井県立美術館, 1985.11・・・巻末「略年譜」中のp154に”1942年(昭和17年)29才 福井県坂井郡三国 ...
当館資料で、フナの郷土料理について確認できた資料は以下の通り。【回答資料】『日本の食生活全集 18』. 農山漁村文化協会, 1987.6【H596/K3/1B】:p57,58「寒ぶなのぶつ」「寒ぶなのあめ炊き」のレシピ『ふるさと福井の味』. 福井県生活改善実行グループ連絡研究会, 1980.3【H596/H3/1C】:p63,64,65;「寒ブナのブツ」「寒ブナのあめだき」「豆と鮒の煮付」のレシピ『ほっとするねふるさとの味』. 福井県健康福祉部健康政策課, 2020.2【H596/H7/4-3A】:p66,70;「寒鮒と大豆の煮付け(15~20人分)」「寒ブナのブツ(4人分)」のレシピ『美味求真』. 天谷奈良昭∥共著 天谷祥子∥共著. フェニックス出版, 1981.3【H596/A/1B】:p45-47,48-50;「北潟湖の寒ブナ その1」「北潟湖の寒ブナ その2」寒ブナについて福井新聞に掲載されたエッセイ 『あわら市北潟の暮らしと歴 ...
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