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【医王山大沼付近の伝説について】 室生犀星の作品に『不思議な国の話』というのがある。医王山行った娘が帰ってきたら何かにとりつかれたように人が変わり、最後は行方不明になるというものだ。もとになった伝説が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:17)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:17)
・雑誌『金の鳥 1922年4~6月号』に掲載された作品で、国立国会図書館デジタルコレクションでも閲覧できる、との情報提供が利用者よりあった。・医王山がテーマの本、石川県の民話が収録されている本を確認し、次の資料から「医王山の大沼」の伝説を紹介した。 『加賀・能登の伝説』(11826162) 『加賀の昔話』(109167537) 『金沢の民話と伝説』(11824201) 『医王山物語』(118458364) 『山の民物語』(118419580) 『医王山』(118338114)国立国会図書館デジタルコレクション『我が郷土の童話伝説』鏑木勢岐 著 加越能史談会/刊 いずれも金沢下堤町(または堤町)の大店の娘が病気になり、大沼の水で治るがそのお礼参りに医王山へ行った娘は、沼に落ち大蛇になった、という話であった。犀星は、娘を薬屋の娘に設定しているとのこと。下堤町の場所を地 ...
長野嘉樹の墓所について書かれている資料は確認できなかった。石川県立図書館の「石川県関係人物文献検索」では該当する人物なし。長野嘉樹については、『加能郷土辞彙』(初版)(119754858)p.614、『国書人名辞典 第3巻』(111781071)p.486に項目があるが、墓所に関する記載はない。明治初年に加賀藩士が金沢藩庁に提出した由緒帳「先祖由緒并一類附帳」には、菩提寺の記載があるが、長野姓の医師はいなかった。文化8年の町人の職業・姓名の記された『金沢町名帳』(119585450)や、武士の交名帳である侍帳においても、名前は確認されなかった。『近世金沢の医療と医家』(118577033)には、近世前期及び後期の侍帳記載の医師がまとめられているが、長野姓の人物はいない。菩提寺ごとの人名の経歴が記されている『金沢墓誌』(118582759)にも記載なし ...
【穴水で行われた石川県体育大会について】 昭和53年頃に穴水で石川県体育大会が開かれたと思うが、その時の記録はないか。その時の女子卓球で穴水町が優勝しているはずである。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:17)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:17)
昭和53年の体育大会の記録した冊子『石川県体育大会 第30回』(11908013)を確認したところ、主会場は七尾で、穴水で競技はなされていなかった。『スポーツ石川のあゆみ』(119616744)p.760~「石川県民体育大会成績一覧」に各回ごとの主開催地が記されているが、穴水の記載はない。昭和53年前後で、能登で開催された体育大会がないか「石川県民体育大会成績一覧」で確認したところ、昭和57年に主会場輪島で行われていたと記されていた。昭和57年の大会を、『スポーツ石川のあゆみ』p.764~「スポーツ年表」で実施日を確認。実施日とその翌日の北国新聞の縮刷版を確認したところ、8月9日付9面に記事があり、「穴水町など奥能登二市四町一村の各会場で」とあり、穴水で競技が行われたことが確認された。なお、同面で女子卓球で穴水町が優 ...
【金沢の玉川町通り商店街について】 金沢の玉川町通り商店街について書かれた資料はないか。歴史について書かれていたり、古い写真が収録されていればなおよい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:17)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:17)
昔の商店街を紹介している資料としては、以下のものがある。『商店街の繁栄で拓く明日の金沢』(11916664)p.85玉川町商店街振興組合の紹介がある。写真あり。『金沢商店街のあゆみ』(118281423)p.178~179玉川町商店街が紹介されている。『芳斎教育のあゆみ』(11918163)p.27戦前の商店街の写真あり。『写真が語る金沢市の130年』(118613256)p.89現在の商店街を紹介している資料としては、以下のものがある。商店街の沿革についても触れられている。『玉川町通り商店街 エコショップマップ』(109225004)『玉川町通り商店街』(118610343)なお、同商店街のホームページにも、歴史について記されており、古写真も掲載されている。「玉川町通り商店街について」【URL】https://tamagawacho.com/about/ 2020年年10月25日最終閲覧
【宮本頼三について】 明治初年に岩倉具視とやりとりしていた宮本頼三という人物について書かれた資料を見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:17)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:17)
石川県立図書館の石川県関係人物文献検索で検索すると、宮本頼三に関する資料が確認される。『石川県石川郡誌』(11824573)p.405や『新松任町史』(119562581)p.203によると、頼三の経歴は以下の通りである。天保14年 誕生文久元年 広瀬旭荘(『新松任町史』では範治と記載)のもとで漢学を修学慶応元年 長崎遊学明治2年 外務省権大録 のち、東京府議会議員、東京府茶業組合長明治38年 6/30没『石川県石川郡誌』は国立国会図書館デジタルコレクションにてインターネット公開されている(228コマ目を参照)。【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1186712/1/1 (2020年10月18日最終閲覧)『新松任町史』は、図書館送信参加館において閲覧可能。当館近世史料館で所蔵されている明治初年の藩士の由緒書「先祖由緒 一類附帳」に明治4年提出の宮本頼三の由緒帳があり、提 ...
以下の資料を確認した。資料によって、最終運行日昭和42年2月10日を以て廃止としているものと、最終運行翌日の11日を以て廃止としている資料があった。『よみがえる記憶北陸の鉄路』(118619115)p.26「S42.2.11 全線廃止」、p.49「昭和42年2月10日の廃止時に、」とある。『金沢市史 通史編3 近代』(119958310)p.739「運行最終日である二月十日の最終電車発車時刻には、」とある。『金沢市内電車50年のあゆみ』(11909314)p.3「昭和42年2月10日限り、約半世紀にわたる歴史を閉じたのであります。」p.50「軌道金沢市内線の運輸営業を廃止し、バス輸送に切り替える。」とある。『金沢の百年 昭和続編』(119320633)には、「大正8年以来48年の歴史をもつ北鉄の市内電車が全面廃止された。」とある。『市電廃止記念』(118309050)巻頭「昭和42年2月10日かぎりで、金沢 ...
【久保市乙剣宮について】 (1)久保市乙剣宮の由来が知りたい。(2)小坂庄とは今で言うとどの辺りになるのか知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:16)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:16)
『加能郷土辞彙』(改訂増補)(119865516)p.12に記載されている久保市乙剣宮の項目を提示した。金沢市図書館ホームページで『金沢古蹟志』に久保市乙剣宮の記載があるかどうか検索をかけたところ、該当する記事が『金沢古蹟志 第11編』(119865973)の巻廿九p.14に見つかった。『金沢市神社大観』(119555602)p.12にも久保市乙剣宮の記載があった。久保市乙剣宮は小坂庄久保市村にある、という内容の記述がそれぞれの資料に見られたため、追加質問として「小坂庄とは今で言うとどの辺りになるのか」と聞かれた。『日本歴史地名大系 17 石川県 石川県の地名』(118287258)p.348で久保市の記載部分を提供し、久保市が尾坂下、中町の呼称であったことが分かった。『図説 金沢の歴史』(109173982)p.36~p.37に小坂庄の記述が見つかった。それによって、小坂庄が ...
【足利義政の生花について】 足利義政が生花を生けていることについて書かれた資料を見たい。特に、撫子について書かれた資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:16)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:16)
以下の資料には、義政が同朋衆立阿弥に牡丹など花を立てさせていたことや、梅を愛好していたことに関する記述がある。なお、撫子に関する記述は確認されなかった。『日本花道史』(11927207)p.30~31『足利義政 日本美の発見』(112432745)p.175~176『いけばな史論考』(111834193)p.82~85『足利義政と東山文化』(113653043)p.157~158『歌・花・香と茶道』(113794266)p.108~109『いけばなハンドブック』(11069734)p.21~22『山根有三著作集 7 花道史研究』(119864519)p.16~17なお、各書で引用されている史料「蔭凉軒日録」は、『大日本仏教全書』133~136などに収録されている(当館には「蔭凉軒日録」を収録した資料の所蔵なし)。『大日本仏教全書』の戦前発行のものは、国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されている。【URL】https://dl.ndl.go.jp/p ...
【野上祇麿が犀川画廊で開催した展覧会について】 富山県射水市生まれの洋画家、野上祇麿(のがみ ただまろ)について1 昭和49年(1974) 「犀川画廊企画展」に出品 昭和51年(1976) 「シュピーゲル展」に出品 この2つの展覧会の開催を伝える新聞記事等、文献資料がないか2 犀川画廊の会社概要、沿革等が確認できる文献資料がないか3 10/14追加・野上祇麿(のがみ ただまろ、昭和5年(1930)―平成29年(2017))が出品した展覧会(金沢市内[推定])について 昭和43年(1968
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:16)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:16)
・石川県立図書館の「石川県内新聞記事共同データベース」で「犀川画廊」を検索。 1997-11-25 女の目 女性の感性を生かして 基本は思いやり 心の安らぎを与える 金沢ミセスクラフト協会 中谷照子さん(画廊主) がヒットした。当該記事を北國新聞縮刷版で確認。・当館OPACで「中谷照子」をフルテキスト検索。 『私の人生抄 蘭の巻』(11912174)がヒット。 犀川画廊の設立に関する記述あり。・昭和49年、昭和51年の北國新聞縮刷版「きょうの催し」で、犀川画廊の展示会を順次確認。 昭和49年8月1日~に「伊藤公象・二人展」が開催されたとの記述あり。 昭和51年の催しに「シュピーゲル展」が見当たらず。 念のため昭和52年1~3月分も参照したところ、昭和52年2月1日~13日に当該展示会が 開催されたことの記述を発見した。・『石川の美術』(11947 ...
図書館システムで「青木木米」とフルテキスト検索をかけたところ、『日本美術絵画全集 第21巻』(11027809)がヒットしたので、まずそちらを紹介した。また、郷土に関連する人物であるため石川県立美術館に作品が所蔵されていると考え『石川県立美術館所蔵品目録』(11916651)を確認したところ、青木木米の作品「染付?風箱香合」のモノクロ写真が掲載されていた。落款については、掲載されている資料を探すため図書館システムで「落款」と検索をかけ、検索結果のうち『日本書画 落款大事典』(118482270)が最も青木木米に近しい資料であると予想し内容の確認を行った。p.2には木米の落款とその読みが2種類掲載されていた。以上の資料を提供した。
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