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金沢市のホームページに明治22年~令和2年までの市域の変遷と異動後の面積が掲載されていた。【URL】https://www4.city.kanazawa.lg.jp/29001/siseinogaiyou/siiki.html (2021年7月4日最終閲覧)郷土の統計資料を中心に調査をした。過去の金沢市の面積がわかるものとして、以下の資料がある。各年の『金沢市統計書』『稿本金沢市史 市街編第1』(119562840)p.221各年の『金沢市勢一覧』(戦前)『金沢の市政』平成6年まで「市域の変遷」があり、面積の変遷まで把握できる。『金沢市市勢調査』(昭和5年と昭和10年)『金沢の市勢 昭和30年版』(119508694)p.3『金沢市史 通史編3 近代』(119958310)p.461~475に、編入による市域の拡大についてまとめられている。『角川日本地名大辞典 17』(118552562)p.1335~「市町村沿革表」があり、編入年月日がわかる。昭和11年に金沢市企業局か ...
【昭和20年代の金沢駅周辺について】 戦後金沢駅周辺には闇市があった。そのころの様子が分かる資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:24)
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・金沢駅、周辺校区名などをキーワードに検索し、次の資料を提供した。 「金沢都市計画図-金沢駅」(119549356) 昭和29年航空写真をもとにした地図 「〔金沢市内写真帳〕」(119931077) 昭和20年代金沢駅の写真 「金沢ステーションデパート十五年史」(11826386)p9 昭和20年代後半の駅改装計画、開店までの周辺事情等が記載されている。 「鉄路有情」(118368454)p102 駅周辺でヤミ市ができたこと、駅職員、家族のために食糧増産部が発足し、自給自足を目指したことなどが記載されている。 「はばたく此花」(109078016)p24、26、35 昭和20年代校区の様子、商店街の工夫などが記載されている。
【犀滝について】 犀川の上流域にある犀滝について調べている。犀滝が犀川の水源だと記されている資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:24)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:24)
源流については、以下の資料に記載があるが、犀滝を源流としている資料は確認できなかった。『日本歴史地名大系 17 石川県』(118287258)p.337「犀川」「奈良岳に発する西谷川が源流」と記されている。『稿本金沢市史 市街編第1』(119562840)p.94「源を石川郡の東方奈良ヶ嶽に発し」『金沢市水道史 続篇』(119458046)p.1「奈良岳から発する二又川が倉谷川と合流して」『北陸の河川』(118348578)p.66「犀川」本流二又川が最高峰の奈良岳から流れ出ている旨が記されている。『かなざわの自然』(119333865)p.43「犀川の水源地は、奈良岳、赤摩木山、大門山などです。」『加能郷土辞彙』(改訂増補)(119865516)p.346「犀川」には、「石川郡奥三方岳の北麓に発し」とある。『金沢誌』(119528848)p.上ノ15に「水源ニ菊渓アリ」と記されている。『亀の尾の記』(11824 ...
【金沢百万石まつりの前身の商工まつりについて】 昭和20年代に行われていた商工まつりのことが分かる資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:24)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:24)
明治期に開始された「封国祭」が戦後、尾山まつり奉賀会の祭りとなり、昭和27年「尾山まつり」を受け継いだ「商工まつり」が開催され、これが第1回「百万石まつり」となった。以下の資料に、商工まつりは百万石まつりの前身のまつりであることが記載されている。『金沢市史 資料編14』(119748725)p306「第七節 市祭と百万石まつり」『百万石まつり35年の歩み』(118542557)p6「百万石まつりの由来」、p52「座談会」『わが町・金沢安江町』(11920042)p92、93「尾山祭・百万石祭の商工パレード」には、まつりの成り立ちについての記載とともに写真7枚(尾山祭利家入場 1枚、百万石まつり商工パレード[年代記載なし] 6枚)の掲載もあった。なお、『旧藩祖三百年祭と金沢の祭 盆正月から百万石まつりへ』(109180637)には、質問者が求めていた昭和2 ...
『石川県災異誌 〔1971〕』(119565574)p.95に元禄3年(1690)3月16日と17日の大火について、火元や被害状況がまとめられている。『加賀藩史料 第5編』(11801628)p.34~3月16日に竪町より出火した火災に関する史料がまとめられている。p.46~には24日に吹屋町で起きた火災に関する史料も収録されている。『石川県消防史』(119565126)p.803に元禄3年の「金沢の大火」がある。『金沢市史 通史編2 近世』(119896540)p.416「城下町の火災」には、当該火災に関する具体的記述なし。p.318「金沢大火年表」に元禄3年3月16日と17日の火災の出火場所と焼失軒数が記載されている。『金沢市史 資料編6 近世 4』(119705020)p.14に概要、p.429~史料として「金沢大火に付留書」と「金沢火災記」が収録されている。「金沢火災記」は「元禄三年金沢火災記 」という題で、石川県立図書 ...
【風鈴踊りについて】 『金沢の昔話と暮し、ならわし』 鈴木 雅子/著について第八話 かかあの風鈴こりゃ妙じゃ という昔話に、風鈴を持って踊る、という描写がある。これは、金沢固有の風習なのか。実際にあったかどうか不明だが、調べる方法はあるか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:23)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:23)
金沢の風習について書かれた資料や金沢市史等を参照するも、金沢で「風鈴踊り」が伝承されている、実際に踊られていた、との記述は見つけられなかった。『金沢の昔話と暮し、ならわし』の元本『冬夜物語』(11921752)を参照。P88-89解説に「類話が長崎、島根、福岡に分布している」との記述あり。また、第六話 塀越しの花(鼻)は切ってもつかえんもんじゃの解説P86-87に、「風鈴踊りと結びついた例がある」との記述あり。この情報を頼りに『日本昔話大成 8』(11018786) 『同 10』(11086243)を参照。8巻P276-277「風鈴踊り」と10巻P798-801「出たものは切る」という形式の昔話がそれぞれ日本各地に分布していることが記載されていた。また、『日本昔話事典』(111535265)P798-799にも「風鈴踊り」の項目あり。
石川県下では、昭和7年(1932)に石川県婦人国防会が発足、昭和8年(1933)に大日本国防婦人会が発足している。その後、愛国婦人会・連合婦人会と統合して、昭和17年(1942)に大日本婦人会が発足している。以下の資料に概略や変遷が記されている。『石川婦人百年の歩み』(119565565)p.53~57『石川の女性史』(118307575)p.142~146『加能女人系 下』(118412660)p.317~「大日本国防婦人会」その他、各地域の歴史を記したものにも、断片的に記述がある。『新修羽咋市史 近現代 通史編』(119997444)p.278~279『新修七尾市史 16 通史編 3』(109174854)p.373~375以下の資料には記載なし。『石川県婦人の歩み』(119519526)『石川県青少年団壮年団婦人会要覧 昭和7年版』(119514440)『石川県青少年団壮年団婦人会要覧 昭和8年版』(119514459)『石川県社会教育資料 2』(119513415)「婦人会 ...
【内灘闘争の際、兼六園で開催された集会とデモ行進について】 内灘闘争の際、兼六園で大規模な集会が行われ、その後香林坊をデモ行進した。その際の新聞記事、パンフレットや式次第等の資料はないか。また、集会が行われた経緯を知りたい。加えて内灘の海岸にあった着弾観測地や兵舎等の写真はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:23)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:23)
・内灘闘争に関する資料は、ほぼ調査済とのこと。・「内灘闘争資料集」(11827180)の年表で大規模な集会が兼六園で開催された日を特定し、新聞記事を調査。・大規模な集会としては、1953年5月30日に国の調査団が来沢するのに合わせた県民決起大会、7月18日に金沢で初の義務教育公聴会が開催された翌日(19日)に日教組が開催した基地反対国民大会があった。この大会後、香林坊から武蔵ヶ辻を通り彦三大通りまでの行進に関する記事があった。大会に関する記事は「内灘闘争資料集」p99にも記載あり。・写真掲載資料 「内灘から三里塚」(11826832) p35,p21には試射上の略図あり 「証言内灘闘争」(119792438) 巻頭写真多数あり 「ビジュアル内灘町史」(119792170) p22~38 着弾地観測所、弾薬庫、遠景等の写真あり 「郷土内灘」(11929497) 巻頭に米軍試 ...
【双葉山が傾倒した新興宗教について】 双葉山の伝記を読んでいたら、彼が69連勝していた時に幕下力士に敗れて連勝記録が途切れたことをきっかけに、新興宗教に傾倒したとあった。この宗教の教祖が金沢の人とのことだが、名前を知りたい。(璽光尊事件について)(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:22)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:22)
石川県立図書館ホームページ「石川県内新聞記事共同データベース」に「璽光尊」と入れて検索。北國新聞 平成11(1999)年4月18日朝刊27面、同平成17(2005)年6月12日朝刊20面に記事の掲載があることが分かり、縮刷版を参照。長岡 良子(ナガオカ ナカコ)、長岡 ナカ(ナガオカ ナカ)とも。当館のレファレンス記録No.652も参照した。「璽光尊事件について」【URL】https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000239679 (2021年2月21日最終閲覧)
【石浦町の旅館「丹羽」について】 明治~大正時代の旅館「丹羽」に関する資料が見たい。名前は定かではなく「魚半」の前身らしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:22)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:22)
『金沢商工人名録』、『北陸三県実況案内』(118572402)には記載なし。『石川県電話番号簿 金沢電話局/編』(118600006)p43に「魚半食堂 武藤銀太郎」と記載あり。『明治大正期商工資産信用録 第2巻』(118565346)p165、『明治大正期商工資産信用録 第2巻』(118565300)p163に「武藤銀太郎」の記載あり。『金沢町人の世界』(11826084)p168に「石浦町の平野屋(後に白山屋が引き継ぐ)」という記載を質問者が発見し、探していた旅館が見つかる。『金沢新繁昌記』(118588055)に「白山屋」の広告あり。『金沢の老舗』(118413003)には記載なし。
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