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・『石川県師範学校同窓会会員名簿』(119511368)に記載がないか。勤務期間、担当教科がわかれば知りたい、とのことだった。・同書には、記載なし・『石川師範同窓会百十年記念誌』(119772720)恩師の欄p.110に「斉藤外二」と記載あり。・『石川県師範学校同窓会誌 第2号』(118564287)p.1~8 特別寄稿「ソ連旅行の見聞によせて-風土・民族・文化-」 p.8に「大正12年から昭和20年まで勤務 現在金沢女子短大勤務」と記載あり。調査を、金沢女子短期大学関連資料に切り替え・金沢女子専門学園創立時の名簿(129835566)に職員として記載されていることを確認した。・『金沢女子短期大学二十年のあゆみ』(119811918)p.344 昭和41年/刊 「現職職員一覧表」に昭和21年就任、担任学科についても記載があった。
【日本人とヒゲの歴史について】 日本人とヒゲの歴史について書かれた資料はないか。とりわけ、近世から近代に入っての変化について書かれているものを探している。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:13)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:13)
以下の資料を紹介した。『江馬務著作集 第4巻』(129237290)p.259~267「風俗史上より観たるひげ」では、古代から近代までのヒゲについて概観している。『国史大辞典 11』(111178959)p.872に「髭」の項目あり。古代から現代までのヒゲについてまとめられている。近世・近代に限ると、寛文10年(1670)に上下貴賤とも髭が禁止されたことや、近代に入り、明治天皇がヒゲを蓄えたことや新政府に登用された若い人が権威をつけるためにヒゲが流行したことなどが書かれている。『明治ものの流行事典』(112763372)p.278~279に「髭」の項目があり、近世と近代のヒゲの歴史に関する記述がある。江戸時代には帯刀等で威厳をアピールできたためヒゲを生やす必要がなくなったこと、明治に入ってから官吏の間で威厳を示すため流行し始めたこと、官吏から一般 ...
【金沢の氷室饅頭と京都の和菓子水無月について】 金沢で7月1日に氷室饅頭を食べる。京都では、6月30日に無病息災を祈って水無月を食べる。いわれは同じで氷を献上する側とされる側の風習なのに、献上した金沢が1日遅いのはなぜか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:13)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:13)
・かつて宮中の貴族たちの間には、「夏越の祓(なごしのはらえ)」の際に氷を食べて暑気を払う習慣があり、氷室(ひむろ)と呼ばれる氷の貯蔵庫から氷を運ばせていた。・「夏越の祓(なごしのはらえ)」とは、一年を半分にした6月の晦日(みそか)旧暦6月30日に執り行われていた神事。茅の輪くぐりとも呼ばれる。 ・当時の氷は大変貴重で、庶民が食べられる物ではなかったため麦の粉を練って蒸した、ういろうを三角形に切った、氷に似せたお菓子を作って食べていた。・水無月は、「夏越の祓(なごしのはらえ)」に食べる和菓子で、半年間の罪や穢れを祓い残りの半年も無病息災でいられることを祈願する。下外郎に小豆をのせ氷をかたどった三角形の和菓子。 ・「水無月」の上に散らされた小豆は、悪魔祓いの意味合いがある。豆自体 ...
【前田家の宝刀について】 (1)加賀前田家の宝刀であった大典太の図版の収録されている資料を探している。(2)大典太の霊威に関する伝承の記された資料を探している。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:13)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:13)
(1)について『美術作品レファレンス事典 刀剣・甲冑・武家美術』(113787459)p.75~76にかけて収録されている資料がまとめられている。以下にその一部を掲げる。『国宝・重要文化財大全 6 工芸品』(118431093)『国宝大事典 4 工芸・考古』(11824568)p.354、356『原色日本の美術 21 甲冑と刀剣』(119462853)郷土関係の資料では、石川県立美術館で2回展示がなされていて、図録が刊行されている。『前田育徳会展示室開館記念名宝展図録』(11916655)には解説のみで写真の掲載はない。『加賀前田家百万石の名宝』(109219606)には写真の掲載あり。(2)について旧藩時代の伝承について書かれた資料、刀剣に関する資料を調査したところ、大典太の霊威について数種類の逸話が確認された。・前田家子女の守護刀として扱われたことに関するもの。『加賀藩史料 第5編 ...
【片町にあった喫茶店について】 名前は忘れたが、片町のジャーマンベーカリーの2階にあった喫茶店を利用していた。そこの制服がメイド服であったかどうかを知りたい。昭和53年頃の話である。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:13)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:13)
昭和53年の住宅地図を参照し、「グリル」という名前の喫茶店であることが確認できた。『マップちゃんの金沢 能登』1981年10月刊(11033589)p.21「書籍うつのみや 2階にグリルあり」p.22「日本喫茶のみどりはお茶の林屋の経営で女子高校生に人気があり、ジャーマンベーカリー2階のグリルもそうです」と記載がある。1978年~1982年に発行されていた地元の雑誌である『おあしす』『金沢倶楽部』『金沢情報』を参照してみたが、「グリル」についての記事や広告は発見できなかった。
『角川日本地名大辞典 17 石川県』(118552562)p.1339「市町村沿革表」によると、小金・坂井・中口・金川の4村が明治40年8月10日に合併して小坂村となり、小坂村は昭和11年4月1日に金沢市に編入されている。村長については、大正9年刊行の『石川県河北郡誌』(11824575)p.427~428にかけて記載がある。合併以前の小金村長については、「大矢豊?・神保道直・出坂與三郎・林甚右衛門・西元伊三郎」と記載されている。ただし、併合以前の村長については、「今其在職年月を知る能わず」とある。併合前の小坂村長については、以下のようにまとめられている。篠島憲正 明治40年12月21日~明治41年2月10日和久田勝之 明治41年10月13日~大正元年10月12日武内七三郎 大正元年12月3日~大正4年10月6日長野榮次郎 大正4年11月11日~『石川県河北郡誌』発行以降の ...
【金石の日和山の遊園について】 『金石町誌』p.258に記述のある、日和山遊園について詳しく書かれた資料を探している。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:12)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:12)
日和山遊園の詳細について書かれた資料は確認できなかった。金石の日和山については、『金石町誌』(11801960)p.433~434に「金石灯台」の項目があり、明治30年より灯台があったことが記されている。『追憶 昔の金石とその周辺』(109069803)p.90~91に、「金石日和山灯台下海水浴場」という項目があり、明治30年に海水浴場が開かれたことや、二階建ての浜茶屋が軒を連ねていた旨が記されており、日和山下に海水浴場が存在していたことが確認される。『金石町誌』挿図43、44には、日和山下の海水浴場の写真が掲載されている。金石の海水浴場には、浜茶屋のほか娯楽施設も並んでいたことが確認されるが、その所在地が日和山下であるかどうかは確認できなかった。『石川県石川郡誌』(11824573)p.435に金石町の海水浴場の項目があり、「明治三 ...
【郵便規則第39条の3について】 現在は廃止された「郵便規則第39条の3」を知りたい。また、現在日本郵便ではどのような規則になっているか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:12)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:12)
・D1-lowで廃止法令を含めて検索し、上記規則を案内。・「日本郵便」「心身障害者用書籍小包」等をキーワードに検索するも、「心身障害者用ゆうメール」の案内しか見つけられなかった。・日本郵便の「内国郵便約款」https://www.post.japanpost.jp/about/yakkan/1-1.pdf?200501(2020年6月9日閲覧)を見つけ、内容を確認すると、規則に掲載されている内容が重複していたため、これを提供した。
【「義経記」で義経一行が上陸した大野湊の位置について】 「義経記」で義経一行が大野湊に上陸し、粟崎に向かうとの記述がある。義経の時代の大野湊はどこにあったのか。また、金沢リンクスゴルフ場が該当すると聞いて、尋ねてみたところ埋め立て地と教えられた。どのあたりまでが埋め立て地なのか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:12)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:12)
・『地図で見る金沢の変遷』(118365873)で、平成6年頃、明治42年頃の地図を確認。 金沢リンクスゴルフ場のほとんどが埋め立て地であることが確認できる。・加越能文庫所蔵「加越能三州細密図」(近世史料館所蔵史料データベースでイメージ画像を閲覧可能) 天保時代の海岸線が確認できる。・『海の道と川の道・補遺』(119656946)p63 大野湊は大野川河口の湊で、中世から名が残る。大野川は勾配が緩く、海岸は砂丘のため砂が河口付近に滞積すると流路の変化が大きかったと記載あり。・『大野町史』(119810901)p43 中世の文献に「大野荘湊」の名称が複数登場することが記載されている。 中世の港津は、河川の河口から少し遡った地点にあることが多いことから、大野の集落は、大野川に臨んだ位置で営まれたこと。 日本海沿岸の集落のほ ...
【金沢にかつてあったおでん屋について】 万直しというおでん屋について調べている。金沢で最初のおでん屋と書かれている資料を見た。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:12)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:12)
質問者は『大金沢繁昌記』(118273421)を見て質問してきた。同書のp.132に「金澤最初のおでん屋として食通禮讃の的たる「万直し」」という見出しの文章が記載されている。『金沢商工人名録 昭和8年版』(119503141)p.83に「万直し」が記載されていた。「飲食店(おでん)」と記載されている。開業は昭和2年で所在地や氏名が記載されている。戦後の資料では、昭和24年2月現在の『石川県職業別電話番号簿』(118600015)p.49に「万直し」が記載されている。おでん屋とは記載されていない。『特定商工業者名簿 昭和29年度』(119529881)には記載がなかった。『金沢市西南部の歴史』(109068628)p.251に「石坂川岸町の「万直し」(現、勝田パーマ店)」という記述があった。昭和50年頃の住宅地図で勝田パーマ店の所在地を確認後、当館で最も古い昭和38年の住宅地図 ...
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