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新潟市立木戸小学校の1.校章は蜂の巣(校舎の形を含む)を由来としているかどうか。2.校歌の歌詞に蜂の巣に関する言葉が含まれているかどうか。(新潟県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/1 10:49:20)
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当館所蔵資料を調査したところ、次の資料に校章の由来に関する記述及び校歌の歌詞の記載が見つかりました。ただし、校章・校歌ともに蜂の巣との関わりを示す記述は見つかりませんでした。・『新潟市立小中学校沿革略誌』(新潟市立教育研究所/編 新潟市教育委員会 1973) p91~94「新潟市立木戸小学校」に、学校名・所在地・校歌・略歴・歴代校長等に関する記述があります。 p91「学校名」の上に校章の、p96「六、その他」に校章の由来の記載があります。(校章は)「昭和25年4月制定されたものである。全体の形は雪の結晶をしめし、中の文字は校名「木戸」を入れ、すくすくと伸び育つことをねがって、木の字の縦画を長くして戸は小さく配した。…」と記述があります。 またp91「三、校歌」(昭 ...
下記(1)~(7)の資料に、新潟県内にある高倉宮の墓地とされる場所についての記述があります。(1)『城館跡探訪 附・高倉宮以仁王伝説守護城館跡』(若松茂/著 北越時報社 1991) 高倉宮の墓とされている場所として以下の5カ所が紹介されています。 p99 南蒲原郡下田村外谷地区上谷地集落に五輪塔がある。 p100 加茂市黒水地区下高柳集落に、三基の古塔が倒れている場所と、一基の古塔がある場所があり、そのいずれも高倉宮の墓もしくは関わりのある塔といわれている。 ※下高柳は上土倉と同じく七谷村の大字で、その後七谷村の合併に伴い加茂市の大字になっています。 p102 刈羽郡小国町の苔野島集落に石の祠がある。 p107~111 東蒲原郡上川村中山に胴塚と首塚がある。(2)「越後にお ...
当館所蔵資料を調査しましたが、新潟県のオオカミに関するまとまった文献は見つかりませんでした。 そこで当館所蔵の郷土研究雑誌から、調査・研究に役立つと思われる論文や記事を選んで採録した「雑誌記事索引データベース」を検索したところ、(1)~(5)の関連記事が見つかりました。(1)「郷土伝説 真人の狼退治」(渡辺常治/著 『小千谷文化』56号 小千谷市文化財協会 1972 p3) 明治初年11月、津南町外丸村の斎木甚助が真人村で狼に襲われ、中山、石名坂方面より農夫3、4人が集って狼を仕留めたものの、甚助は絶命してしまった旨の記述があります。中山部落では狼退治の祝宴をあげ、その狼の頭蓋骨を時の部落長の滝沢家に預けましたが、現在では残存していないとのことです。(2)「山犬の話 ...
当館所蔵資料を調査したところ、以下の資料に関連の記述がありました。(1)『さきがけの道“新潟バイパス”』(北陸建設弘済会 2011年) p78 3.インターチェンジの概要 1)黒埼インターチェンジ供用 昭和53年9月 北陸自動車道開通、黒埼ICで新潟バイパスに直結平成元年6月 北陸自動車道の新潟西IC開通に伴い、新潟黒埼IC~新潟西IC間を新潟西バイパスに編入し、新潟バイパスと新潟西バイパスが直結した。インター特記■開発が進む西新潟地区へのアクセス昭和48年11月、新潟バイパスの起点として黒埼ICは、国道8号線に接続する構造で供用開始をした。(中略)昭和58年、西新潟地区の市街地の進展に伴う交通需要に対応するため、新潟西バイパスが事業化され、平成元年3月23日に一部区 ...
当館所蔵資料を調査したところ、前掲(1)~(4)の資料に衝鋒隊の行動の軌跡に関する記述が見つかりました。 (1)『戊辰戦争と「奥羽越」列藩同盟』(栗原伸一郎/著 清文堂出版 2017) 「第2部 第5章 越後における諸藩の地域的連携動向」内p191~198「会津藩と衝鋒隊の北越諸藩取り込み工作」に、慶應4年2月から4月にかけて越後に侵入した様々な軍勢の一つとして、衝鋒隊の動向に関する記述があります。衝鋒隊が各藩と行った交渉の過程や各藩の対応等について、具体的な史料を交えて詳述しています。(2)『内陸会津藩と外港新潟港』(河内山雅郎/著 河内山雅郎 2019) p27~42「第3章 三、会津藩越後出兵[第6、7、8図参照]」内 p34~37「会津藩越後方面勢力」に、慶応4年 ...
当館所蔵資料を調査したところ、以下の資料に新潟港築工の歴史に関する記述が見つかりました。 うち(1)~(7)の資料に、お雇い外国人技師ブラントン、リンドウらが行った測量調査に関する記述が見つかりました。(1)『信濃川大河津分水誌』第1集(建設省北陸地方建設局長岡工事事務所/編 建設省北陸地方建設局長岡工事事務所 1968) 「第3章 第2節 明治時代の経緯」に、明治期の大河津分水紀行までの経緯を編年体で記述しています。 p93~97「3 明治4年~明治5年(1871年~1872年)」に、ブラントンが新潟港の修築上の重点を信濃川の流末に置くとともに、在来の水路から導いて海に放流する必要があるので、分水工事は廃止すべきとの結論に至った旨の記述があります。 p97~98「4 ...
当館所蔵資料を調査したところ、(1)~(6)の資料に新潟会議(別称:鳥清会議)・酒屋会議に関する記述が見つかりました。(1)『新潟市史』通史編2 近世(下)(新潟市史編さん近世史部会/編 新潟市 1997) 「第6章 第3節 諸藩の軍備強化と会津藩の動き」内p430~431「新潟会議」に、慶応3年9月16日に開かれた新潟会議における会津藩及び越後諸藩の動向や、会議で交わされた各藩の意見を集約した条約書等に関する記述があります。(2)『新潟市史』通史編3 近代(上)(新潟市史編さん近代史部会/編 新潟市 1996) 「第1章 第1節 戊辰戦争と新潟の人々」内p10~12「会津藩の進駐」に、新潟会議を承け、翌4年2月2日、会津藩が越後諸藩の代表を会津藩陣屋のある酒屋村へ招集した ...
当館所蔵資料を調査したところ、(1)~(7)の資料に、戦国期における浄土真宗門徒の越後への移住例に関する記述が見つかりました。(1)『新潟県史』通史編2 中世(新潟県/編 新潟県 1987) 「第3章 第3節 教団と信仰」内p473~491「7 真宗教団の展開」に、長尾為景の一向宗禁制や、上杉謙信と真宗、織田信長期の一向宗等に関する記述があります。 p488に、「特に蒲原平野の信濃川沿岸地域は、北信濃時代からの本誓寺・浄興寺などと深い関係があった。寺院・門徒農民が移転し、村落開発に当たったという伝承がある。蒲原平野や新潟をはじめとする日本海沿岸にはさらに北陸諸国からも多くの寺院・門徒が移転し、形成されつつあった本願寺教団と合流して、中世末期の越後真宗教団を旺盛に形づく ...
元会津藩士の大場恭平と坂口五峰の交友について、1.坂口五峰の作った漢詩結社名2.大場恭平の漢詩作品3.坂口五峰略伝(新潟県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/1 10:49:19)
from レファレンス協同データベース (2025/3/1 10:49:19)
当館所蔵資料を調査しましたが、「大場恭平」に関する記述は見つかりませんでした。 なお、以下の資料に会津藩士「大庭恭平」(名:機、号:松斎)に関する記述が見つかりました。1.坂口五峰の作った漢詩結社名 当館所蔵資料(1)に、漢詩結社名「風月唫社」と記載があります。 また当館所蔵資料ではありませんが、(2)の論文に恭平と五峰の交友や「風月唫社」に関する記述があります。こちらの論文はインターネット上で全文閲覧が可能です。(1)『北越詩話』下(阪口五峰/著 国書刊行会 1990) 阪口五峰による越後詩人の評伝です。 「巻十 古山文静」内p766に「…往年会津の人大庭松斎、新潟に寓し、風月唫社を創し、数ば同人を松風亭に会す。…」と、p769~770に「…大庭松斎。名は機、恭平と ...
1.関越道・関越トンネル建設決定までの経緯2.関越道・関越トンネル建設中の苦労話など3.関越道・関越トンネル開通による効(新潟県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/1 10:49:19)
from レファレンス協同データベース (2025/3/1 10:49:19)
1.関越道・関越トンネル建設決定までの経緯2.関越道・関越トンネル建設中の苦労話など 当館所蔵資料を調査したところ、以下の資料に関連の記述がありました。(1)『上越国境を越える道』(阿部公一/著 ネクスコ・エンジニアリング東北 2016年) p56~73 第8章 関越自動車・関越トンネル(2)『長岡工事事務所建設誌(北陸自動車道・関越自動車道)中之島見附~西山・越後川口~長岡』(日本道路公団新潟建設局/編 日本道路公団小出工事事務所 1983年)3.関越道・関越トンネル開通による効果 当館所蔵資料を調査したところ、以下の資料に関連の記述がありました。(3)『高速交通体系の整備等の影響とそれに伴う新潟県の新社会・経済システムの整備の方向に関する調査報告書』(新社会・経済シ ...
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