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以下の資料に記載あり。『石川県史 第四編』(118587405)p.295、299、300、1102『石川百年史』(119563130)p.256~257上記2冊は石川県立図書館の「石川県関係人物文献検索」において確認可能。これらの資料には前田利嗣の家扶として寺西成器の名が見える。『財界人物我観』(129970749)p.164に、明治12年8月東京海上保険会社創立当時の役員(取締役)に「寺西成器」とあり。『明治の巨人岩崎弥太郎』(113229690)p.220にも同様の記載あり。p.18にも寺西成器の記述あり。『三菱銀行史』(129358984)p.63に明治23年12月26日時点で「大阪支店支配人」として名が見え、p.64に明治25年に寺西成器が第百十九国立銀行の取締役に就任したことが記されている。『箒のあと 上巻』(129944865)p.248~249にかけて記述あり。明治26年時点で三菱銀行理事であり、「加州出身で、加賀宝生の ...
雑誌「Newton」の創刊は1981(昭和56)年7月である。『雑誌新聞総かたろぐ 2018年版』(113646773)p.549「Newton」…「NEWTON別冊」「Newtonライト」についてもあわせて確認できる。また、Newtonの公式ホームページに、初代編集長の1999年のメッセージが掲載されており、「この7月で,ニュートンは満18歳の誕生日をむかえます。」とあることからも確認可能。【URL】https://www.newtonpress.co.jp/newton/message.html(2019.3.17参照)ちなみに、公式ホームページによると、「海外版Newton」は1983年から刊行されているとのことである。トップページ>科学雑誌Newton>海外版Newton
【大河端(おこばた)村の沿革について】 大河端の中世の地図や、現代までの地名の沿革がわかる資料を見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:53)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:53)
中世の地図は確認されなかったので、よく使われる地誌書を案内した。『亀の尾の記』(11824824)p.29~30『加賀志徴 下編』(11824805)p.369~370「大河縁村」『石川県史資料 近代篇2』(119562939)p.390~394『石川県石川郡誌』(11824573)p.1194~1195大河端八幡神社についての記載あり。『角川日本地名大辞典 17 石川県』(118552562)p.207~208『日本歴史地名大系 17 石川県』(118287258)p.472これらの資料によると、中世は倉月荘に属していたこと、文明9年(1477)の室町幕府奉行人奉書に「大河縁」と見えることなどがわかる。『加越能文庫解説目録 上巻』(119573816)p.176「加越能三箇国高付帳」(正保3年(1646)成立)の目録情報には、「大河端村」と記載されている。倉月荘については、『金沢市史 通史編1 原始・古代・中世』(119881707)p.393~394、430~431に記述がある。なお、大河 ...
【加賀手まりのルーツについて】 加賀手まりのルーツは、加賀藩第三代藩主前田利常の正室・珠姫が輿入れの際に持参したことだと聞いたが、そのことに関する資料はあるか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:53)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:53)
質問者が聞いたという情報は以下のパンフレット資料にも簡単に記載されている。『金沢の伝統工芸[2017]』(109242337)p.37「加賀手まり」…「将軍・徳川家康の孫で、3歳で前田家に輿入れした珠姫(たまひめ)が持参してきた手まりがルーツといわれます。」そのほかの資料で参考としたものを以下に挙げる。『金沢の玩具』(118414717)p.94「加賀手まり」『暮らしの歳時記 石川編』(118543948)p.105「コラム:涅槃日の手まり唄」…昭和初期まで金沢市内でよく見られた風習について書かれている。涅槃会の法要後に、寺が女の子に開放され、手まり遊びが行われていた。「まりは現在のようなゴム製ではなく、色鮮やかなかわいらしい糸手まり。当時は各家で手作りするのが一般的で、一本一本糸で縫いつけ、華やかな模様を描いていく技法が母から娘 ...
【騎兵第九連隊で陸軍通訳を務めた人物について】 日露戦争時に満州に出征した「出征第二軍騎兵第九連隊付陸軍通訳」の執印宮夫について知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:53)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:53)
『第九師団戦史』(119565331)p.13より、騎兵第九連隊が第九師団配下で金沢にあることが確認される。執印宮夫については、以下の郷土の第九師団や日露戦争関係の資料に記載なし。『第九師団戦史』『金城連隊史』(119566052)『金沢戦時史稿』(119519375)『明治三十七八年石川県戦時記』(119565135)『石川県史 第四編』(118587405)『金沢市史 資料編11 近代1』(119647301)『石川県将士の記録』(119566061)の戦死者名簿にも名前なし。インターネットで検索したところ、「邦字新聞デジタルコレクション」【URL】https://hojishinbun.hoover.org/?l=ja 収録の「日米新聞」、「新世界新聞」に、 大正2年7月から大正6年7月にかけて「歯科衛生士 執印宮夫」という広告が確認される。広告中で「王府フランクリン街」と記されている。以下の在米(北部カリフォルニア)日本人関 ...
資料上で明確な開始時期は確認できず。以下の資料に明治末~大正初頭の金沢市内の電気事業に関する一般的な記述がある。『金沢市史 現代篇 上』(119562670)p.316~322『金沢市発電六十年史』(11911030)p.1~11『北陸地方電気事業百年史』(119627882)p.21~30『金沢市営電気瓦斯事業の沿革』(11902450)附表p.1に昭和4年3月1日現在の金沢市及びその周辺区域の電灯電力区域の記載がある。『金沢市統計書』には、電灯には戸数・灯数・点火料、電力には戸数・馬力・電力量の統計項目があるので、各年における市域全体の戸数については確認できる。なお、『角川日本地名大辞典 17 石川県』(118552562)p.1337の市町村沿革表によると、大河端の属する潟津村は昭和10年12月16日に金沢市に編入されている。『金沢市営電気瓦斯事業の沿革 補遺』は当館に所蔵なし( ...
【プロレスの興行会場について】 昭和の時代に下記のように石川県産業展示館でプロレス興行が行われているが、何号館で行われたのかわからないものがあるので調べてほしい。なお、会場がわかっているものは以下の通り。昭和57年7月23日→3号館昭和59年10月15日→2号館昭和59年10月17日→3号館(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:53)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:53)
『プロレス発『加賀・能登』行きエキスプレス』(119412708)に、昭和29年から平成2年にかけて石川県で行われたプロレス興行の詳細がまとめられている。質問者から指定のあった日付を確認したところ、以下のように記されていた。昭和58年7月27日→1号館昭和59年4月23日→3号館昭和60年6月6日→3号館昭和60年10月15日→2号館昭和60年12月10日→3号館昭和61年7月26日→3号館昭和62年6月1日→3号館昭和62年7月22日→3号館昭和62年12月1日→1号館昭和63年6月12日→3号館昭和63年7月26日→3号館昭和63年11月16日→3号館『スポーツ石川のあゆみ』(119749787)には関連する記載なし。
【お銀小金の民話について】 金沢市の「お銀小金」の民話について書かれている資料はあるか。話のルーツや伝わり方も知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:53)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:53)
お銀小金の民話は継母による継子いじめの民話であり、金沢市のほかにも全国各地で伝承されている。『日本昔話大成 5』(11009119)p.129~156に全国の同類型の話がまとめられている。金沢(石川)の記載はない。金沢市のお銀小金の話は、以下の資料に掲載されている。細かい内容には若干の異同がある。『語り部によるいしかわの民話』(109157352)p.55~60『金沢の民話と伝説』(11824201)p.58~67『金沢市文化財紀要 25-1 金沢市口頭伝承調査報告書』(表紙、背表紙の表記は「金沢の昔話と伝説」)(11906968)p.104~105『加賀・能登の民話 第二集』(118593986)p.70~73『石川の民話』(118412839)p.149~159『金沢市文化財紀要 51 金沢市口頭伝承調査報告書』(金沢のわらべ唄と民謡補遺、金沢の昔話と伝説補遺)(11916179)p.136には変形譚が記載されている。『金沢市文化財紀要 ...
【関沢明清の生没年月日について】 関沢明清の生年月日について、天保14年2月12日と記しているものと、2月17日と記しているものがあるが、いずれが正しいのか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:52)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:52)
〇質問者による事前調査事項以下の資料では2月17日説をとっている。『国史大辞典 第8巻』(11089585)p.289-290『講談社日本人名大辞典』(112321755)p.1037『放送大学教育開発センター研究紀要 12号』(放送大学機関リポジトリでPDF公開)一方で、アジ歴公開の以下の史料では2月12日と記されている。「元総領事兼外交事務官正木退蔵外九名特旨進階ノ件」「正六位勲四等関沢明清特旨進階ノ件」(以上2点は国立公文書館所蔵)明清は天保の生まれになるので、戸籍台帳のようなものは作成されていない。当館近世史料館に「先祖由緒并一類附帳」(藩士の履歴を書き上げた由緒帳)の明清のものがあるが、生年のみ記載されている。その他、国立国会図書館のデジタルコレクション(図書館送信限定)で以下の資料を確認した。『水産同窓会誌』(2)』(明治32刊)「 ...
『高山右近の生涯』(109184260)p.10「高山右近像」(カルディン『日本の花束』より)p.41「高山右近友祥」(『太平記英勇傳』のうち)p.44「山崎合戦図屏風の高山右近」p.68「高山右近肖像画」金沢市立玉川図書館蔵『北陸のキリスト教』(119894017)p.29「スペイン・マンレーサ岩窟内セント・イグナシオ聖堂壁画」『キリシタンの記憶』(112914127)p.23「高山右近一行のマニラ流配・船中の図」(金沢市立玉川図書館近世史料館所蔵)(『高山右近の生涯』p.68と同じもの)なお、金沢市・金沢市観光協会より「高山右近と金沢」というパンフレットが2018年11月より頒布されており、上記「高山右近肖像画」が掲載されている。
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