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【金沢市内にある使われていない隧道について】 インターネット上で紹介されていた、夕日寺の隧道の開通年と御所の隧道について書かれている資料はないか。質問者は『長江谷物語』(119758098)に昭和24年開通と記されていると確認済。その一方、『金沢の百年 大正・昭和編』(市史年表)(109089889)には、昭和30年11月7日に完成し、完成式が行われたと記されているとのことであった。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:56)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:56)
『夕日寺校下町会連合会創立五十周年記念誌』(109219642)には、同隧道の正面写真と、昭和24年完成と記されている。『長江谷物語』と併せて、夕日寺地区で出している刊行物は昭和24年完成という見解をとっている。北国新聞の昭和30年11月8日付7面に夕日寺町の露谷―後谷間”後谷トンネル”が7日に完成、午後2時から同トンネル入口で完成式が行われた旨が書かれている。なお、着工は29年の4月と記されている。御所町の隧道については、夕日寺地区・小坂地区関連の資料や郷土の交通関係の資料を確認したが、関連する記述は見つからなかった。
【鵜川(加賀)の西南戦争従軍者について】 西南戦争で抜刀隊として従軍したとされる「上口安右衛門」について知りたい。なお、以下の事項は調査済み。・西南戦争で戦死している。・小松の鵜川の出身で、当地に慰霊碑がある。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:56)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:56)
西南戦争で戦死したとのことなので、『石川県将士の記録』(119566061)収録の西南戦争の戦死者名簿を確認したが、上口姓の人物は記載されていなかった。『軍都の慰霊空間』(118375305)p.140に、西南戦争時に石川県下でも「巡査部隊」が編成され、その折の従軍記録が京都東山の霊山歴史館に残されている旨が記されている。鵜川は旧国府村に属していたため、『国府村史』(119562563)を確認したところ、国府村からの西南戦争出征関連の記述があった。p.62「この村からも遊泉寺の下口安右エ門、古府の中島次郎助、和気の寺長八、鍋谷の高畠長吉など鎮台兵として出征しましたが」p.595~596「この村より幾何の人達が動員されたか (中略) 幸にして戦が終つて帰郷するに一人の戦死者もなく、参戦した遊泉寺村の下口安右エ門氏は戦場の露と消え ...
【金沢市の統廃合された小学校の校歌について】 金沢市内で統廃合された小学校の校歌の歌詞が載っている本はないか。特に「八田小学校」「大場小学校」「才田小学校」などのものを探している。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:56)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:56)
金沢市内で統廃合された小学校の一覧が書いてある資料がないか、「教育史」等を探したが、年表として載っているものしかみつけられなかった。そのため、質問者が挙げられた3つの小学校の校歌について調べることとした。それぞれ学校名をキーワード検索したところ下記資料に校歌の歌詞の記述がみつかった。八田小学校 校歌『98年のあゆみ 閉校記念誌』(119570420)p.28大場小学校 校歌『母校96年のあゆみ』(119528285)表紙の裏才田小学校 校歌『さいだ 九十六年のあゆみ』(119570350)表紙の裏八田小学校の資料タイトルに「閉校記念誌」とあったため、「閉校記念誌」で検索したところ他の小学校についても何件かヒットした。その他書架で見つけた小学校関連の資料を提供した。
『石川県銀行誌』(11801951)p.191によると、大和田銀行金沢支店は明治31年11月20日に開設されている。同書によると、所在地は「十間町5」となっている。昭和14年の「大日本職業別明細図」では、博労町に所在している。大正5年の『紳士縉商北陸商工業名鑑』(国立国会図書館デジタルコレクション)p.20には「十間町四四」と記載されている。【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/923535/1/25戦前の金沢市街図等では確認できなかった。追加調査の結果、以下の事項を確認。明治38年の『北陸三県実況案内』(118572402)p.20には、「十間町四四」と記載されている昭和3年の『金沢商工人名録』(119503114)p.261には、「博労町六一」と記載されている。大正9年の『最新金沢市案内』(国立国会図書館デジタルコレクション図書館送信限定)には「博労町」と記載されている。 ...
【大槻伝蔵の屋敷の場所について】 加賀騒動で知られる大槻伝蔵の屋敷の場所がわかる資料を見たい。地図などに明示されているものがあればなおよい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:55)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:55)
質問者は、『金沢古蹟志 第三編』(119865893)p.33~34の記述は既に確認済みとのことであった。『加賀騒動』(11801146)p.33に加賀騒動関係図が記載されている。「賀州金沢城下町割図」上のおおよその場所に数字が付されている。大槻の屋敷は「仙石町」と記されている(質問者はこの資料も確認済みであった)。『日本歴史地名大系 17 石川県 石川県の地名』(118287258)p.379に「仙石町」の項目がある。通りの東側に大槻伝蔵の屋敷があった旨と、文政5年(1822)に藩校明倫堂と経武館が移築された旨が記されている。同頁「明倫堂跡」の項目にも「大槻伝蔵屋敷跡地」と記されている。藩校が大槻の屋敷があった旨は、藩校関係の資料にも記載がある。『稿本金沢市史 学事編第1』(119562741)p.38~42にかけて記述がある。敷地の建物配置図も収録されている。 ...
【幕末に日本に来たイギリスの外交官について】 幕末に日本に来たイギリスの外交官について知りたい。パークスやアーネスト・サトウ以外の人物について書かれたものがいい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:55)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:55)
『江戸時代来日外国人人名辞典』(113232453)p.259~284に、イギリス含めた各国の外交官の経歴がまとめられている。『日本外交史辞典』(111337859)p.145~146にかけて、イギリスの歴代の駐日公使、大使がまとめられている。次の来日外国人や幕末維新期関係の人名辞典等にも記載あり。『幕末維新人名事典』(11000197)『来日西洋人名事典』(111605824)『幕末維新大人名事典』(上下巻) 上巻(113073297) 下巻(113076303)『日本とイギリス』(112130440)p.200~幕末以降に来日したイギリス人について書かれている。その他次のような、個別の人物について書かれたもの、滞在記を翻訳したものがある。『オールコックの江戸』(112550918)『大君の都』(上中下巻) 上巻(129683929) 中巻(129683910) 下巻(129683900)『英国外交官の見た幕末日本』(111659469)『英国外交官の見た幕末維新』(1 ...
【花園地区の歴史について】 金沢市の花園地区の以下の事項について知りたい。1.花園及び利屋の地名の由来2.波自加弥神社、花園神社、日吉神社、誓入寺について3.伊東家住宅について4.河原市用水について(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:55)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:55)
〇1について花園の由来は以下の資料に記載あり。『金沢市校下誌 北部地区編』(109202707)p.92~93『花園に生きる』(119641667)p.4利屋については『花園のれきし』(119551588)p.32~33に記載がある。〇2について・波自加弥神社『日本歴史地名大系 17 石川県 石川県の地名』(118287258)p.554『もりもと』(119778303)p.35~39『加賀志徴 下編』(11824805)p.460~461『石川県神社誌』(118412230)p.30『石川県河北郡誌』(11824575)p.643~649『石川県河北郡花園村誌』(11917743)p.150~156・花園神社『石川県神社誌』p.29『石川県河北郡誌』p.649・日吉神社『石川県神社誌』p.56『石川県河北郡誌』p.649・誓入寺『加越能寺社由来 下巻』(118355320)p.438『石川県河北郡誌』p.652『石川県河北郡花園村誌』p.160〇3について『金沢市文化財紀要 57 金沢の歴史的建築』(11917593)p.90~92『金沢市史 資料編17 ...
以下の地名辞典を確認したが、記載なし。『角川日本地名大辞典 17 石川県』(118552562)『日本歴史地名大系 17 石川県 石川県の地名』(118287258)此花地区の歴史をまとめた資料を確認したところ、以下の記述があった。『このはな』(119606194)p.12「此花町は藩制時代、加賀藩士で禄高七千石の前田図書家の屋敷地ならびに下屋敷(家中町)のあったところである。古来「此の花」は梅の雅称として愛唱されていることから、前田図書家の家紋である梅に因んで明治二年町名となった。」『このはな 此花50年のあゆみ』(109214717)p.6「此花町は藩政時代、加賀藩士で禄高七千石の前田図書家の屋敷地ならびに下屋敷(家中町)のあったところである。古来から「此の花」は梅を指し「木の花」は桜の雅称として使われてきたことから、前田図書家の家紋である梅 ...
【豊川女子挺身隊について】 太平洋戦争中に愛知県の豊川海軍工廠へ動員された石川県からの女子挺身隊について詳しく知りたい。なぜ石川県から動員されたのかなど。卯辰山(うたつやま)に慰霊碑があることは知っている。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:54)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:54)
下記の資料を紹介した。2017.11.4のレファレンス事例も参照した。【URL】http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000232787◆卯辰山の慰霊碑について『卯辰山碑マップ』(109086143)…碑の場所と、どのような碑か解説がある。「31 殉難豊川女子挺身隊員世界平和祈願像」「32 辻豊次胸像」…上記31の碑の建立に尽力した人物の像『石川県産業功労碑集』(11913013)p.89「殉難女子挺身隊員世界平和祈願像」…碑文や合祀者芳名なども知ることができる。◆豊川女子挺身隊について『金沢市史 通史編3 近代』(119958310)p.573-574「非戦災都市の背景」…女子勤労挺身隊について記載がある。『金沢市史 資料編11 近代1』(119647301)p.688「昭和一八(一九四三)年一一月二七日 女子勤労挺身隊」…「北國毎日新聞」に掲載された女子挺身隊の要綱が資料として掲載されて ...
当館の検索システムで光琳関係の蔵書を確認。『光琳と乾山』(129388099)p.7に光琳までの尾形家の系図がある。『光琳関係資料とその研究』(118604702)p.225~226に「光琳の父宗謙より子才次郎までの系図」、「流布光琳系図草本」が収録されている。以下の資料には記載なし。『光琳図録』(128007741)『宗達光琳派図録』(129388105)『もっと知りたい尾形光琳』(112880074)『国史大辞典 2』(11022317)
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