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蔵書検索システムで「新井雅峰」と検索したが、該当なし。インターネットで検索したところ、安江金箔工芸館に作品が所蔵されているとの情報があったため、同館関連の資料を調査。『金沢市立安江金箔工芸館所蔵品図録』(119609294)p.103~105にかけて作品が掲載されている。P.103には略歴も記載されている。新井雅峰は蒔絵師であると記載されていたため、蒔絵関係の資料を確認したが、以下の資料には記載がなかった。『金沢漆芸 加賀蒔絵』(11929428)『加賀ゆかりの蒔絵展』(109265814)
【将軍の前田邸訪問について】 寛永期に徳川将軍が加賀前田家の藩邸を訪れているが(将軍の御成)、それに関する記述のある史資料を見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:00)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:00)
寛永6年(1629)4月26日に家光が、29日に秀忠がそれぞれ前田家の本郷邸を訪問している。寛永期の御成を取り上げている資料としては、以下のものがある。本郷邸の発掘調査関係の資料に記載のあることが多い。『加賀殿再訪』(119713461)p.140『赤門』(118597751)p.32~33『大名屋敷と江戸遺跡』(109081862)p.38~47『東京大学本郷キャンパス 140年の歴史をたどる』(113663219)p.14~15『東京大学埋蔵文化財調査室発掘調査報告書 4 東京大学本郷構内の遺跡』(119453326)p.13『淡交』平成17年3月号(170322254)p.83~87寛永期の御成に関する史料としては、以下のものがある。『加賀藩史料 第二編』(11801625)p.591~601(東京大学史料編纂所近世編年データベースで検索・閲覧可能)『三壺聞書』(118511630)p.192~193近世史料館には以下の史料の所蔵がある。「将軍様相国様御成之次第 ...
【玉川図書館の時計台周りの花壇について】 玉川図書館にある時計台周りの花壇について、金沢南ライオンズクラブにより整備されたというのは本当か。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:00)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:00)
『金沢市立図書館六十年誌』(119465659)巻末の年表に、昭和61年4月8日にソーラー時計が金沢南ライオンズクラブより寄贈されたとの記載あり。新聞の記事になっていないかと思い調べたところ、昭和61年4月9日の北國新聞朝刊19面に「太陽電池で動く時計塔が金沢南ライオンズクラブ(石田外志郎会長)から金沢市立図書館に寄贈され、八日、贈呈式が行われた」との記事あり。白黒写真付きだが、写真からは花壇の様子は伺えない。また、『図書館報 かなざわ』の昭和61年9月発行分に、時計塔が金沢南ライオンズクラブより寄贈され、花壇も整備されているとの記載あり。4月から9月の間に花壇の整備がされたのではないかと検討をつけ、また、他の年で7月に花壇の花の植え替えを行っていることがわかったので、昭和61年7月の北國新聞を調べる ...
郷土の俳諧関係の資料を確認。『北陸の俳壇史』(119570091)p.173に、明治末期の旧派宗匠について記されており、その中に「句空庵賢外」という人物がいる。別名が「今村東郊」となっている。以下の資料にも同様の記述あり。『石川県史 現代篇2』(118412740)p.1115~1116『石川県俳壇明治百年誌』(118281577)p.53「今村賢外」で蔵書検索すると、以下の資料が該当する。賢外本人が記したものであるが、賢外自身の経歴に関する記述はない。『雪袋・證專追善集』(119556421)「今村東郊」で蔵書検索すると、以下の資料が該当する。発行年以前の経歴について記されている。『北国人物志』(118402091)上ノ9同資料により加賀藩士であったことが確認されるため、『加越能文庫解説目録 上巻』の「先祖由緒并一類附帳」の一覧を確認すると、「今村東郊」とい ...
【金沢市勢振興調査会の構成員について】 (1).昭和5年11月に金沢市勢振興調査会に属し、産業博覧会開催に関する提案をしている東与三郎と加賀谷源吾についてわかる資料はあるか。(2).金沢市勢振興調査会の構成メンバー、職業等について書かれたものはあるか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:00)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:00)
質問者の事前確認資料は以下の通り。『金沢市史 資料編11 近代1』(119647301)p.533~538『金沢市史 通史編3 近代』(119958310)p.449○(1)について2名については、いずれも石川県立図書館の石川県関係人物文献検索で検索可能。東与三郎については、以下の資料がある。『北陸人物名鑑』(118406107)p.67~68に機業家としての経歴について記されている。同資料は国立国会図書館デジタルコレクションでも閲覧可能。『昭和金沢財界側面史』(11825835)p.95~97に回想が記されている。『郷土工業物語』(11921871)p.110~112にも記述あり。加賀谷源吾については、以下の資料がある。『石川県議会史 第二巻』(119565215)p.1230に経歴がまとめられている。『金沢市主催産業と観光の大博覧会誌』(11903059)巻頭に常議員の顔写真が収録されており、両名の写真もある。東は「金 ...
【東山の旧住居表示について】 昔住んでいた場所の現在の番地を知りたい。昭和50年頃の住所はわかっている。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:00)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:00)
住居変更の新旧対照表を確認した(『住居表示区域町名便覧』(11918000))ところ、東山は新住居表示であることが分かった。提示された住所は、住居表示ではなく地番である可能性を考え『金沢市住宅明細図 地籍版北部 メーサイズ』(118612160)を確認。利用者に場所と住所を案内した。あわせて、昭和38年の住宅地図により旧町名は馬場3番丁であることを提示したところ、その住所が記録に残っているとのことであった。
【尹奉吉(ユンボンギル)の金沢への連行について】 尹奉吉は大阪から金沢へ連行されて処刑されるまでの間、仕事をしていたか。していたとすればどのような仕事か。収容されていた場所、処刑された場所も知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:59)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:59)
『4月29日(エンペラーズ・バースデー)の尹奉吉』(118420231)p.16~20に大阪から金沢へ連行され、処刑されるまでの様子が記載されているが、金沢には一晩だけ滞在していたことが分かる。そのため、仕事をしていた可能性は低いと考えられる。また、収容されていたのは、金沢衛伊拘禁所の営倉(軍人用の牢獄)、処刑されたのは三小牛山にある金沢陸軍作業場の中の谷間を利用して立てられた刑場と記載あり。『尹奉吉暗葬の地・金沢から』(111560482)p.143~150に、上海からの日本移送と金沢で処刑されるまでの様子が新聞記事の内容とあわせて記載あり。p.151には資料として「死刑執行始末書」あり。『評伝尹奉吉』(113044097)p.235~238にも上海から大阪へ護送され、金沢で処刑されるまでの様子の記載あり。
【石引の市電の写真について】 以前、現在の金沢医療センター辺りの、市電開通前と開通後の写真が並べられた資料を見たのだが、その資料を探している。石引の商店街の方を向いた写真である。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:59)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:59)
市電の開通した大正8年(1919)前後の写真が収録されている資料を確認した。『石川写真百年・追想の図譜』(1979年)(11901030)p.166に、質問者の探している写真が並列して掲載されていた(開通前大正6年のものと開通後大正8年のもの)。なお、改編版である『20世紀の照像 石川写真百年・追想の図譜』(改編版)(118388152)では、p.78に開通前の写真(大正6年)があるのみで、開通後の同アングルの写真は確認されなかった。市電関係の資料も併せて確認。『金沢市電車開通記念写真帖』(11906741)にも写真あり。写真は『石川写真百年・追想の図譜』のものと同じ。『市電廃止記念』(118309050)には掲載がなかった。
『角川日本地名大辞典 17 石川県』(118552562)p.566『日本歴史地名大系 17 石川県 石川県の地名』(111271846)p.392『金沢古蹟志 第6編』(119865928)p.62~63「茶木町」『角川日本地名大辞典 17 石川県』に以下2冊の記載あり。『稿本金沢市史 市街編第3』(119564192)p.692「茶木町」『石川県史資料 近代篇1〔皇国地誌〕』(119562920)p.5「茶木町」質問者より番地を特定されたので『金沢市住居表示新旧対照表 84-4』(11916583)により現在の番地を案内した。
【参勤交代の服装と所持品について】 参勤交代のときの装束や携行品について書かれている資料はないか。また、近世の前半と後半で行列の服装等に変化はあるか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:59)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:59)
参勤交代関連の資料を確認。『参勤交代道中記』(118390366)p.98~121「第四章 大名行列の編成」加賀藩の大名行列を事例に、服装や武器、携行品について記載あり。『参勤交代』(112928409)p.108~136「参勤準備と旅行」行列の形態や携行品について記載あり。『大名行列の秘密』(113060401)p.30「国元の城下町や江戸に入る時は威儀を正した礼装だった。」「道中の間は、旅姿の略装だった」。p.33~45「(3)漬物石からペットまで」には、携行品について記載あり。『日本人と参勤交代』(113072313)p.118~「権威を見せる舞台」に行列の外見と携行品に関する記述がある。携行品については、p.143~「行列の構成」にも記述がある。『実録参勤交代』(113391727)p.10携行品に関する記述あり。『参勤交代と大名行列』(118540875)p.36~41にかけて携行品に関する記述あり ...
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