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『金城霊澤碑文解説』(11912390) 金城霊沢碑の白文、書下し文、訳文及び作者津田鳳卿の略歴等が掲載されている。『特別名勝兼六園』(11825940)p.172-174「金城霊沢・鳳凰山」 金城霊沢の解説が掲載されている。『兼六園を読み解く』(118478705)p.196-200「金城霊沢と金城霊沢碑」 金城霊沢碑が建てられた経緯を考証している。『兼六園歳時記』(119413311)p.94-95「お水とりと金城霊沢」 金城霊沢の解説が掲載されている。『兼六園』(118554960)p.97-99「金城霊沢」 金城霊沢の解説が掲載されている。『金沢古蹟志 第4編』(119865900)巻10 p.19-22「金洗沢霊泉」、p.22-23「金洗沢霊泉碑石」 金城霊沢碑の白文及び設置の経緯が記されている。『加能郷土辞彙』(初版)p.250「金城霊沢」 金城霊沢の解説が掲載されている。『兼六園全史』(109207463)p.215-222「金城霊沢」 碑 ...
『金沢駅西広場』(119474531)「事業経過」施工前と施工後の写真掲載あり。『新世紀・新都心』(119799475)p.7-8「都市計画道路」道路地図と路線写真の掲載あり。金石街道線、北安江長田線、金沢駅西通り線、高架側道3号線、高架側道2号線、北安江八日市線、堀川粟崎線、疋田上荒屋線、金沢駅東通り線、北安江出雲線、諸江二口線、金沢駅港線『新都心の創造』(119799493)p.16-17「都市計画道路」道路地図と路線写真の掲載あり。金石街道線、金沢駅港線、諸江二口線、金沢駅東通り線、北安江出雲線『未来にはばたく金沢駅西新都心』(119412762)p.24-25「都市計画街路位置図」道路地図と路線図の掲載あり。北安江・出雲線、金石街道、北安江・八日市線、金沢駅西通り線、高架川道3号線、疋田・御経塚線、北安江・長田線、堀川・粟崎線、金沢駅東 ...
【黒田の地名の由来について】 金沢市にある黒田町の地名がいつ頃から使われているか、また地名の由来が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:18)
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『日本歴史地名大系 17 石川県』p.478「黒田村」によると、黒田村の初見は鎌倉時代末期の正中2年(1325)である。地名の由来について、『加賀志徴 下編』p.324「黒田」では出雲風土記等を引用し、土の色が黒いため黒田という説を紹介している。『米丸』(119721570)p.69に「黒田の名前の由来について黒田の黒ねばと言われるほど田んぼが黒かった。その上、村の崖淵に田のくろ(畔)がたくさんあったため黒田と名付けられたらしい」と記載されている。
【金沢第二中学校の校舎について】 金沢第二中学校の土地取得から建設・開校に至る過程が記された資料が見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:17)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:17)
『金沢の百年 明治編』(市史年表)(119871415)によると、金沢第二中学校校舎の建築の過程は次のとおり。明治31年6月18日 用地取得明治32年4月 創設明治32年9月 小立野新校舎に移転『金沢市文化財紀要 57 金沢の歴史的建築』(11917593)p.111「金沢市民俗文化財展示館(石川県立第二中学校校舎)」によると、建築年は明治32年で、設計者・施行者は不詳とされている。この作品と全く同形で、同一の設計に基づくと考えられる建築が小松高等学校記念館(県立第四中学校)として現存しているとのこと。『石川県教育史 第1巻』(119565618)p.565-566「石川県第二中学校(金沢二中)」によると、はじめ馬場・彦三・小将町などが候補にのぼったが、結局閑静な小立野台に決定した。そして、下石引町67番地から82番地にいたる片側より飛梅町にかけての地域に6,182坪(20,4 ...
『よみがえる金沢城 1』(119950125)p.151「昭和16年(1941)の旧金沢城内配置図」『軍都の慰霊空間』(118375305)p.26「金沢城内の軍施設配置図(昭和16年[1941]頃)『石川県立歴史博物館(旧金澤陸軍兵器支廠兵器庫)保存工事報告書』(119335215)p.297「旧城内配置図(昭和16年頃)」
【羅漢講員影像について】 『城下町金沢は大にぎわい』p.31に掲載されている羅漢講員影像の町人名を活字にした資料はないか。できれば、各町人の略歴も知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:17)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:17)
『城下町金沢』(118412347)p.210「羅漢講員画像町人」に町人名の活字が掲載されている。ただし、p.209の解説によると、羅漢講員画像は全部で3幅(1幅は彩色画、2幅は墨一色)あり、ここに掲げられたものは『城下町金沢は大にぎわい』(109236812)に収録された彩色画のものとは町人名が異なっている。同画像(彩色画)は『金沢市史 資料編7 近世5』(119763300)口絵p.1及び『町人の世界 金沢』(119867762)にも収録されており、『町人の世界 金沢』には町人名の活字も掲載されている。羅漢講員影像に掲載された町人の一部の略歴は『城下町金沢』p.210-211に掲載されている。
【松ヶ枝町小学校校舎上のドームについて】 戦前の絵葉書に写っている、松ヶ枝町小学校の校舎上にみえるドームは何の建物なのか知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:17)
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『金沢市松ヶ枝町尋常小学校春季運動会絵はがき』(118599504)「松ヶ枝ポールダンス」の校舎上にドームが一つ、「合同体操」の校舎上にドームが二つ写っている。松ヶ枝町小学校の校舎とは別の建物の先端部分が写りこんでいるようにみえる。松が枝町との位置関係から、表通りの堤町方面の建物と思われる。『金沢商工人名録 昭和3年版』(119503114)p.260-268によると、堤町にある主な金融機関は以下のとおり。下堤町:加州銀行、加能合同銀行、明治銀行、日本生命、国光生命、新日本火災海上保険上堤町:北陸貯蓄銀行金沢支店、日本共立生命、横浜生命『金沢市史 資料編17 建築・建設』(119623121)p.222「図6-10 日本生命金沢支社」をみると、建物の上にドームが取り付けられており、松ヶ枝町小学校の校舎上のドームの一つと思われる。北國新 ...
【犀川の水害について】 室生犀星の作品の中に犀川大橋が流されて雨宝院も被害を受けたことが書かれているが、何年のことなのか知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:17)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:17)
利用者によると、『作家の手記』に書かれていたとのこと。玉川図書館所蔵の『室生犀星未刊行作品集 第5巻』室生犀星/著(三弥井書店、1989)(111105649)で確認した。p.52-63 「作家の手記」『なかむら校下今昔誌』(11931483)p.256-257「水害」大正11年8月3日 金沢測候所開設以来の大雨で、犀川の橋全部、浅野川は天神橋を除いて全部流出。犀川の堤防60か所決壊。市内浸水家屋4,000戸。戸板、大野村までが洪水に見舞われた。当時の写真掲載もあり。キャプション「大正11年8月3日の犀川の洪水。雨宝院の裏の土堤が崩れ、本堂が傾いている。」『金沢・野町の四〇〇年』(119666183)p.66-67「犀川大橋」1922年8月、金沢測候所(現・金沢気象台)開設以来という豪雨によって犀川が増水し、上流からの流木などが橋脚にかかり水を塞き止めたため、片町などの低 ...
○明治2年説をとるもの『かなざわ名妓の栞』(118578916)(出版年不明)「主計町検番」「花柳界になるのは明治二年(一八六九)、東廓の幕末に次いで二番目に古い」と記載されている。『20世紀の照像 石川写真百年・追想の図譜』(改編版)(118388152)p.99「主計町」 「1869(明治2年)」から遊廓となった。」と記載されている。『金沢の芸妓さん』(アクタス2007年1月号別冊)(118487446)p.78「主計町茶屋街」によると、「「主計町茶屋街」は、大正ロマン漂う浅野川大橋から下流の左岸にあり、歴史は明治二年(一八六九)にさかのぼる。」と記載されている。『金沢 歴史と文学と伝統文化に彩られた加賀百万石の城下町』(118457222)(2004年)p.24「主計町」「浅野川に架かる浅野川大橋から中の橋までの川沿いの一画が主計町。町名は、江戸時代に加賀藩士・富田主計 ...
【加賀藩士の履歴書類について】 我が家は宇出津出身で、金沢藩から苗字をもらったと伝えられている。「先祖由緒并一類附帳」というものを拝見するにはどのようにしたらよいか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:16)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:16)
「先祖由緒并一類附帳」は金沢市立玉川図書館近世史料館の加越能文庫に収録されている。「先祖由緒并一類附帳」は『加越能文庫解説目録 上巻』に一覧が掲載されており、目録は以下のページで閲覧できる。【URL】https://www2.lib.kanazawa.ishikawa.jp/kinsei/archive.htm上記一覧に涌坂姓は見当たらないが、脇坂姓は2家収録されている。なお、『能都町史 第3巻 歴史編』(11913532)p.343-350によると、宇出津近辺の十村(大庄屋、姓をもらっていた家)に、鵜川村喜三兵衛家(北村姓)、明千寺村愛三郎家(北村姓)、宇出津村秦藤三郎家、宇出津村源五家(姓不明)、鵜川村河合助左衛門家、鵜川村多田六蔵家、宇出津村室谷久八郎家、宇出津村上田彦之丞家がある。
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