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○松花の定義『加能郷土辞彙』p.827 「マツバナ 松花 金沢地方で正月の仏壇に捧げる松の小枝で作った立花をいふ。」と記載されている。『暮しの歳時記 石川編』(118543948)真心を込めて年始のあいさつ p.31 神仏を尊ぶ正月の縁起物 松花「郷土史家日置謙の加能郷土辞彙には「松花は金沢地方で正月の仏壇にささげる松の小枝で作った立花」とある。仏壇だけでなく、神棚にも供える。元旦から松飾りのとれる14日まであげておき、左義長にほかのお飾りと一緒に神社へ持っていって焚く。松花の型は「コミ」という藁づとに松を芯にした枝を立てて、松笠や赤い実のついた小枝などを添えて形よくまとめる。全部で5種類があり、仏壇の大きさで決まっている。」と記載されている。○松花の写真・絵『かが・のと 生け花人国記』(118295170)p.3 上 ...
【江戸時代の金沢の商人について】 江戸時代の金沢の商人の名前を調べるにはどうしたらよいか。先祖の名前が載った資料を探している。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:27)
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調べているのは「西念屋伊三郎」という人名で、味噌・醤油商売をしていたとのこと。氏名の右肩に「欠」と書かれていることから、欠原町と推定されている(近世史料館所蔵史料090-1170-6「開店広告」)。『金沢町名帳』及び『金沢町絵図』の欠原町の項目に「西念屋伊三郎」の記載は見つからなかった。油車で炭商売をしていたとの伝承に基づき、油車の項目も探したが、見つからなかった。その他、以下の資料を調べたが、「西念屋伊三郎」の記載は見つからなかった。『金沢の引札』(11801927)『城下町金沢』(118314471)p.205「天保期の著名町人」(三都古今取組商人玉集より)、p.209「「三ヶ国長者鏡」の中の金沢町人」、p.210「羅漢講員画像町人」『金沢市史 資料編7 近世5』(119763300)p.539-550「千とり杖」『町人の世界 金沢』(119867771)「76 東西繁 ...
『折口信夫全集 第17巻』(129591999)p.463-469「門松のはなし」に、門松は正月の神を迎える招き代であり、その木は必ずしも一種には限られなかったという説が述べられている。『日本風俗史事典』(11907419)p.116-117「門松」 平安末・鎌倉のはじめには行われていたこと、その起源は中国にあったとも考えられること、後代には松のほか竹や梅が加えられるようになったこと、江戸時代には幕府・武家・民間でひろく立てるようになったことなどが記されている。『日本民俗大辞典 上』(112021875)p.376「門松」『昔の金沢』p.81「門松」に「門松は町家に樹つることを禁ぜられ武家と雖も松拝領の家でなくては樹てることを許されず、その松も町会所(現今の市役所)から請ひ受けたものである。元来松は御用木として大小に依らず私に伐採することは藩の ...
【社会教育主事について】 社会教育主事について、どんな仕事か、どうすれば資格が取れるか、取ることで就職が有利になるかどうかということが書かれた資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:27)
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○社会教育主事について『社会教育・生涯学習辞典』(113280030)p.248-249「社会教育主事」 都道府県および市町村に設置が義務づけられている社会教育に関する専門職員。○資格の取り方『資格取り方選び方全ガイド 2016年版』(113341108)p.235「社会教育主事」 社会教育主事の仕事に就くためには、必要な資格を満たし、講習を受けることが必要である。また、都道府県・市町村教育委員会から「社会教育主事」として発令されることが必要である。最新情報は文部科学省ホームページで確認できる。「社会教育主事・社会教育主事補について」【URL】http://www.mext.go.jp/a_menu/shougai/gakugei/syuji/index.htm○就職が有利になるかどうか『社会教育・生涯学習辞典』(113280030)p.249に「社会教育主事のための専門採用枠を設けて採用する都道府県または市町村教育 ...
○町会の法的根拠について『町内会』(11029513)p.36に「制度として廃止された結果、町内会などは任意団体として存続することになった」と書かれている。法律に準ずるものとして町内会に関する判例をD1-Lawなどで閲覧することができる。金沢市町会連合会の会則等は『金沢市町会連合会50周年記念誌』(119985579)p.224-231に、各町会の会則等はそれぞれの記念誌等に掲載されている。○町会成立の歴史的経緯『金沢市と町内会』(11903076)p.5-11「金沢市町内会の成立」によると、町内会は昭和15年9月に発せられた「部落会町内会等整備ニ関スル訓令」によって全国的に整備されたが、昭和22年5月の政令第15号(いわゆるポツダム政令)によって禁止、解散させられた。その後、金沢市では昭和27年ごろから校下町会連合会が結成されはじめ、昭和33年に金沢 ...
【にし茶屋街・寺町の昔の写真について】 明治・大正・昭和初期のにし茶屋街・寺町の様子が分かる古い写真はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:27)
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○にし茶屋街『石川県下商工便覧』(118542593) p.184-207に、石坂西新地の商店の図版が掲載されている。【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/803608/1/96『金澤案内』(118576250)p.54-55の間の4コマ目の写真「西廓」『金澤市案内記』(119511448)114コマ目の写真右側「西廓」『金澤新繁昌記』(118588055)巻頭写真「西新地」『金沢市史 資料編14 民俗』(119748725)p.563「写真10-2 西の廓」、p.574「写真10-9 西料亭組合事務所(旧西検番)」(昭和4年頃)『20世紀の照像 石川写真百年・追想の図譜』(改編版)(118388152)p.99「西ノ廓・大正初年」、p.101「紅灯の巷」(嫖客でにぎわう西新地(石坂遊廓))○寺町『金沢のいまむかし 写真と地図でみる』(118283517)p.20-21「寺町台地より市街地中心方向のまちの姿」(昭和8年、望楼付きの木造三階建ての建物)『写真集明治大正昭和金沢』(11900848)p.15「寺町 ...
日経流通新聞(1995年3月2日8面)「開業指南 持ち帰り式、品数豊富に」「原価率四五%」を目指したいと記載されていたため、はっきりとした原価率は分からなかった。日本経済新聞(2008年11月20日地方経済面北海道1面)「「安くおいしい」菓子追求」「菓子メーカーの場合、原価率を三五%程度に抑えるのが一般的」だと記載されていた。『はじめよう!「お菓子」の店』(510553386)p.14 「1章 2 菓子屋は付加価値の高い商売」「●価格を自分で決められる~中略~菓子づくりにおける材料費は、売価に対して25%~35%程度で、30%が標準原価率といわれています」と記載されていた。和菓子と材料が類似しているパンやケーキの原価・パンの原価『これが「原価」だ!』(112314447)p.88 「材料原価 30~40円(小売価格150円)」と記載されていた。『データでわかるモ ...
【泉町の寺子屋・市場について】 泉町にあった寺子屋、市場の場所が知りたい。また、昭和30年代の泉町の商店の名前が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:26)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:26)
○寺子屋『稿本金沢市史 学事編第2』(119562750)P366寺子屋の経営者一覧の「習字並に読書・算術の一、又は二を男児に教えたる者」の項目に「泉新町 田中勇吉」とある。『三馬公民館 五十年の歩み』(119703483)P166「念西寺に泉小学校の机」「寺子屋時代の泉の学校の古机があって今でも使っている」P167「この寺に伝わる件の机は、明治七年当時念西院といったこの寺で泉小学校が設置され、泉、有松、西泉、寺地の子供達が通ったと三馬小学校年表にある。」質問された利用者の話では、現在の泉二丁目の安楽寺の付近にあったということだったので、同じ泉二丁目にある念西寺の寺子屋のことで相違ないと思われる。『三馬公民館 五十年の歩み』の巻末地図に念西寺の場所が記されている。○市場『ふるさと三馬』(11921950)P107~109「はりつけ ...
【富田主計について】 富田高定の実子である富田主計と、高定の実兄である宗高の実子の千代丸とを入れ替えて、本物の主計は稲葉主計として摂津国の中島藩に入ったという内容が書かれた資料はないか。また、主計町の名前の由来になっている、富田主計重家のエピソードなどが知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:26)
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○富田高定について『戦国人名辞典』(119320713)p.170「富田高定」『戦国人名事典』(11086165)p.550「富田高定」上記資料によると、富田高定は豊臣秀次に従った若江七人衆の一人で、のち加賀の前田利長に迎えられたと書かれている。『越登賀三州志』(119989783)p.234-235「富田蔵人高定」によると、富田高定は富田左近将監の次男で、子がなく、後家へ小給を与えたようだが、『越登賀三州志』を書いた富田景周の祖の富田氏とは別苗であるとする。富田左近将監(富田一白)については、『戦国人名辞典』(118469920)p.700に、前田家に仕えた富田氏の家系については『石川県史資料 近世篇8 諸士系譜』(109084069)p.145-151に記載がある。『加能郷土辞彙』(初版)p.634「富田高定」 父の名前は盛高といい、高定の後は子がなく断絶したと書かれている。○富田重家 ...
【石井一蛙について】 『一蛙小説集』に収録されている「加賀怪談雨夜の灯」が連載されていた新聞名が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:26)
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『一蛙小説集』の序文の日付は明治27年正月だったため、その前の北國新聞(明治26年8月創刊-同12月)を通覧したが、「加賀怪談雨夜の灯」は掲載されていなかった。『石川県史 第4編』p.1238によると、石井一蛙は北陸新報(明治14-28年)で小説と雑報を書いていたとのこと。北陸新報は石川県立図書館にマイクロフィルム(明治22年2月-明治29年1月、欠あり)が所蔵されている。
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