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①金砂郷村。当館の『金砂郷村史』を出納。②国立国会図書館デジタルにて“安信吾”を検索。検索結果多数。回答プロセス:①『茨城県町村沿革誌』にて、久慈郡の項目を参照。郡戸村の旧村名に“松栄”を発見。『日本歴史地名大系第8巻茨城県の地名』にて“郡戸村”を検索し、合併して“金砂郷村”になったことを確認。当館の『金砂郷村史』を出納。②国立国会図書館デジタルにて“安信吾”と検索。参考資料:細谷益見著. 茨城県町村沿革誌 完全復刻版. 千秋社, 1983.https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000136-I1130000797504809984, 4884770722参考資料:日本歴史地名大系 第8巻 (茨城県の地名). 平凡社, 1982.https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001595807, 参考資料:金砂郷村史編さん委員会 編. 金砂郷村史. 金砂郷村, 1989.https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I0000 ...
紹介した資料は、以下のとおり。・『金砂大祭礼』 茨城新聞社 2003・『金砂大祭礼の民俗誌』 榎本 実/共著 那珂書房 2003・『金砂大祭礼の歴史 志田 諄一/著 茨城新聞社 2002回答プロセス:自館システムを「金砂大祭礼」で検索した。参考資料:金砂大祭礼 : 72年のときをこえて : 報道グラフ. 茨城新聞社, 2003.https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004140364, 4-87273-184-0参考資料:榎本實, 箕川恒男 共著. 金砂大祭礼の民俗誌. 那珂書房, 2003.https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004244201, 4-931442-11-0参考資料:志田諄一 著. 金砂大祭礼の歴史. 茨城新聞社, 2002.https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003573621, 4-87273-155-7
紹介した資料は、以下の通り。・『茨城紳士録 1959』 いはらき新聞社 1958 p.463に、経歴あり。 本名:徳之介。…旧水戸中卒。東亜煙草(株)入社。県印刷業専務理事、県印刷工業協同組合理事長、辞任後水戸藩産業史の研究に専念。著書「水戸を語る」「烈公さま」「茨城の伝説」等数種あり。水戸市文化財専門委員。好文亭復元委員等を嘱託。水戸市議。…” などの記述あり。参考資料:茨城紳士録 昭和34年度版. いはらき新聞社, 1958-01.https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I08111001000389771,
石岡市染谷地区にある「大乗妙典日本廻国供養碑」の場所が知りたい。昔見た教育委員会発行の資料に住所があったが、現在そんな住所は見当たらない。資料名は忘れてしまった。(水戸市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/10/19 14:10:52)
from レファレンス協同データベース (2024/10/19 14:10:52)
インターネット検索で場所が出てきたので、住宅地図と付き合わせたところ、地図上に記載があった。参考資料:石岡市1(石岡) 202103. ゼンリン, 2021. (ゼンリン住宅地図. 茨城県)https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I031305985, 978-4-432-50763-4
「北海道」の命名に関する斉昭や水戸学(陰陽学)とのかかわりに関連する資料があれば見たい。現在、北海道の名づけ親は松浦武四郎という説が広く知られているが、別の説を調べており、それに関するような資料を探している。(水戸市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/10/19 14:10:51)
from レファレンス協同データベース (2024/10/19 14:10:51)
「北海道」の名づけに関する斉昭や水戸学(特に陰陽学)について、事前調査以上の新たな記述は見当たらず。郷土資料の中で幕末明治辺りの時代で北海道について言及がある資料を参照したうち、直接的ではないあるいは既出の情報と同様の記述がある資料を念のためご紹介した。①「常陽藝文2021」1月水戸藩の北海道開拓斉昭以前の光圀、治保からの水戸藩の蝦夷地への関心を簡単にまとめてある。その他水戸藩の蝦夷地探検(木村謙次他)や昭武の北海道視察についてとその資料も簡略にまとまっている。命名についてはP.9で軽く触れているが、「山海二策」で斉昭が提案のことだけで水戸学や陰陽学への言及なし。②「水戸と蝦夷 郷土歴史講演会講演録 第5回」 p.35-36辺りに「山海二策」で「北海道」を提案の話あり。巻末参考資料に ...
『石岡市文化財調査報告会発表要旨 第7回』 石岡市教育委員会文化振興課/編集 石岡市教育委員会 を提供した。「柿岡古墳群柿岡町支群 消滅した古墳の復原」というタイトルの論文が掲載されている。なお、・『茨城県遺跡地図 地名表編』 茨城県教育庁文化課/編集 茨城県教育委員会 2001・『茨城県遺跡地図 地図編』 茨城県教育庁文化課/編集 茨城県教育委員会 2001を合わせると、県内の遺跡の場所は確認できる。回答プロセス:奈良文化財研究所の全国遺跡報告総覧で、キーワード“西町古墳”&”石岡市”で検索した。参考資料:石岡市教育委員会文化振興課 編集. 石岡市文化財調査報告会発表要旨 第7回. 石岡市教育委員会, 2023.https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I033171367,
「山王寺」ではなく、「山王神社」だった。『東茨城郡誌』東茨城郡教育会(茨城県)/編纂 千秋社 1992をご案内した。回答プロセス:自館システムで「山王寺」を検索したがヒットせず、『茨城の寺』を全巻参照したが記載がなかった。古くからある寺で、岩根地区が以前は東茨城郡飯富村大字岩根だったことから、『東茨城郡誌』p527「佛教」の項目を参照したが記載がなく、p441「神社」の項目を確認したところ、「山王神社 飯富村大字岩根」との記載があった。利用者に確認したところ、「山王寺」ではなく、「山王神社」で合致。p510をご案内した。参考資料:今瀬文也 著. 茨城の寺 1. 太平洋出版, 1971.https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001240499, 参考資料:今瀬 文也/著. 茨城の寺 2. 太平洋出版, 1972.https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I1211 ...
『水戸御国武鑑』 茨城県立歴史館史料部県史編さん室/編集 茨城県立歴史館 1988『江水御規式帳』茨城県史編さん近世史第1部会/編集 茨城県 1971を紹介した。回答プロセス:自館システムで「水戸藩 家臣録」で検索すると2点ヒット。また、他にも以下2点(同じ資料に収録)あり。寛文9年(1669)寛文規式帳/『茨城県史料 近世政治編Ⅰ〈請求記号M 1213/イ/1〉』万延元年(1860)水戸藩御規式帳/『茨城県史料 近世政治編Ⅰ〈請求記号M 1213/イ/1〉』参考資料:茨城県立歴史館史料部県史編さん室 編. 水戸御国武鑑. 茨城県, 1988.https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I09111101948746, 参考資料:茨城県史編さん近世史第1部会編. 江水御規式帳. 茨城県, 1971.https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000136-I1130000796723769984,
関川小学校HPにて「井関小学校・石川小学校が昭和32年に統合されて関川小学校になった」との文言があったため、関川小学校の住所をお伝えした。回答プロセス:'インターネット検索で「井関小学校」を調べると、関川小学校HPにて「井関小学校・石川小学校が昭和32年に統合されて関川小学校になった」との文言があったため関川小学校の住所をお伝えした。関川小学校HP https://www.ishioka-school.ed.jp/page/dir000007.html(最終確認日2024/09/15)備考:お帰りになった後で井関小と関川小の場所が同じとは限らないのでは?と思い、郷土資料等で調べましたが見つけられなかった。
石岡市の遺跡関連の郷土資料を探すも、該当の遺跡は見つけられず。後から国会デジタルで調べたところ「石岡市史 上巻」p.131におおよその位置など少しだけ記載があった。参考資料:石岡市史編纂委員会 編. 石岡市史 上巻. 石岡市, 1979-02.https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000074-IALIS_QQ20056216,
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