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国立国会図書館(NDL)、YouTubeで公開中の遠隔研修教材「レファレンス協同データベースの利活用」を更新
from カレントアウェアネス・ポータル 新規掲載コンテンツのRSS (2025/3/7 10:19:19)
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2025年3月5日、国立国会図書館(NDL)は、YouTubeで公開中の遠隔研修教材「レファレンス協同データベースの利活用」を更新しました。 2024年2月にリニューアルしたレファレンス協同データベースの概要や、事業に参加する利点、システムの操作方法等について解説し、その利活用方法を紹介しています。 新着情報(NDL) https://www.ndl.go.jp/jp/news/index.html ※2025年3月5日付けで、「遠隔研修教材「レファレンス協同データベースの利活用」を更新しました」とあります。 レファレンス協同データベースの利活用(NDL) https://www.ndl.go.jp/jp/library/training/remote/crd.html 続きを読む
花電車が確かに三宝から浪速区までを走っていたことを明示する資料は見つかりませんでしたが、三宝駅付近で撮影された花電車の写真が掲載された資料(1)は見つかりました。また、花電車ではありませんが、当時の路線として、路面電車が浪速区芦原橋と三宝車庫前をむすぶ経路を走っていたことが資料(2)によりわかりました。(1) 『なにわの市電(トンボブックス)』(小林 庄三/著 トンボ出版 2013.2)「大阪市電アラカルト」のp.78-85に「2.戦後の花(装飾)電車」の項があり、昭和20年代から30年代の花電車の写真が掲載されています。そのうち、p.82上段に「大阪祭花電車. 堺市三宝付近にて. 昭.34.10.5」と題した写真が掲載されています。(2) 『大阪市交通局百年史 本編』(大阪市交通局/編集 大阪市交通局 2005.4)「第2章 路面電車 第1節 路面電車事業 ...
以下の資料に、自転車の防犯カバーの作り方が掲載されていました。(1) 『なーにができるかな? 「もったいない」からうまれたアイデア作品』(小峯もとこ/著 けやき出版 2006.12)p.2に「自転車カゴのひったくり予防カバー」、p.3に「自転車カゴのひったくり予防カバーとハンドルカバー」が紹介されています。防犯カバーではありませんが、「防犯対策にもなります」と紹介されている資料(2)と、類似のグッズの作り方について紹介されている資料(3)を以下にご紹介します。(2) 『主婦のミシン : 人気No.1手芸ブロガー“主婦のミシン"さん直伝「簡単!100均リメイク小物」&「便利なアイディアグッズ」』( 種市 加津子/著、河出書房新社, 2011.12)「自転車のうしろかご保温保冷カバー」についてp.9に作品紹介がされており、「買物中の防犯対 ...
江戸時代、港区では新田開発が盛んに行われていました。中でも市岡新田は規模が大きく、砂質壌土で瓜類の栽培に適しており、市岡新田で作られた西瓜は「新田西瓜」とも呼ばれ、名産として有名でした。(資料(1)(2)の記述より)市岡西瓜の特長や歴史、産地などついて書かれた資料を以下のとおり紹介します。(1) 大阪市港区:みなと物語 https://www.city.osaka.lg.jp/minato/page/0000160768.html (2024.9.2確認)「平成19年度」の項に掲載のPDFファイル「平成19年6月号:港区の名産は「市岡すいか」だった(pdf, 169.95KB)」に市岡西瓜について、簡潔にまとめられています。(2) 『港区誌 』 (大阪市港区役所/編集 大阪市港区創設三十周年記念事業委員会 1956)「第二篇 各説 第五章 農漁業と商業 一 農業」のp.174に「新田西瓜」の項があり、「往時は全くの農村とし ...
その昔、柴島一帯では、淀川の水を利用して木綿を洗い、それを干して乾燥させ、陽に当てることで白くするという晒業が営まれていました。『摂津名所図会大成』という書物には、淀川の堤防上に白く敷きつめられた木綿が、まるで雪が積もったようで、たいへん美しかったと記されています。この晒業は、淀川の改築工事や柴島浄水場の建設などの影響により、衰えてしまいました。(資料(1)の記述より)「柴島晒」について記述のあった資料を以下のとおり、ご紹介いたします。(1) 大阪市東淀川区:区の紹介:まちづくり:地域のまちづくりコーナー: 「東淀川魅力発見プロジェクト」を紹介します。https://www.city.osaka.lg.jp/higashiyodogawa/page/0000558279.html (2024.11.6確認)「まちあるき「柴島エリア」」に掲載のPDFファイル「ルートマップ(柴 ...
「鶴の茶屋跡碑」は大阪市北区茶屋町にある石碑です。この付近は明治中期、大阪市民の行楽の地で、「鶴の茶屋」「萩の茶屋」「車の茶屋」という茶屋が並び賑わっていました。「茶屋町」という地名の由来にもなっています。以下の資料に「鶴の(乃)茶屋」「鶴の(乃)茶屋跡」「鶴の(乃)茶屋跡碑」についての記述が見つかりました。(1) 国立国会図書館デジタルコレクション『北区誌』 (大阪市北区 1955) (国立国会図書館/図書館・個人送信限定) https://dl.ndl.go.jp/pid/3008994/1/93 (2024.11.13確認)「第四章 明治時代の発展 四 市域の拡張と明治後期 明治三十年の市域拡張」のp.127(コマ番号93)に「鶴の茶屋」の項があり、「明治初年までいまの梅田東方面は春は菜種花匂う野ッ原で、都心部の人たちが花を賞で月を楽しむ憩いの場として、鶴の茶屋や ...
「加賀屋新田会所跡」は、現在は「加賀谷緑地」としても知られる、住之江区南加賀屋にある史跡です。江戸中期の宝暦4(1754)年に、加賀屋の新田開発を行った両替商の加賀屋甚兵衛が新田支配所および居宅として建築しました。広さ4,950平方メートルに及ぶ邸内には、小堀遠州流の築山林泉式庭園や、鳳嗚亭といった数寄屋風の建物が現存しています。平成13(2001)年に大阪市有形文化財・建造物・史跡に指定されています。(資料(1)及び資料(13)等の記述より)以下の資料に加賀屋新田会所跡についての記述が見つかりました。(1) 『住之江区史』 (大阪都市協会編集 住之江区制十周年記念事業実行委員会 1985)「第二章 住之江区十年の歩み 三節 文化 二 社寺・史跡」のp.144に「加賀屋新田会所跡(愉園)」の項があり、「南加賀屋四丁目の武田 ...
8月20日は交通信号の日で、昭和6年8月20日に、東京都の銀座や京橋交差点などに、日本で初めて3色の国産の自動信号機が設置されたからだと聞いた。大阪で初めて信号機が設置されたのはいつか。(大阪市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/7 10:14:12)
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大阪府警本部のホームページ(資料(1))よると、昭和4年11月堺筋日本橋に設置されたあんどん型の交通整理指示機からの記述となっていますが、いつのどの信号を最初とするかは、諸説あるようです。以下、関連資料についてご紹介します。■大正期から昭和初期にかけての、大阪の信号機設置について記載があった資料について(1) 大阪府警本部:交通管制の移り変わり https://www.police.pref.osaka.lg.jp/kotsu/kisei/3/5646.html (2024.8.8確認)「昭和4年11月 堺筋日本橋にあんどん型の「進め」、「止まれ」の文字が入った交通整理指示機を設置」、「昭和6年5月 府下初の自動式交通整理器を本町2丁目の交差点(現在は本町1丁目交差点)に設置」とあります。以下(2)(3)は交通信号機の歴史について、詳細な記述がある資料です。(2)国立国会図書館デジタルコレ ...
「聖天山古墳」は、聖天山公園内(大阪市阿倍野区松虫通三丁目2)にある古墳です。昭和26(1951)年に石室が見つかり、埴輪や土器・直刀・馬具などの副葬品が出土しました。直径十数メートル、高さ約3メートルの規模であったと推測され、古墳時代後期の造営とされています。(資料(1)(7)の記述より)以下の資料に「聖天山古墳」について記述が見つかりました。(1) 『新修大阪市史 第1巻』 (新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市 1988)「第三章 古墳時代の大阪 第二節 大阪市域の古墳 1 古墳の立地と分布」のp.354-356「台地の古墳群」の項に、p.354「その南方の阿倍野一帯には、古墳群の存在を思わせる塚原などの小字名が多数残っている。また聖天山古墳・丸山古墳跡など、遺物が出土した古墳や古墳跡も現存する。」とあります。「同章 同 ...
「初辰まいり」とは、毎月初めの辰の日に、住吉大社の四つの末社を巡拝し、商売の発達(初辰)を祈願することです。以下の資料に「初辰まいり」についての記述が見つかりました。(1) 『住吉区史』 (大阪都市協会/編集 住吉区制七十周年記念事業実行委員会 1996) 「第十章 教育と史跡 三 史跡 住吉大社 ○境内末社」のp.503-504「楠珺社」の項に、「商売繁盛の神として、また「初辰さん」と親しまれ毎月初辰の日には大いににぎわう。(中略)四十八回の月参りと「初辰」を、「始終発達」とかけて参詣する人並みが絶えない。社頭で「招福猫」(まねき猫)を受けて帰る習わしがある。この猫は片手で人を招く形で上げており、月によって左右交代し裃・羽織も着ている。明治三十年ころ、新町本荘席の主人は住吉を崇敬し参詣を重ねていたが、 ...
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