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【金沢の由来について】 石川県の金沢のあたりは昔加賀と呼ばれていたが、今は金沢である。金沢の由来は何か。また、いつごろ金沢に変わったのか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:16)
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○「金沢」の文献における初出について・『石川県史 第2編』(118587380)P323「而してその確実に金澤の名稱を発見し得るは、實に天文日記十五年十月廿九日の條に加州金澤坊舎の語あるに始まり・・・」・『加能郷土辞彙』(改訂増補)(119865516)P194「天文日記天文十五年十月廿五日の条に加州金沢坊舎の語があり、天正四年八月廿一日附一向一揆頭目の連署状には『金沢於御堂各被致頂戴』といひ、・・・」・『石川県の地名 日本歴史地名大系17巻』(111271846)P334「地名金沢は「天文日記」天文一五年(一五四六)一〇月二九日条に「金沢坊舎」(金沢御堂)とみえるのが早い例で、金沢御堂廃絶後、城名や城下町の総名に引継がれた。」○芋掘り藤五郎の「金あらい沢」の伝説について・『角川日本地名大辞典17石川県』(11031328)P261「地名の由来は小立野 ...
『暮らしの歳時記 石川編』(118543948)p.202「都市部に多い新盆のお参り」に「金沢では13~16日の新盆を迎える」と書かれている。『加賀能登の年中行事』(118412893)「12、金沢市の歳時習俗」p.261-262「盆行事と節季」に「ウラボンは七月十三日から十六日までの行事で、旧市域では七月、新市域では八月に行う。十三日はボン用意をする(中略)七月十四日から三日間、野田山・卯辰山や寺墓地に家族連れで墓参りをする」と書かれている。
『金沢市史 資料編7 近世5』(119763300) p538「文政二年正月 料理屋株仲間名書」『マンタリテ・金沢 「遊び」からみえるもの』(118368356) p48-51「第1章 名所・行楽地の民衆化と料理屋」p58,62-64「第2章 近世末金沢の庶民の食と料理屋」『稿本金沢市史 風俗編第2』(119564218) p262「第3節 飲食店」『金沢学院大学紀要 文学・美術・社会学編 第9号(』109129438) p291(82)「近世後期城下町金沢における料理屋について」の表1「天保10年の料理屋16軒」『金沢町人の世界 金沢パフォーマンスの原像』(11826084) p167「料理屋」p221「犀川大橋界隈」
【ファブリカという解剖書について】 ファブリカという解剖書がいつごろ日本に入ってきたのか知りたい。江戸時代初期に加賀の前田家が入手したらしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:16)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:16)
『人体解剖のすべて 解剖学への招待』(111932677)p.77によると、ファブリカは1543年にベルギーのアンドレアス・ヴェサリウスという人が出版した。p.171に「徳川幕府は、三大将軍家光の時代以来、書籍の輸入を長らく制限していました。八代将軍吉宗が、一七二〇(享保五)年にこの制限を緩和したので、ようやく日本にヨーロッパの医学書が広まるようになりました。」との記載あり。ファブリカが日本に入ってきた年は記載されていない。CiNiiによると、1543年の初版本は国際日本文化センター・札幌医科大学・明治大学が所蔵している。【URL】http://ci.nii.ac.jp/books/加賀藩が入手したことに関して、『ブリュッセルのアンドレアス・ヴェサリウス』(112282450)、『ヴェサリウスの生涯 生物化学の創造者』(129101050)、『加賀藩旧蔵洋書総合目録』(11996122 ...
【亀田鶴山の鹿心斎遺稿等の所蔵館について】 亀田鶴山の『鹿心斎遺稿』の所蔵館を知りたい。亀田鶴山(俳号は蘭泉)の俳諧が『としのうち』に見られるが、『としのうち』の所蔵館を知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:15)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:15)
・『鹿心斎遺稿』日本古典籍総合目録データベースで検索、近世史料館「金沢市加越能」「金沢市金陽」に所蔵があると記載されている。【URL】http://base1.nijl.ac.jp/~tkoten/近世史料館のホームページで検索すると以下の記載が見つかった。特091.0-299 鹿心斉遺稿(一名 鶴山遺稿)稼堂文庫 特11.0-2(1) 鹿心斉遺稿 1-5 金陽文庫特11.0-2(2) 鹿心斉遺稿 1-5 金陽文庫特11.0-2(3) 鹿心斉遺稿 1-5 天保6 金陽文庫【URL】https://www2.lib.kanazawa.ishikawa.jp/kinsei/archive.htm・『としのうち』日本古典籍総合目録データベースで検索、石川県立図書館「石川県図月明」に所蔵があると記載されている。『月明文庫目録』(119798683)P76で確認できる。「としのうち 写半一冊暮柳舎三世車大編 希也序(享和二年)自跋(後川三回忌追善集 京勝田喜右衛門 野田治兵衛刊の ...
【津田孟昭の湯涌の漢詩について】 津田孟昭が湯涌温泉について詠んだ漢詩があるらしいので、その本文が見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:15)
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『三州遺事』(118596558)に、津田孟昭についてP724『元禄乙亥七月、湯涌温泉ノ行ヲ、詩モテ記ス、スヘテ三十五首、地景ヲヨク寫ケルト也』とあるが、『石川県史 第3編』(118587399)P262に「元禄八年七月涌浦温泉に浴せる紀行の詩三十五首あり、能く其の地景を寫す。」とある。また、『和倉温泉のれきし』(118297020)P15に「江戸時代の史料では、和倉村の漢字表記は和倉と涌浦の二種類あり」、P19に「霧波の中に首出す涌浦の湯 轍士 この句に対して日置謙は「和倉が当代に涌浦と書かれていたことを正しく説明するものであり、海中の埋立地で野立に澡浴していた状も写し得て妙といふべきものである」と述べている」とあることから、津田孟昭が詠んだ漢詩は湯涌温泉ではなく、和倉(涌浦)温泉で記した三十五首であると考えられる。国立国 ...
『銭屋五兵衛の研究』(118412409)p.231-241に「嘉永五年八月廿九日、当面の大立物たる三男の要蔵は才許預となり、九月三日藤内指向の上引揚げられ、金沢町会所の牢獄に収容せられた。続いて五兵衛は九月十一日より、町会所縮所(シマリショ)に拘禁せられた。長男の喜太郎、次男の佐八郎は九月八日手鎖縮(テジョウシマリ)の上一類預となつた。同十一日両人は宮腰附御郡附出役相連れ、直ちに町会所縮所に収容された。(中略)九月三十日町会所に収容中の五兵衛、要蔵、川下縮所に収容中の孫兵衛、喜助のいわゆる主謀者と認められている四人の者は、愈々公事場へ仮牢される事となつた。公事場というのは今の裁判所と刑務所とを合併したような役所で藩においては最も枢要な官庁であつた。その牢獄の牢鍵は、金沢町奉行が保管していた ...
『北陸人物名鑑 大正11年版』(118406107)、『家庭の鑑』(118403025)、『北国人物志』(118402091)、『石川県官民肖像録』(118596217)に記載なし。『石川県の華』(119545455)p.111に斯波淳六郎の肖像写真あり。
国立国会図書館デジタルコレクションで検索したところ、以下の資料が見つかった。『新時代 第1巻第1号』「折々草」【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1812228/1/45『文章界 第1巻第2号』「樵路鶉」【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1467123/1/15『六大新報 第959号』「嶺上花」【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/7941887/1/2
【宇多須神社拝殿の再建年代について】 金沢市東山の宇多須神社が明治期に建て替えられているのだが、それが何年か知りたい(棟札には「〇5年10月21日」とあり、年が判読できなかったとのこと)。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:14)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:14)
『石川県神社誌』、『金沢市神社大観』に記載なし。『稿本金沢市史 寺社編』(119531469)p.46-48「宇多須神社」に「(明治)二十三年火を失したれば、二十五年十月、再造せり」と書かれている。
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