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【金沢電気株式会社について】 明治・大正頃の会社で河合辰太郎が経営に関わっていた金沢電気株式会社について書かれた資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:12)
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『金沢市史 現代編 上』(119562670)P.316 五、電気事業市営計画と金沢電気株式会社明治二十八年九月、森下八左衛門や谷与三右衛門らが金沢電灯会社の設立を計画した。八月、市長は市営電気事業計画案を市会に提出、市会は市立発電所設立および市公債募集を審議、これを承認した。翌二十九年三月内務、大蔵両大臣から市営の認可がおりた。三十年十一月、さきの森下八左衛門ら十二人を発起人として資本金二五万円の金沢電気株式会社が設立されることとなった。三十二年七月設立登記が終り、初代社長に中川長吉がなった。明治三十一年十月、辰巳発電所の建設にかかり、三十三年五月完成、六月二十五日から営業送電を開始した。当時の電灯需要数は二、二六七灯であったと記載されている。P.318 金沢電気瓦斯株式会社「明治四十一年 ...
【金沢開始三百年祭について】 明治24(1891)年に開催された金沢開始三百年祭の契機となった三百年前の出来事は何か。前田利家の金沢入城では年代が合わない。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:12)
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『旧藩祖三百年祭と金沢の祭』(109180637)p.5「金沢開始三百年祭」に「文禄元年(1592)前田利家の命により金沢城を改修したことを市域の整備・誕生の契機とし」たと書かれている。『石川県史 第4編』p.1219にも同様の記載がある。文禄元年の金沢城修築の事実については、『加能読史年表』(118561051)p.280に「(文禄元)2・中 前田利家、金沢に留守する利長に命じて城郭を修築せしむ」と書かれている。出典は『越登賀三州志』p.208「国祖西覲。世子修尾山城壘」と思われる。
【慶応元年の長崎留学者について】 慶応元年に啓明丸という船に乗って長崎に留学した学生の名前が知りたい。たしか『前田慶寧と幕末維新』という本に出典が載っていた。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:12)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:12)
『前田慶寧と幕末維新』(119986511)p.161に「長崎でグラバーから西洋型帆走船啓明丸を購入し、同船が七尾に入港した後、再び長崎に廻航した際、後に最初に加賀藩が派遣した海外留学生となる関沢幸三郎(明清)、岡田秀之助(一六)、それに高峰譲吉や安達松太郎ら優秀な人材五十人を選抜し、藩費留学生として長崎に送り、洋学修行をさせたこと(「伍堂卓爾一世紀事」)」と記されている。『加賀藩史料 藩末篇下巻』p.410-411「七月。加賀藩。諸士の子弟凡そ五十人を長崎に遣はして洋学を修業せしむ。」に「伍堂卓爾一世紀事」が引用されている。留学者の名前は記されていない。p.504-516「九月十三日。加賀藩の長崎勤学生近藤岩五郎、薩州藩石神良平を斫り、尋いで自刃す。」に留学生として後藤喜兵衛・山田外男・清水金之助らの名前 ...
国立国会図書館デジタルコレクションに『范石湖四時田園雑興詩鈔』が収録されている。【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/895825/1/1国立国会図書館サーチの書誌情報によると、『和刻本漢詩集成 第15輯』に「石湖詩(見返・范石湖田園雑興)」が収録されている。【URL】http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001274758-00『漢詩大系 16 宋詩選』(129587459)p.216-224「四時田園雑興」『中国の名詩鑑賞 8 宋詩附金』(129587619)p.146-151「四時田園雑興」『中国古典文学大系 19 宋・元・明・清詩集』(129596458)p.120-123「四時田園雑興」『宋詩選』(129587154)p.312-320「四時田園雑興」(六十首うち八首)『石湖居士詩集(一名 范石湖詩・石湖詩集)』(稼堂文庫 特091.8-552)『范石湖集 上・下』(春風館文庫 特30.10-87(1)・(2))『石湖詩』(早稲田大学、題箋「田園雑興」)【URL】http://www.wul.waseda.ac.jp ...
○畦地昭孝北國新聞 平成24年9月12日 朝刊26面「自作の絵で四季伝え」によると、畦地氏は画家で、創作活動の傍ら、玉川図書館2階で喫茶室を経営していたとのこと。○畝村石道『美術名鑑 2004年版』(112575022)p209によると、金沢市在住の水墨画家である。『畝村石道画集』(118368721)p115に画歴が掲載されている。○越中屋清信『全国学校総覧 1993年版』(111362440)p1315によると、金沢福祉専門学校の校長である。『美術家名鑑 1983』(11045397)p366、『一水会金沢展 第45回記念』(11928883)、『一水会五十年史』(119434250)、『一水会金沢展 金沢開催35回記念 第52回』(119657219)によると、一水会所属の洋画家である。『金沢福祉専門学校 創立二十五年史』(119665293)を調査したところ、金沢福祉専門学校の基となった金沢高等音楽学院の創立者であることが分かっ ...
以下の資料に加賀金工の職人についての記載あり。・『金沢工業沿革誌料』(119439363)p.1-111(「金工」)p.88-90「国村氏」(象嵌師、本姓種田氏後千村澤ニ求ム)の3・4・6代が国久を名乗る。・『稿本金沢市史 工芸編第1』(119562788)p.156-178(「第九節雕金」)p.171-172「国村氏又村澤氏」、「三代重左衛門国久・四代重左衛門国久・五代與右衛門国広を歴て、六代與右衛門国久に至り、姓を村澤と改め、細工者たり」と書かれている。・その他、国久の名前は載っていなかったが『加賀藩御細工所の研究 1』(11931515)p.251、290に「村沢銀次郎」、p.282に「村沢庄右衛門」の名前の記載あり。
『石川県教育史 第2巻』(119565627)p.43「第13表 金沢市内15小学校進学実態調査―大正12年―」 学校名の記載あり。『金沢市統計書 大正4年』(118575271)p.53-54「第十八 市立(尋常高等)小学校創立年月及建築費」 尋常高等小学校3校、尋常小学校13校の記載あり。『稿本金沢市史 学事編第4』(119562779)p.1233-1235「小学校の現在」 大正9年の小学校17校(うち尋常小学校14校、尋常高等小学校3校)の名称及び所在地の記載あり。『金沢市史 資料編15 学芸』(119751874)p.567-570 旧河北郡及び旧石川郡の小学校の名称及び所在地の記載あり。
【杉森久英と島田清次郎の資料について】 今度七尾市から金沢市まで徒歩で歩くことを計画している。ついては杉森久英、島田清次郎の資料をお送りいただきたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:11)
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杉森久英と島田清次郎について、無償で配布しているパンフレット等は見つからなかったが、以下の関連資料は公共図書館で所蔵している。『近代文学の舞台を旅して』(113244955) 金沢学院大学文学部日本文学科/編 国立国会図書館、さいたま市立図書館所蔵 p.50-57「島田清次郎 『地上』第一部 にし茶屋街/白山市美川」『文学への旅 金沢・名作の舞台』(119711180) 「文学への旅 金沢・名作の舞台」編集委員会/編 国立国会図書館、埼玉県立図書館、さいたま市図書館所蔵 p.116-117「天才と狂人の間 杉森久英 旧制二中(現金沢市民俗文化財展示館)」、p.152-153「地上 島田清次郎 にし茶屋街」『ふるさと石川の文学』(118390221) 金沢学院大学文学部日本文学研究室/編 国立国会図書館、草加市立図書館所蔵 p.158-161「島田清次郎」、p.227-229「杉森久 ...
【前田斉泰の書について】 前田斉泰が書いた「入吾室者但有清風」の出典が知りたい。李延寿という人が書いた『南史』という本らしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:10)
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『南史』については、『世界大百科事典 21』(118486073)p.216に説明があり、中国の南朝の歴史を扱う正史とのこと。「入吾室者但有清風」を国立国会図書館サーチ、Googleブックスで検索し、『大漢和辞典』に掲載されていることがわかった。『大漢和辞典 巻七』(118361542)p.75「清風明月 清らかな風と明らかな月。〔南史、謝ケイ伝〕(ケイはごんべんに恵の旧字体)「独酔曰、入吾室者、但有清風、対吾飲者、惟当明月」『南史 80巻〔6〕』列伝第十 謝弘微の項(曾孫ケイ)に記載あり。【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/2600800/1/28
【八幡筵について】 藁工品(筵[むしろ]・叺[かます])の生産、流通について、とりわけ七尾港から移出された「八幡筵」が北海道の漁業で用いられていたことについて書かれた文献はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:10)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:10)
『鹿島郡誌』(119545114)下p.10「莚」に「莚は八幡の主産なり故に八幡莚の称あり」と記されている。『石川県鹿島郡誌 上巻』(11823164)p.524-526「藺作」『石川県鹿島郡誌 下巻』(11823165)p.216-218「八幡筵」「白馬角筵」『石川県史 第4編』p.872-873に八幡筵についての記述がある。『七尾市勢と商工案内 昭和26年度版』(119527134)p.25「農産加工品」に「かます」と「厚莚」が掲載されている。『金沢大学法文学部論集 哲史 1』(119519660)p.115「邑知潟地溝帯の農業地理 農業の後進性と兼業の問題」 斎藤晃吉/著 p.122に「このような古い時代からの零細農家が零細経営への適応として選んだ道は旧藩時代を通じて能登部町を中心に発達していた能登上布の賃織り(出機と称する)であり、藁工品であつた。明治以降になれば七尾市八幡がその創業地とされ八幡筵 ...
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