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【彦三の番地について】 原戸籍に記載されている、明治35年頃にあった「彦三十五番丁」の現在の住所が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:04)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:04)
『住居表示区域町名便覧』、『日本歴史地名大系 17 石川県 石川県の地名』(111271846)、『稿本金沢市史 市街編第2』(11906332)などによると、彦三は一番丁から八番丁までしか存在しない。「彦三十五番丁」に居住していた戸主が八十島姓であったため、八十島姓の人物が彦三に居住していないか調べた。『金沢市文化財紀要 185 彦三町遺跡』(119763024)p.35「第26図 金府大絵図」、『金沢・北陸の城下町』p.14の「四ハン丁」に「八十島」と記載されている。『加賀藩組分侍帳』p.165「八十島祥庵 含」(加越能文庫 特16.31-65「先祖由緒并一類附帳」によると戸主の父に相当)の住所は「彦三四」と記載されている。『住居表示区域町名便覧』等によると、彦三四番丁は現在の彦三1丁目に相当する。
【馬場小学校の旧校舎について】 馬場小学校の旧校舎が金沢市内で最初のコンクリート建築だったかどうかが知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:03)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:03)
『石川の近代建築 富山の洋風建築』(11907175)「32 金沢市立馬場小学校」に「いまの校舎は昭和五年八月、それまでの木造校舎が焼失したあと、新築された。県内に現存する鉄筋校舎では一番古い」と記載されている。『おもいで 還暦記念誌』(119407323)p.148-149「参考資料 《母校の沿革》」によると、馬場小学校の校舎の建築の歴史は以下のとおり。明治3年11月 小橋小学校が創立される。明治24年6月 現在地に校舎を新築する。明治37年4月 新校舎が落成する。昭和5年8月 現校舎が落成する。昭和63年7月 改築校舎が完成する。『金沢市馬場尋常小学校学校経営之概要 昭和8年度』(119510718)に校舎前景の写真が掲載され、沿革大要に「同(昭和)五年八月 新校舎竣工ス」と記載されている。『昭和初期の 木谷吉次郎翁と馬場尋常小学校』(109159016)p.1に「 ...
金沢市に出身の作家、泉鏡花、徳田秋声、室生犀星の三人を合わせて三文豪と呼ぶ。市内に三人をかたどったブロンズ像が設置されており、その石膏原型が図書館内に展示されている。図書館でファイルしてある三文豪像関係記事を調査したが石膏原型の元になった像についての記載なし。北國新聞データベースで検索しても該当なし。一般的なブロンズ像作成工程を、インターネット等で検索して紹介した。「ブロンズ像の作り方」(大塚美術)最終調査:2017.2.26【URL】http://ww81.tiki.ne.jp/~bronzeotsuka/chuzoho.htm「ブロンズ鋳造彫刻について」(豊田市美術館)最終調査:2017.2.26 【URL】https://togetter.com/li/261524基本的には、(1)粘土でもとになる作品を作る (2)粘土に石膏をかけ、中の粘土を掻きだす(雌型) (3)石膏を流し込み、雌型を外す (4)石膏原型を型ど ...
【金沢の航空写真について】 金沢の最古の航空写真が見たい。大正6、7年頃に帝国飛行協会が撮影した写真があるのではないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:03)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:03)
国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」で金沢市付近を検索したところ、同サービスで最も古い航空写真は1946年にGHQが撮影したもので、戦前のものは含まれていない。【URL】http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1当館所蔵の『昭和20年代米軍撮影空中写真』(118314060)も同じものである。飛行機を所有する軍隊によって撮影されていた可能性を考え、当地の関連資料の内容を確認したところ、以下の資料に戦前の航空写真が掲載されていた。『陸軍特別大演習記念写真帖 大正十三年度北陸地方』(11826376)「金沢駅付近ノ航空写真」『特別大演習写真帖 大正十三年』(11826377)「空中写真」(石動付近、兼六公園付近、金沢練兵場付近、金沢市犀川大橋付近)<追記>『金沢市水道誌』(昭和8年発行)(11902831)口絵「飛行機上ヨリ見タル金沢市街」北國新聞 ...
・『書府太郎 上巻』p.742「金花糖」、『暮らしの歳時記 石川編』(愛蔵版)(118543948)p.93「金花糖」、『加賀百万石ゆかりの菓子』(119754590)p.54-55「御殿の祝賀菓子」砂糖を溶かし固めた飾り菓子。加賀の金花糖は大振りな形と鮮やかな色どり、中が空洞なのが特徴。文献に残る最も古いものは、13代藩主前田斉泰に献上されたにらみ鯛で、木型が金沢菓子木型美術館に保存されている。藩政期の金沢で金花糖が発達したのは、井波職人の高度な木彫り技術による。特に難しいとされる大型金花糖は、今でも金沢が日本一である。・『金沢市史 資料編14 民俗』p.336「報恩講の金花糖」には、「戸水大野地域では報恩講の時、子どもに金花糖を買い与え、お寺での場所取りに使った。大人が着座した後、役割の終わった金花糖は子供のおやつになった ...
【中国蘭の収集・寄付をしていた成瀬勝久について】 昭和初期頃小立野で園芸をしていた成瀬勝久について書かれている資料はあるか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:03)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:03)
質問者からの情報成瀬勝久は小立野で1万鉢以上の中国蘭を栽培・収集し、県外に寄付していた。イギリスからシャクナゲを購入した。政治家、松村謙三は成瀬勝久から中国蘭を分けてもらった。息子さんの名前は成瀬清次という。質問者のホームページに「昭和初期、金沢の大きな種子屋の当主だった「成瀬勝久」氏は、中国春蘭の蒐集家として「小原栄次郎」氏ら一流の蘭商達に君臨して、財を惜しまず、輸入する蘭は全て買入れるのを道楽とし、人が真似出来ない秘法で培養する、小立野の大蘭舎には一万鉢を擁し、蘭舎内には小原氏ら、ごく限られ〔た〕人以外は入れなかった」と記載されている。「安庵 安庵雑感 10.09.01(水)「富水春」秘話」【URL】http://www.hat.hi-ho.ne.jp/kerrysan/backnb43.html『松村謙三 資料編』(119658898)「我蘭記(抄)」p.511 ...
【映画年鑑について】 2月の始めに「映画年鑑2017」が出版された。まだ、入っていないなら代わりの本(1年間の映画情報を網羅し、300pを超える図書)を紹介してほしい。また、映像関係の専門機関はすでに所蔵しているはず。どこにあるか調べてほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:02)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:02)
毎年購入している本だが、2017年版は未入荷。今月中に入る予定である。一定期間の映画作品を網羅した本や関連本は所蔵しているが、通年で映画情報を発信する300pを超える図書は見つけられなかった。映像関係の機関と、国立国会図書館ホームページ、google等で検索した。主な機関は次のとおり。東京国立近代美術館フィルムセンター【URL】http://www.momat.go.jp/fc/喜多川記念映画文化財団【URL】http://www.kawakita-film.or.jp/index.html松竹大谷図書館【URL】http://www.shochiku.co.jp/shochiku-otani-toshokan/大学のうち映画に特化した図書館をもつものは日大芸術学部【URL】http://www.art.nihon-u.ac.jp/library/早稲田大学坪内博士記念演劇博物館【URL】http://www.waseda.jp/enpaku/日本映画大学 【URL】http://www.eiga.ac.jp/library/などが見つかった。インターネットで蔵書検索ができる館 ...
『加賀藩史料 第3編』p.588-763「前田利常行状」に記載なし。『前田利常略伝』(119563794)p.63-64、『名君前田利常 鼻毛で守った加賀百万石』(118585151)「はじめに」に記載あり。出典は明記されていない。『利家・利長・利常』(118374747)p.96に記載あり。出典は「明良洪範」巻二と記されている。国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できる。【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/990298/1/25レファレンス協同データベースに類似の質問あり。「前田利常の、鼻毛にまつわるエピソードが知りたい。」(石川県立図書館)【URL】 http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000042572
質問者からの情報提供によると、『金沢なにコレ100話』(118555232)p.124-125「室生犀星は浅野川も愛していた」に出典が明記されている(「ふるさとは遠きにありて想うもの 金沢の町をかたる」)。当館に『旅 昭和27年12月号』なし。『石川近代文学全集 3 室生犀星』(118422110)にも収録されていない。国立国会図書館サーチで検索し、当該巻号に収録されていることが確認できたが、本文の画像はインターネット公開されていない。【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/7887555/1/1『室生犀星文学年譜』(11826722)「室生犀星作品年表」p.271に当該随筆名が掲載されているが、収録単行本名は記載されていない。『金沢なにコレ100話』に、2003(平成15)年にこの随筆の存在が発見(再確認)されたと書いてあることから、北國新聞データベースを検索したところ、北國新聞2004 ...
金沢市図書館の蔵書検索で二重学籍に関する本は見つからなかった。国立国会図書館サーチで検索したところ、以下の本が見つかった。『戦時日本の大学と宗教』「第六章 立教大学と聖公会神学院の二重学籍制度」大江満/著【URL】http://iss.ndl.go.jp/books/R100000067-I000170293-00Googleブックスで検索したところ、以下の本が見つかった。『図書館年鑑 1995』(111639232)p.107「通信教育における二重学籍問題」 出典は以下のとおり。『図書館雑誌 第88巻第11号』(109010889)「図書館就職大作戦〈その11〉 ある読者の手紙から」p.850「私は司書の資格を通信教育で取得しました。(中略)しかし、通信のほうでも、在学中は二重学籍になるからという理由でなかなか受け入れてもらえませんでした」amazonの検索で以下の本が見つかった。『大学の教務Q&A』p.40「Q1 ...
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