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【郷土の文人(俳人・漢詩人)について】 矢田四如軒の三回忌の追悼文に名前の出てくる「松斗」(松計ヵ、画人又は俳人)「呂舟」(俳人)「香山」(漢詩人)について知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:59)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:59)
『加能郷土辞彙』(初版)p.863「矢田広貫」によると、矢田四如軒の没年は寛政6(1794)年なので、松斗(松計)・呂舟(俳人)・香山は寛政9年頃の人物である。松斗は『新加能画人集成』(119330030)に記載なし。呂舟は『加能俳諧史』(改訂版)(119569134)p.336「磯すすみ 亡師槐庵馬来百ヶ日追善瓢箪町於崇禅寺(小室山崇禅寺曹洞宗)興行十月廿一日」の一座中に名前がみえ、上田馬来門下の金沢の俳人である。同書p.303によると、矢田四如軒は河合見風と前田直躬(前田土佐守家当主、俳号嵐鶴)の画像を描いており(『郷土の俳人河合見風』(119467902)p.8-9に図版掲載)、主君の前田直躬を通じて俳人と交流があったと思われる。その他、『北陸の俳壇史』(119570091)、『郷土の俳諧』(119679305)、『富田文庫目録』(119537767)、『村松文庫目録』(109075856)、『加越能古俳書大 ...
【兼六園の滝について】 江戸時代中期の出羽の細工師、嘉六という人物が兼六園の滝を作ったことが書かれた文献はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:59)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:59)
嘉六については、質問者からのご教示どおり、『講談社日本人名大辞典』(112321755)p.554に説明がある。兼六園内には翠滝(七瀬滝、松蔭滝ともいう)及び長谷池男滝・女滝(雄滝・雌滝)が現存する。このうち、安永3年(1774)の翠滝の改修については、『兼六園全史』(109207463)p.7,241,492、『特別名勝兼六園 その歴史と文化 本編』(119597667)p.180-181,288-289及び『兼六園を読み解く』(118478705)p.91-94「中島御亭と滝の改修」、p.96-97「安永初期における蓮池庭の施設」に記載があるが、嘉六の名前は見つからなかった。
『金沢市文化財紀要 250 野田山・加賀藩主前田家墓所調査報告書』(119995931)p.80-81「前田家と菩提寺」によると、前田利家の位牌所として宝円寺が挙げられている。『追想・護国山宝円寺(曹洞宗)』(119770790)p.6に前田利家及びまつの位牌の写真が掲載されている。『温故集録 1』(119784418)p.389によると大徳寺興臨院(「高徳院殿贈従一位前亜相桃雲見公大居士」)、p.388によると七尾長齢寺にも前田利家の位牌が安置されている。『加賀藩前田家墳墓史』(119411077)p.53-1に長齢寺蔵の位牌の写真が掲載されている。
【家系調査について】 塚本次吉・清水正明(下駄・履物)について書かれた資料はないか。また、塚本商事(証券会社、芳斉町か六枚町にあったと聞いている)が載っている地図が見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:59)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:59)
○塚本次吉について石川県関係人物文献検索により、『石川百年史』p.445と『石川県史 第4編』p.535を提供した。『明治大正期商工資産信用録 第2巻 明治42年 下』(復刻版)(118565346)p.161、『明治大正期商工信用録 第4巻 明治44年 下』(118583836)石川県下p.28、『金沢市史 資料編11 近代1』(119647301)所収「明治二八年度県税中商業税分賦等級交名簿」p.731に塚本次吉の名前が掲載されている。職業は針金(銅線)・精米、住所は三ツ構又は宗叔町である。○清水正明について『金沢商工人名録 昭和3年版』(119503114)p.118に「履物 清水仁三郎」が掲載されている。住所は新竪町である。○塚本商事について『金沢商工人名録 昭和3年版』(119503114)p.118に「塚本自動車商会」が掲載されているが、住所は下新町となっている。『家屋ノ賃貸価格ニ関スル下調書 昭和五 ...
【明治期の知事官舎について】 『金沢の百年 明治編』に、第3代県令の千坂高雅氏は山田屋小路に居住したと書かれているが、歴代の県令はみなそこに居住したのか。現代の官舎のようなものがあったのか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:59)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:59)
『石川県史』『金沢の百年』等を調査したところ、官舎について次の記載が見つかった。大正14年5月25日 知事官舎を柿木畠に移転することが決定した。大正15年5月8日 柿木畠横山男爵邸跡に知事官舎完成。長知事は森町(現扇町)の官舎より引っ越し。明治後期の知事の住居に関する記載の中に「自宅」と表記されているものはあったが、官舎、公舎等の記載は見つからなかった。現存する建物の中に、明治23年に建築された石川県警察本部長公舎(現美術工芸大学研修棟)があることから、県外から赴任する知事のために官舎があった可能性はあるが、確認はできなかった。
【金沢(石川県)における自転車の歴史について】 金沢(石川県)で自転車に乗るようになったのはいつ頃からか。自転車屋や自転車台数の推移についても知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:58)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:58)
○日本における自転車の歴史『自転車の一世紀』(129298394)p.6-12によると、日本に自転車が入ってきたのは明治維新前後のことで、国産されるようになったのは明治23年(1890)とされている。○金沢(石川県)における自転車の歴史『石川写真百年 追想の図譜』(1979年)(11901030)p.144によると、金沢にはじめて輸入自転車が入ったのは明治16年(1883)のことである。『金沢の百年 明治編』(市史年表)(119871415)p.83によると、明治20年(1887)石川県専門学校の教授ベントンが金沢の町中を自転車で乗り回って珍しがられた。学校名と人名に異説もある。○金沢(石川県)における自転車屋の推移『金沢商工人名録 昭和3年版』(119503114)p.235-237に自転車販売・製造・修理業者31名が掲載されている。そのうち、開業が最も古いのは明治26年開業の石野自転車商会(営業者 石 ...
【百万石まつりについて】 百万石まつりという名称はいつ頃からどのような経緯で使われるようになったのか。百万石まつりの出し物や行列・ルートの変遷についても知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:58)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:58)
(1)「百万石まつり」という名称について『金沢市史 資料編14 民俗』(119748725)p.307『金沢百万石まつり』(119858155)p.2以上の資料に名称の経緯について記載あり。明治10年、旧藩士の尾山旧誼会が中心となり開始された「封国祭」が戦後、尾山まつり奉賀会の祭りとなり、昭和27年「尾山まつり」を受け継いだ「商工まつり」が開催され、これが第1回「百万石まつり」となった。明治10(1877)年 封国祭が始まる。大正12(1923)年 封国祭が金沢市祭として挙行される。昭和21(1946)年 尾山まつりと改称される(神道指令による)。昭和22(1947)年 金沢商工まつりが開催される。昭和27(1952)年 尾山まつりを受け継いだ商工まつりが行われる(第1回百万石まつり)。(2)出し物の変遷について『金沢百万石まつり』(119858155)、『百万石まつり35年の歩み』(118542557)に各回の ...
【金沢における麺類の歴史について】 金沢には麺類のチェーン店が多いように思うが、昔から麺類が好んで食べられていたといったような特別な理由があるのか。また、それぞれのグループの創業の経緯が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:58)
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○麺食文化の歴史について『日本生活史辞典』(113784180)p.59「うどん」によると、うどんの原型は平安中期から鎌倉時代に中国から伝来した。幕末には江戸のそば屋でうどんも提供し、屋台の引売りも盛んで、この外食の発展が庶民へのうどん普及の基盤となった。明治16(1883)年日本初の製麺機械が発明され、供給量が飛躍的に向上し、都市人口急増とともに麺類需要も増大したと書かれている。その他参考文献は以下のとおり。『麺の文化史』(112792374)『つるつる物語』(11088011)○石川県の麺食文化について『日本めん食文化の一三〇〇年』(増補版)(113500957)p.188「廻船交易から発展した輪島そうめん」の項に「能登の中心地輪島は漆器の町として知られているが、中世からそうめん作りが盛んであった」と書かれている。レファレンス協同デー ...
【金沢出身の海軍省勤務者の経歴等について】 金沢出身で東郷平八郎とともにイギリスへ留学した海軍軍人の「土師外次郎(はじそとじろう)」の家系に関する資料はないか。また、同じく海軍省に勤めた「猪山成之(いのやましげゆき)」、猪山家と同じく御算用者の家出身の「早川元次郎(はやかわもとじろう)」、金沢出身といわれる「奈佐忠行(なさただゆき)」の経歴及び関係が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:58)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:58)
○土師外次郎『海を渡ったサムライたち』(109130804)p.142~144『石川県史資料 近世篇8 諸士系譜 1』p.102 (2)-31「土師氏」○猪山成之『武士の家計簿』(118517812)p.107~156『猪山直之日記 加賀藩御算用者』(118527390)p.267~297『ふるさと人物伝』(118527452)p.192~193『石川百年史』(119563130)p.748○早川元次郎(もとじろう)国立公文書館デジタルアーカイブで検索し、4件のヒットあり(参照:2016年11月10日)。【URL】https://www.digital.archives.go.jp/国会図書館デジタルコレクションに早川元次郎の著作が収録されている。『因幡伯耆二國土性圖説明書』【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1085048/1/1 『若狭越前土性図説明書』【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/987844/1/1『農林研究 第113号』 「駒場農学校英人化学教師エドワード・キンチ」p.8「Mr.M.Hayakawa 早川元次郎、東京農林学校農芸化学科第3 ...
『加賀の茶室』(118415536)p.44-46「松声庵」によると、茶室は下新町に住み、表千家流の茶を嗜む数寄者で、藩末から明治にかけて茶名の高かった金谷三次郎のものであった。大正10年ごろ、茶を好んだ油谷定吉(『金沢商工人名録 昭和3年版』(119503114)p.148「油谷常盤牧場」の営業者)により常磐町に移築され、中橋徳五郎によって「松声庵」と命名されたとのこと。現在は金沢市高岡町に移築されている(『現代に息づく茶道のまち金沢の茶室』(第2版)(118531544)p.54)。旧蔵者の金谷三次郎については、『加賀の茶道』(11822488)に「新町に住み蔵宿を業とした同流(表千家流)の数寄者、金谷三次郎」という記載がある。また、『石川郷土史学会々誌 第6号』(119552772)に「金谷家は金津屋といい歴代が蔵宿を業とした旧家で、養父三郎右衛門は十日坊といって ...
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