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・日本語の辞典、IMEパッド(PC手書き機能)になし。・ネットで「月 谷 卩」で検索・台湾で使用される「繁体字」で、「脚」を表す語だと判明。・「脚」の発音は「jiao」。よって、日本語としての発音はなく、中国語の発音では「jiao」になる。
『石川県歯科衛生士専門学校20周年・石川県歯科技工士専門学校10周年創立記念誌』(石川県歯科医師会、1983年)昭和38年~57年に活躍した人物として、「杉村彬」の名前あり。『病診連携のための病院・診療所機能一覧』(金沢市医師会、2004年)「杉村歯科医院 杉村彬」質問者によると、このかたは現院長とのこと。『石川県史 現代篇5』(1984年)P874「彩墨画・南画では畝村石道人(中略)・寺中静山・杉村朴貝らが活躍している」『平成加賀万歳』(118577374)「歯科医、杉村貞吉(さだきち)先生に弟子入りしました。先生は、雅号を卜貝子(ぼっかいし)といい、絵をよくされ、」<追記>『北国観光と芸能 2号』(118588215)P8「加賀地万歳の今昔」「杉村卜貝氏は本業は医師であるが、加賀万歳復興と郷土文化のために偉大な功労者である」
・『石川の近代建築 富山の洋風建築』竺覚暁/著(金沢工業大学、1981年)(11907175)「8 旧金沢美工大校舎」・『石川県立歴史博物館(旧金澤陸軍兵器支廠兵器庫)保存工事報告書』石川県立歴史博物館/編(石川県、1990年)(119335215)・『日本の産業遺産 2』前田清志/編(玉川大学出版部、2000年)(112249170)「旧陸軍兵器庫の保存と活用」本康宏史/著・『金沢市史 資料編17 建築・建設』(金沢市、1998年)p.240-242
<石川県立図書館>・『相続税財産評価基準書』(昭和55年)<国会図書館>・『路線価設定地域図』(昭和51年)・『相続税財産評価基準書』(昭和50年)※昭和46-50年については、金沢市は評価倍率地域となっており、路線価図なし(ただし、町単位で表にまとめた資料は存在する場合がある。)。相続税財産評価基準書については、昭和28-47年分のマイクロフィルムが国会図書館に所蔵されている。金沢国税局には相続税財産評価基準書の最新10年分のみ所蔵されている。
【種子島及び種ケ島(七尾湾)について】 鹿児島の種子島氏が笠師保の領主だったことを裏付ける地元側の資料はないか。また、七尾湾にある種ケ島の名前の由来を知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:52)
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1.種子島氏(黒河信氏)が笠師の領主となったことについて 『中島町史 通史編』(中島町役場、1996年)P118 「笠師・豊田両保について(中略)比較的新しい時期に開発された土地で(中略)純然たる国衛領(国保)であった可能性が高い」とある。種子島氏は北条一族のようでありいずれかの地の地頭職を得ていた可能性はあるが、それを裏付ける史料は見つからなかった。2.種子島の名前の由来について『能登志徴 上編』(石川県図書館協会、1969年復刻)(11824806)P511「○享保二年能登紀行には、おにが島とす。」とあり、表記にゆれがある(江戸期に種子島の名は必ずしも使われていない)。
・金沢市ホームページ「保健衛生関係年表」より昭和4年10月開所南葬場は平成7年7月開所・『金沢市政概要 昭和5年』(119514824)P176-177の間に全景及び内部の一部写真あり(国立国会図書館デジタルコレクション閲覧可)【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1278873/1/123
・永田伊織について『寛政重修諸家譜 第16 新訂』(129089017)直寛 鍋之助 伊織 母は直俊が女。寛文9年12月12日遺跡を継、千五百石を知行し五百石を弟傅之助直之に分かち与え、小普請となる。(後略)・永田町について『国史大辞典 10』(11108565)『日本大百科全書 17』(111089166)『日本歴史大辞典 13 東京都の地名』(112371659)永田姓の武家屋敷があったこと、この後この辺一帯が「永田馬場」と呼ばれたことが現地名の起こりと推測されている。『古板江戸圖集成 第1巻』(118520442)永田姓…「永田伝十郎」「永田権助」「永田市十郎」が確認される。『日本歴史大辞典 13 東京都の地名』(112371659)永田馬場…永田姓の旗本屋敷の前の南北に延びる道筋。
・『郷土誌』(昭和10年)(11953440)p.4 石引町通り、天徳院、金沢医科大附属医院・『写真集明治大正昭和金沢』(11900843)p.8 石引町(大正)・『ふるさと写真館』(118505938)p.56 金沢医学専門学校(明治34年)・『石川百年』(11826689)p.13・163・348 石引町通り(大正初) 商店の町(昭和20年)電車(昭和30年)・『福正宗物語』(11918499)p.89 福光屋(明治34年)・『目で見る金沢の100年』(11975610)p.17・24 金沢病院(明治末期)、天徳院(明治末期)・『北陸鉄道の歩み』(119561898)p.30 市内電車開通前の石引町(大正6年)
『金沢市水道誌』金沢市電気水道局/編(1933)(11902831)〔P8〕水道の歌の歌詞・楽譜あり。P276 行進歌・小唄あり。『金沢の百年 大正・昭和編』(市史年表)( 109089889)P146 昭和6年 「8.11 水道行進曲を発表」とあり。『金沢水道五十年史』金沢市企業局/編(11904365)なし。昭和6年8月11日の新聞等も見るが、該当なし。
【前田家臣について】 高山右近について調べている関係で、前田家ゆかりの近江坂本の西教寺に残された前田家分限帳に記された人名を調べるにはどうしたらよいか、文献を紹介してほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:51)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:51)
『加能郷土辞彙』(初版)国会図書館及び当館のホームページで閲覧できる。【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1123720/1/1https://www2.lib.kanazawa.ishikawa.jp/reference/jii.htm『加越能近世史研究必携』(北國出版社 2011年)(113226661)
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