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Denmark tightens border controls with Sweden after surge in shootings
from UK homepage (2024/8/10 1:53:07)
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Officials aim to limit attacks from ‘Swedish child soldiers’ hired by Danish gangs
① ・『札幌市統計一班 大正10年』(回答資料1) p.159、『札幌市統計一班 大正11年』(回答資料2)p.154 「北1条西10丁目」 ・『札幌市統計一班 大正12年』(回答資料3)p.144、『札幌市統計一班 昭和3年』(回答資料4)p.178及び巻末「札幌市地図」、『札幌市統計一班 昭和8年』(回答資料5)p.206 「大通西十丁目」 ・『新札幌市史 第3巻 通史』(回答資料6)「第一章 札幌区の成立」p.94 「当初大通西八丁目に庁舎を置いたが、のち10丁目に移転」と記述あり。 ・『新札幌市史 第4巻 通史』(回答資料7)「第二章 市制施行と行財政」p.82 「表-5 札幌市の主要官公署(昭12)」では、「大通西十丁目」 p.259「北部軍司令部」には北1西10とあった。正面写真あり(白黒)。※出典『札幌市写真帖』(回答資料8)②集合写真はなし。 ・『札幌市写真 ...
幾春別森林鉄道の線路や停車場の出来るだけ正確な位置を知りたい。●その質問の出典や情報源、調査済み事項などwebで、岩見沢営林署 『幾春別森林鉄道記録写真帳』(昭和31年3月作製)などを見ることができるが大雑把で、現在との位置関係が分からない。国土地理院の地図で過去の航空写真も調べたが、桂沢湖が完成した後の写真のため森林鉄道は確認できない。(北海道立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/10 0:30:11)
from レファレンス協同データベース (2024/8/10 0:30:11)
キーワード「幾春別森林鉄道」及び「森林鉄道」で検索。森林鉄道の資料及び三笠市の市史等を記述のあるものから参考文献等を遡って調査したが、記述はあるが地図等の記載なし。(参考資料1?8)インターネットで検索したところ、個人のサイトで詳細な図あり。1970年代 北海道鉄道写真 URL:https://nigochu.xsrv.jp/index.html (最終アクセス日:2023年3月11日)詳細な位置等も国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスと紐づけする等詳しく記述している。『北海道の森林鉄道』(参考資料5)他によると、昭和10年~30年頃に存在していたので、該当する時期の地形図を紹介。回答資料1?12回答資料1~3,8~12に幾春別森林鉄道の表記はないが、幾春別駅近郊から桂沢地区への鉄道の表記あり。昭和22年撮影の米軍撮影の空中写真があり、当館 ...
余市町にある「ローソク岩」が昭和10年代に崩落して現在の姿になったが、崩落時の新聞記事はあるか。余市町の90代の方に伺ったところ、昭和15年に積丹で大地震があって、それがきっかけとなったような記憶があると聞いた。(北海道立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/10 0:30:11)
from レファレンス協同データベース (2024/8/10 0:30:11)
新聞の調査時期を確認1 ウィキペディア「ローソク岩」の概要に「昔はもっと太く、丸い岩だったものが、1940年8月2日の積丹半島沖地震の際に発生した津波のため半分に割れ現在の大きさになった。」とある。・ウィキペディア「ローソク岩」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%82%AF%E5%B2%A9)(2023/12/26閲覧)2 北海道ファンマガジンWebサイト(2018/06/13 余市町の奇岩「ローソク岩」がローソクになる奇跡の瞬間を見逃すな!)に「1940(昭和15)年の積丹半島沖地震で縦真っ二つに亀裂が生じ、翌1941(昭和16)年7月に再び起きた地震で亀裂の片側が倒壊しました」とある。・北海道ファンマガジン「2018/06/13 余市町の奇岩「ローソク岩」がローソクになる奇跡の瞬間を見逃すな!」(https://hokkaidofan.com/candlestickrock/)(2023/12/26閲覧) ...
30数年前、観光バスのガイドさんから、斜里町に入植して開拓した土地から人がいなくなった地域があった、という話を聞いた。斜里の集団移転、で調べると岩尾別という地名が出てくる。人がいなくなった地域の記録はあるか。他、参考情報としては、バスが知床横断道路の斜里側に来た時にこの話になったような記憶がある。開拓家屋があった?この地区について作家がまとめた、というような話もあった。(北海道立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/10 0:30:11)
from レファレンス協同データベース (2024/8/10 0:30:11)
インターネットで「斜里」「集団移転」をキーワードに調べると、「しれとこ100平方メートル運動」という活動について情報が出てきた。斜里町役場が開設しているHP「しれとこ100平方メートルの森・トラスト」の「運動の歴史」のページによると、「1914~1915年に岩尾別地区開拓が始まり、ピーク時には60戸ほどの集落ができたが、土地条件は厳しく、入植地としては恵まれない場所だった。1960年代、知床が国立公園に指定されたことから、知床をめぐる経済、社会環境も大きく変化。入植者の離農が始まり、1970年代過ぎには開拓跡地となった。その後、「日本列島改造論」による土地投機ブームがおこり、開拓跡地にも道内外の不動産業者からの買い取りの手が伸びた。土地を国や北海道に買い上げてもらうよう要請をしたがうまくいか ...
1992年に刊行された『北海道立文書館研究紀要』第7号(回答資料1)に、「殖民地区画図のデータベース化について」(遠藤 龍彦著)が掲載されており、これには、殖民地区画図を所蔵する主な機関の所在目録が載っており、現行の行政区画が付記されている。これをもとに国名=後志、郡名=瀬棚、現行行政区画=今金、で調べて、当館では8点の区画図を所蔵。回答資料2~9当館のホームページで公開している「北方資料デジタルライブラリー」でも閲覧できることを案内。参考資料:1 殖民地区画図のデータベース化について 遠藤 龍彦∥著 北海道立文書館 1992 334.5/SH, 参考資料: 2 メップ [地図資料] [出版者不明] 1912.5 ショク/710/31, 参考資料: 3 パンケオイチャヌンペ [地図資料] [出版者不明] 1911.12 ショク/710/29, 参考資料: 4 パンケオイチャヌン ...
中空土偶のカックウについて、①出土(1975.8)及び②国宝指定(2007)に関する『北海道新聞』(全道版)の記事を探している。(北海道立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/10 0:30:10)
from レファレンス協同データベース (2024/8/10 0:30:10)
北海道新聞縮刷版より、記事を調査。国宝指定については、雑誌記事検索で「中空土偶」で検索。関連記事あり。「北海道輝いた…あの日 vol.39」『クオリティ 』第44巻第6号(参考資料1) p.110~112この記事によると2007年3月17日の北海道新聞で国宝になった記事が掲載。同月の縮刷版で関連記事を調査。縮刷版に記事が載っている日の前後を函館支社版の地方版でも調査。以下の記事あり。全て北海道新聞1 出土・昭和50年8月28日17面見出し:縄文後期の珍しい土偶 南茅部町で出土 ・昭和50年8月30日18面見出し:専門家も「珍しい」 南茅部の縄文土偶 道文化財に指定へ2 国宝指定・平成19年3月17日1面見出し:中空土偶国宝に 旧南茅部町出土道内で初・平成19年3月17日39面見出し:32年前、イモ畑でコツン 中空土偶国宝に 大出世よかったな 喜ぶ小 ...
エドウィン・ダンの提言書について、原文がどこにあるか知りたい。持っているのは当別伊達家文書のもので日本語に訳されたもの。1880.9.5という日付あり。タイトルはなし。開拓使の便せん6-7枚。調所広丈閣下とある。(北海道立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/10 0:30:09)
from レファレンス協同データベース (2024/8/10 0:30:09)
蔵書検索で「調所広丈」で検索。参考資料1に「六 ダンの新冠牧馬虫害報告書」(p.36~37)あり。明治13年9月5日ダンは新冠と近傍の羽虫の被害状況と虫害防除法を提言した復命書を開拓大書記官調所広丈へ提出した」とある。p.230~235に全文あり。北海道立文書館所蔵。探している提言書が「新冠及其近傍ニ群集ノ?蛋(バッタ)ニ類似ノ羽虫ノ被害景況視察ノ件」(復命書)であることが確認し判明。文書館の資料検索で資料の所蔵を確認し、原文(英文)についての情報がないか文書館に照会。→原文の所蔵、情報なしの回答。北海道大学北方資料室での所蔵確認のため、参考資料2およびサイト「北海道大学北方資料データベースから開拓使外国人関係書簡目録」を調査するも所蔵なし。他、エドウィン・ダンに関する資料目録等、伝記を ...
明治35年4月30日、天売島沖で80余隻難破し220名が犠牲になった旨の記事が「新撰北海道史 第4巻」1008ページに記載されているが、より詳細に同災害の記録を知りたい。●その質問の出典や情報源、調査済み事項など新撰北海道史第4巻(北海道立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/10 0:30:09)
from レファレンス協同データベース (2024/8/10 0:30:09)
『新撰北海道 第7巻』の年表にも記載あり(回答資料2)。記述は『同第4巻』(回答資料1)と同様。『北海道における異常気象・災害年表』(回答資料3 p.72)にあり。明治35年4月5日 強風・波浪 留萌管内天売島沖で鰊漁船難破60余 溺死者228 (羽幌町史)『羽幌町史』(回答資料4 p.779)を調査。年表の明治35年のところにあり。四月五日天売沖で鰊漁船六〇余難破、二二八名溺死資料:「新撰北海道史」「天売漁港修築請願書」「天売漁港修築請願書」を所蔵調査国書総目録なし。道立図書館なし。道立文書館なし。国立国会図書館なし。CiniiBooksなし。北海道大学北方資料データベースなし。※日付が異なるが、災害場所と被災規模が類似しているので、照会の水難と判断googleで「天売島」「鰊漁船難破」で書籍検索。1件あり。『留 ...
十勝川に架かる「十勝橋」(一般道道熊牛御影線)について調べている。・「十勝橋」の歴史(渡川?仮架橋?永久橋 といった変遷)・接続する芽室町、清水町と「十勝橋」の関係性(果たしている役割など)・「十勝橋」周辺地域特性以上について、関連する資史料等を知りたい。(北海道立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/10 0:30:09)
from レファレンス協同データベース (2024/8/10 0:30:09)
清水町と芽室町を結ぶ橋のため、清水町及び芽室町の町史を調査以下の資料に記述あり。『清水町百年史』(回答資料1)大正2年11月完成。佐念頃市街と対岸南側の芽室村西毛根地区と同じく北側の松沢、熊牛地区を結ぶ交通の要として完成した。木造トラス橋。橋幅が狭いため馬車は1台しか通行できなかった。両岸住民み大きな利便をもたらしたが、補修を重ねながら昭和年代までそのつとめを果たした。(p.155)昭和31年当時は町道橋で、老朽が深刻だった(p.834)『清水町史』(回答資料2)資料中の「御影村史」の中で十勝橋の経緯について記述。橋ができるまでの状況、大正11年の洪水での損傷他、修理の経緯、が書かれている。昭和24年8月24日にポニートラス木造桁橋が完成。それ以後も損傷が激しく、一時通行不能。昭和30年 ...
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