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【寺西直次・秀則について】 寺西直次・秀則の両名について、『三百藩家臣人名辞典 3』以外の文献や、両名の経歴の典拠史料があれば教えてほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:34:31)
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石川県関係人物文献検索で「寺西」を確認したところ、以下の2名が見つかった。いずれにも『三百藩家臣人名辞典』3が挙げられている。寺西治兵衛秀則は『石川県史 第2編』(118587380) p.2,65,103にも記述がある。『石川県史資料 近世篇12 諸士系譜』(109164061)p.69「治兵衛秀則」、p.76「備中守直次」の系図が収録されている。『加能郷土辞彙』(119865516)p.599「寺西直次」「寺西秀則」【URL】https://www2.lib.kanazawa.ishikawa.jp/reference/jii/jii_568.pdf (2022年8月26日最終閲覧)『加越能文庫解説目録 上巻』(119573816)「先祖由緒并一類附帳」p.152「寺西篤男(直一)」500石・直次系、「寺西宗餘(秀周)」「寺西徳三郎(秀敬)」7,000石・秀則系
国立国会図書館サーチで「北條時敬 十四会」と検索したところ、以下の文献が見つかった。『近代住友の経営理念』 瀬岡 誠/著 有斐閣 1998年(当館に所蔵なし、金沢大学附属図書館より取り寄せ)p.117「「十四会」は会員の数にちなんで名付けられたとも、明治14年(1881)の結成にちなんで名付けられたともいわれるが、そのメンバーの大半が金沢出身者であり、東大予備門出身者であったといわれる。北條時敬・織田小覚・早川千吉郎・土岐こう(にんべんに黄)・永山近彰・平山銓太郎・岡田良平・一木喜徳郎・平沼騏一郎・岡田次郎作・中橋徳五郎・河村善益・鈴木馬左也らがそのメンバーとしてあげられている。」p.118「この「十四会」は、「出身地・出身校・血縁などを媒介要因として参集した前途有為の青年たちが、宗教(とく ...
【町田半兵衛について】 金沢市の石浦神社境内にある「振戌町田翁寿蔵碑」の町田翁及び碑文について掲載された文献はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:34:30)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:34:30)
『金沢市文化財紀要 48 加賀獅子」(109077304)所収「加賀獅子舞の棒ふり考-半兵衛流とその伝播を中心にー」p.163-167「二、半兵衛流の創始」に町田半兵衛の経歴及び石浦神社境内に建つ「振武町田翁寿蔵碑」の碑文の書き下し文が掲載されている。『加賀・能登の民俗 小倉学著作集 第2巻 民俗芸能』(119880460)に「加賀獅子舞の棒ふり考」が再録されている。『加賀武術の遺蹤』(119407628)p.37-40「町田久定半兵衛振武 流名水野真法一伝流」に流派の事歴及び「振武町田翁寿蔵碑」の碑文等が掲載されている。『金沢市史 資料編14 民俗』(119748725)p.464-465「半兵衛流」『弥生の明日のために』(119579005)p.93「棒術半兵衛さ流を創始した町田半兵衛」半兵衛流については以下のレファレンス事例も参照のこと。「【獅子舞の流派について】 加賀獅子舞、特 ...
【新追逃橋について】 森下川に架かっている新追逃橋(しんおいのけばし、塚崎町-岩出町間)の名前の由来が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:34:30)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:34:30)
『香我の譜』(11915531)、『城北ものがたり』(119714558)、『森本村回顧誌』(11916035)に記載なし。『森本のあゆみ』(119704533)p.18に「森下川に架設された森本町内の橋梁は上流より、新追逃橋・追逃橋・森下川橋・森本大橋・川向橋の五橋梁である」と記されている。『もりもと』(119778303)p.125「金沢市に合併までの変遷」により、塚崎村は森本村に、岩出村は薬師谷村に統合されたことがわかったため、薬師谷地区の以下の地誌を調べた。『わが郷 薬師谷』(119707606)p.90「岩出神社」の項に「神作橋(今の岩出橋)」の記載あり。新追逃橋との関係は不明である。『薬師谷の変遷』(109068950)p.191「森本川と橋」に「昭和二十七、八年の大洪水に依り「カンサイ橋」以外の土橋、木橋は再三流失した。その度に架け変られた」と記されている。p.194に「新追 ...
【長尾信開流について】 金沢市に伝わっていた長尾信開流小太刀に関する書籍・記事はないか。長尾信開流を伝承されていた金沢市在住の居合道の先生、武田清房氏より、長尾信開流について武田氏が書いたものが図書館にあると聞いたことがある。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:34:30)
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当館所蔵資料検索で武田清房氏の著書を探したところ、以下の資料が見つかった。『居合道審査員の目』(510029516) 武田清房氏が「仮想敵を意識して抜くこと・生命を吹き込んで演武しているか」という文章を寄稿しているが、長尾信開流についての記載はなかった。郷土の古武術の資料を探したところ、以下の資料に長尾信開流についての記載があった。『加賀藩経武館武芸小伝』(119572550)p.262-263「氏家春樹行英」、p.263-264「長尾新開流」、「“長尾新開流小太刀”のみ、福久力松を経て現在武田清房に伝承している」と書かれている。『加賀武術の遺蹤』(119407628)p.33-36「氏家春樹行英 流名長尾信開流師範」に流派の事歴及び氏家春樹行英の碑文(安江八幡宮境内)等が掲載されている。郷土資料ではないが、以下の文献にも記載がある。『武 ...
『石川県鹿島郡誌』(119544921)の目次を通覧したところ、「万行の三郎兵衛」の記載はなかった。国立国会図書館サーチで検索したところ、以下の文献に記載があることがわかった。『定本柳田国男集 第26巻』(119747147)p.81「狐女房」『新修七尾市史 13 民俗編』(119789399)p.24-25「7 南栄三採集資料「万行の三郎兵衛伝説」」同p.26「解説」によると、資料7は鹿島郡誌に載っている万行の「穂に出でつっぱらめ」の先に存在したものであるとのこと。『石川県鹿島郡誌』p.966-967に「穂に出でつつぱらめ」が掲載されていることを確認した。内容は南栄三採集資料と若干異なる。<追記>「穂に出でつっぱらめ」の意味が書かれた資料を探してほしいとの追加の依頼あり。同民話の集録された資料をさらに探したところ、以下の資料が見つかった。『 ...
『連作"馬鹿一もの"の世界』 2009年に調布市武者小路実篤記念館で開催された特別展のカタログ。同展覧会の内容は以下のサイトで確認できる。【URL】https://cir.nii.ac.jp/crid/1130000793671654912『馬鹿一』(129487050)p.364-366「この本のあとに」に本書成立の経緯が書かれている。『武者小路実篤全集 第16巻』(111141108)p.799-859「解題」に「山谷もの」各作品の解説が掲載されている。『昭和文学全集 3』(180117121)「武者小路実篤・人と作品」p.1041-1042に「真理先生」と「馬鹿一」の解説が掲載されている。『国文学 解釈と鑑賞』1992年2月号 特集武者小路実篤の世界(170144626) p.132-136『真理先生』に<山谷もの>についての解説が掲載されている。
【旧金沢市庁舎のカラー写真について】 金沢市役所の旧庁舎(昭和54年取り壊し)のカラー写真を探している。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:34:29)
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旧金沢市庁舎の創建及び取り壊しの年代については以下のレファレンス記録を参照のこと。「金沢市庁舎について」(金沢市図書館)【URL】https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000212090 (2022年8月26日最終閲覧)当館所蔵の資料で旧金沢市庁舎のカラー写真が掲載されていたのは以下のとおり。『金沢 市勢要覧 1979』(129827448)「発刊のことば」挿入写真『金沢 市勢要覧 1980』(129827439)「発刊のことば」挿入写真『金沢 市制百周年を記念して』(11930567)p.13「近世ルネッサンス式半石造で大正11年建築の前庁舎 昭40(1965)」『よみがえる昭和の香林坊・片町』(118546707)p.98「昭和39(1964)年、広坂の旧金沢市庁舎をバックに走る市内電車」
以下の文献は質問者が調査済み。「地下水を熱源とする道路消融雪技術」 奥山 武彦/著 2021年2月 『農業機械学会誌』 74巻1号 p.15-19『金沢市地下水保全計画 第3期』 金沢市 2019年11月【URL】https://www4.city.kanazawa.lg.jp/material/files/group/67/hozenkeikaku.pdf (2022年8月26日最終閲覧)「消雪パイプと地下水」 青木 滋/著 1981年 『土と基礎』29巻10号 p.95-96『石川県地下水保全対策調査報告書 令和2年度』 石川県【URL】https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kankyo/shiryo/tika/tyousahoukokusyo.html (2022年8月26日最終閲覧)当館所蔵資料で融雪井戸又は融雪・消雪用の水に言及のあったものは以下のとおり。『石川県全域地下水調査事業報告書』(119568781)p.29「表-5 市町村別業種別揚水量表(昭和47年)」、p.30「地下水区別業種別揚水量表(昭和47年)」に金沢の融雪井戸の本数及び揚水量が掲載 ...
【上野練兵場について】 昭和20年代の小立野の地図はないか。小立野にあった軍の施設が描かれた地図が見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/29 0:34:29)
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昭和20年代の以下の地図に小立野地域は掲載されていないかった。『大金沢産業案内図』(118586050)『金沢市街図』(11902910)『金沢市学事一覧 昭和27年度』(118621884)『さきうら』(119764317)p.291「上野射撃場跡・上野弾薬庫跡」によると、同跡地は現在の小立野1丁目・2丁目、錦町、旭町地内に細長く伸びていたとのこと。上野射撃場跡の航空写真が収録されている。同写真の出典は『昭和20年代米軍撮影空中写真』(118314060)p.35と思われる。『さきうら』p.162によると、昭和21年に上野射撃場は農耕地として払い下げられた。『小立野校下の歴史』(119740790)p.233-234「旧上野射撃場」に「現在の錦町及び小立野一丁目の地が急上野射撃場とほぼ一致する。現在、金商高校前から少し上に上がり、県道芝原―石引線と小立野小学校通りの間の裏通り小 ...
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