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会期:2024年7月27日~9月23日 関東大震災からの復興が進み、街に華やかさが戻った昭和初期は、モダンなライフスタイルが生まれました。園内西ゾーンにある常盤台写真場は、この華やかな時期が終りに近づきつつある1937年(昭和12)に東武鉄道株式会社が東上線沿いに開発した常盤台住宅地に建てられました。 明治・大正期にはまだまだカメラが一般に普及しておらず、常盤台写真場が建った昭和初期でも写真は写真館で撮影する格別なものでした。写真師がそれぞれ腕を競い合って撮影した写真は、家の記録として大切に残されていました。 時代が下り、コンパクトカメラの登場により写真が身近なものになると、写真館の存在は変化し、家族の記念日などの撮影や、学校行事の撮影などを行うようになっていきます。さらに現代におい ...
会期:2013年10月29日(火)〜12月08日(日)江戸城大奥は、表と奥という江戸城本丸御殿の二つの基本的な空間構造のうち奥空間の最奥に位置し、将軍にとっては御台所(みだいどころ)とともに世子を養育して家の存続をはかるという役割をもっていました。また、御台所や将軍生母たちの生活の場でありました。 本展では、公益財団法人德川記念財団が所蔵する、幕末の大奥を彩った御台所や将軍生母に関する資料を中心に展示します。宮家や公家、武家など様々な身分を出自とした彼女たちの〝風儀〟と、彼女たちが集まる江戸城本丸御殿の大奥という場に注目し、その実像を考えたいと思います。また、留守居という大奥の取締りを掌(つかさど)った男役人にも注目し、華やかな江戸城大奥の運営についてひもときます。さらに本展の結び ...
会期:2012年10月06日(土)~11月25日(日)泰平の時代の基礎を築いた徳川家康は、数多くの肖像画に描かれました。本展では家康のさまざまな肖像(すがた)に着目し、約35点の家康像を一堂に集め展示します。あわせて、自筆の書画や遺品などからその実績や人物像を紹介します。第1章では、初期の徳川家康像として知られる、大養寺(東京都港区)所蔵の「徳川家康像」(伝小野通女筆)を展示します。さらに各地に伝来する徳川家康像等を紹介することにより、徳川家康像の成立とひろがりについても考えていきます。第2章では没後に神となり神像として描かれるようになった家康の視覚的イメージの変遷をたどり、東照大権現像の成り立ちについて考えます。http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/s-exhibition/project/3436/%e5%be%b3%e5%b7%9d%e5%ae%b6%e5%ba%b7%e3%81% ...
会期:2011年10月08日(土)?11月23日(水)元和2年(1616) 4月17日に逝去した徳川家康の遺骸は、遺言により駿河国久能山(静岡県)に埋葬されました。翌元和3年には下野国日光へ「小キ堂」(ちいさきどう)を建てて勧請(かんじょう)せよとの遺志を根拠に、久能山より日光山へと遷座(せんざ)されました。これに合わせて2代将軍秀忠が日光に参詣を行ったことが日光社参の始まりとされています。以後将軍の日光山参詣は、天保14年(1843)まで17回(大御所・世子(せいし)を含む)行われました。将軍による社参は回忌ごとに実施される法会(ほうえ)とは異なり、その規模は壮大であるとともに時の政権の意思や政治的な意義をも含んでいました。今回の展示では、将軍の日光社参について、まず家康が遷座された日光とはどのような歴史 ...
会期:2009年10月10日~12月20日https://www.tatemonoen.jp/special/past_2009.php#event02(最終アクセス日:2020年3月31日)目録等:『中央線開通120周年記念 特別展 甲武鉄道と多摩』 東京都江戸東京たてもの園/編 [真下祥幸/執筆] 東京都江戸東京たてもの園 平成21年10月10日 M3666/TO-002/ 110紹介文献:『江戸東京たてもの園だより』 34 江戸東京たてもの園,東京都歴史文化財団/編 東京都歴史文化財団,江戸東京たてもの園 平成21年9月30日 M3666/TO-002/ 018-034
会期:2007年3月17日~5月6日江戸東京博物館が所蔵する「新東京百景」シリーズは、昭和57年(1982)の秋に「都民の日」制定30周年事業の一環として選定された100の風景を描いたものです。日本画家・洋画家たちの油絵・水彩画は、都心部から多摩・島嶼にいたる東京の代表的風景を、あますことなく捉えています。一方、もうひとつの「新東京百景」が、東京都現代美術館に所蔵されています。こちらは、昭和4年(1929)、日本橋丸善における展覧会に出品された版画「東京百景」を発端とする版画シリーズです。平成19年(2007)は、新東京百景制定25周年にあたります。本展では、これまでの園の活動にちなみ、ふたつの「新東京百景」から建物を描いた作品を選び、展示しました。https://www.tatemonoen.jp/special/past_2006.php#event02(最終アクセス日:2020年3月31 ...
会期:2000年3月28日~5月7日徳川家康が慶長6年(1601)から着手したとされる街道整備によって、五街道をはじめ主要な脇往還などの宿駅、伝馬の制が整えられました。多摩地域では、甲州道中と並んで青梅街道も、この時期に整備されたといいます。本特別展では、多摩から江戸へ向かったこの甲州道中と青梅街道について、宿場・伝馬・助郷といった点から「道」がどのように利用されていたのかを紹介しました。https://www.tatemonoen.jp/special/past_2000.php#event07(最終アクセス日:2020年3月31日)目録等:『多摩の街道と宿場 特別展 東京2000年祭』 江戸東京たてもの園(東京都江戸東京博物館分館)/編 江戸東京たてもの園(東京都江戸東京博物館分館) 平成12年3月24日 M3666/TO-002/ 084
会期:2007年9月22日~11月25日神田上水と並び、江戸の二大水道として利用されてきた玉川上水が完成したのは、今から350年以上前の承応3年(1654)のことでした。江戸時代、明治、大正を経て昭和に至るまで、江戸・東京の市民の飲料水として利用されてきました。また、そこから分かれた分水も多摩地域の人々の飲料水や灌漑用水として利用されました。本展覧会では、江戸時代から現代まで、この玉川上水と分水が果たした役割をうかがえる資料を約60点展示しました。玉川上水の流れを示した大きな立体地形図も展示され、熱心に見入るお客さまの姿が多く見られました。https://www.tatemonoen.jp/special/past_2007.php#event03(最終アクセス日:2020年3月31日)目録等:『玉川上水と分水 特別展』 東京都,江戸東京たてもの園/編 [眞下/執筆] 東京都,江戸東京 ...
会期:2002年3月19日~5月6日たてもの園がある小金井市は、古くから武蔵野と呼ばれ、江戸時代前期までは水の便が悪く、人が住むには適さない地域でした。ここに開発の手が入ったのは享保年間のことで、開発の中心人物は町奉行で有名な大岡越前守忠相でした。この展覧会では、武蔵野一帯の新田開発の様子について、幕府の関わりや実際の開発の様子、また「水」について玉川上水との関係などを考察しました。https://www.tatemonoen.jp/special/past_2001.php#event02(最終アクセス日:2020年3月31日)目録等:『大岡越前守と武蔵野新田の開発 江戸東京たてもの園 特別展』 東京都歴史文化財団,江戸東京たてもの園/編 [真下祥幸/編集] 東京都歴史文化財団,江戸東京たてもの園 平成14年3月19日 M3666/TO-002/ 086紹介文献:『江戸東京たてもの園だより』 19 江戸東京 ...
会期:2009年3月20日~5月31日https://www.tatemonoen.jp/special/past_2008.php#event04(最終アクセス日:2020年3月31日)目録等:『桜を愛でる 花見の今昔」 東京都,江戸東京たてもの園/編 [真下祥幸/執筆] 東京都,江戸東京たてもの園 平成21年3月31日 M3666/TO-002/ 108紹介文献:『江戸東京たてもの園だより』 33 江戸東京たてもの園,東京都歴史文化財団/編 東京都歴史文化財団,江戸東京たてもの園 平成21年3月31日 M3666/TO-002/ 018-33
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