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【『名人八段指将棋全集』について】 『名人八段指将棋全集』の第三巻:土居市太郎集と第十一巻:伊藤宗印集が見たい。(同全集の予約募集チラシを持参された。)(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:39)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:39)
NDLサーチ、Ciniiの大学図書館蔵書検索でヒットしなかった。Webcat Plus> 一致検索を行った結果、官報. 1931年08月18日 P.471に彙報 / - / - / 豫約出版屆出事項中變更名人八段指將棋全集(警視廳) /として、出版事項の変更があったことが掲載されていると判明した。タイトル「将棋大全集」、発行所「誠文堂」となっている。NDLサーチで「将棋大全集 土居」で検索した結果、「将棋大全集 第4」土居, 市太郎, 1887-1973 誠文堂 1930を国立国会図書館デジタルコレクション(国立国会図書館/図書館送信参加館内公開)で参照できることが判明した。【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1192847/1/1 (2022年8月26日最終閲覧)同様に「将棋大全集 伊藤」で検索するが、ヒットしなかった。こちらの出版は中止された可能性が高いと思われる。
【明治天皇の北陸巡幸について】 明治10年(1877)に明治天皇が北陸巡幸した際に、石川県も訪れているが、そのことに関する資料を見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:39)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:39)
以下の資料に記載がある。『明治天皇北陸巡幸誌』(118404944)『鳳輦の光 御旛の湿』(118581493)『明治行幸史料』(118405155)「御通輦日記」、「行幸雑記」、「中屋記録」の活字化されたものが収録されている。『金沢市史 資料編12 近代2』(119788883)p.244『河北潟総合研究 第15巻』(109159188)「明治天皇北陸巡幸とその時代背景」『太政官期 地方巡幸史料集成 第10巻』(112024269)p.500-544「石川県下越中国境川ヨリ加賀国金沢迄ノ実況」『太政官期 地方巡幸史料集成 第11巻』(112024278)p.12-39「石川県下加州金沢ヨリ越前木ノ芽峠迄ノ実況」『明治天皇行幸史録』(129089429)p.36(行幸全史)、p.431-433(陸路廼記)、p.480-488(巡幸日誌)、p.645-658(千草の花)『金沢市紀要』(109211887)p.152-154『北陸東海御巡幸誌』(118406359)「沿道地方官心得」「供奉勅奏官人名」『石川県史 第4編』( ...
輪島遊廓の沿革については、『石川県鳳至郡誌』(11824580)の「輪島町」のところに「遊廓」があり、沿革や当時の現況が記されている。位置については、以下の資料の地図や鳥瞰図に「遊廓」や「遊郭」の記載がある。『能登の輪島 輪島案内記』(119545491)『観光の輪島』(118603296)『わじま』(118603142)『図説輪島の歴史』(119798398)『輪島町史』や『輪島市史』に関連する記述は確認できなかった。
【洋書調所の本が加賀藩に入ってきた経緯について】 幕府の洋書調所の洋書を加賀藩がほとんど入手している経緯について、誰が仲介に入ったのか等詳しく書かれているものはないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:39)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:39)
・加賀藩と洋書で検索したところ、加賀藩所蔵の洋書については、金沢大学名誉教授板垣英治氏が研究していることがわかったため、氏の著作を中心に調査し、次の資料を見つけた。・『石川郷土史学会々誌 第3号』(11916421)p.24~30「加賀藩の幕末洋書移入覚書」p.30 洋書調所で外国に注文した本が届いた時には、幕府が瓦解し支払できなくなっていたこと。外国方の田辺氏が加賀藩の三宅良斉(艮斎)に相談し四百両ほどですべて購入したことが書かれている。福沢諭吉も欲しがったが、加賀藩の申し出が先だったため、すべて加賀藩のものとなったことが記載されている。出典として『三宅秀、余が英語学修の順序と加州藩に禄仕始末の概略』の抄録と記載があり。このタイトルで検索するもヒットなし。・三宅秀で検索『旧金沢藩英学校の沿 ...
【中居の煉瓦工場について】 穴水町の中居に、石動に本工場がある煉瓦工場の分工場を建てる計画があったと明治29年の雑誌記事で見たが、実際に工場を構えていたか、関連する地図や資料があれば見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:39)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:39)
以下の中居村や穴水町関連の資料には、同地域の近代は左官業が盛んで、出稼ぎが多かったとあるが、煉瓦製造に関する記述なし。また、分工場に関する記述なし。『中居鋳物史』(119564138)近世の鋳物関係の資料であるが、近代以降のことも触れられている。煉瓦製造に関する記述なし。『図録能登中居の鋳物』(119613223)『石川県鳳至郡誌』(11824580)『鳳至読本』(11916469)『図説穴水町の歴史』(119878480)『穴水町の集落誌』(119419360)『穴水町十年誌』(11826382)『あなみず百物語』各巻『明治からの歩み 1』(109068913)『都道府県別資産家地主総覧 富山編 石川編 福井編』(111825720)、『明治大正期商工資産信用録』その他商工名簿を見ても、中居の煉瓦工場の記載はなし。『工場通覧』(国会デジタル)石動にある本社工場は載っているが、分工場の記載は ...
【百万石音頭と金沢小唄について】 古関裕而が作曲した百万石音頭と金沢小唄の作られた経緯について書かれた資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:39)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:39)
両曲がいずれも古関裕而の作曲であることは、福島市古関裕而記念館ホームページの作曲一覧で確認可能。【URL】https://www.kosekiyuji-kinenkan.jp/person/composition/song-k.html (小唄)(2022年3月15日最終閲覧)【URL】https://www.kosekiyuji-kinenkan.jp/person/composition/song-h.html (音頭)(2022年3月15日最終閲覧)百万石音頭については以下の資料に記載あり。『北國新聞』平成18年6月7日34面に関連記事あり。コロムビアが全国の盆踊り用レコードとして46枚一挙に発売したうちの一曲との記載あり。また当時、祭りを盛り上げるための曲が必要とされていたとの記述もあり。『北國文華 2020年夏 第84号』(170673518)p90「ふるさと唄紀行 14 「百万石音頭」(作曲・古関裕而)」上記と同様の記載あり。以下の資料には歌詞と楽譜の記載はあるが、成立経緯の記載なし。『石川県の民謡 ...
【河北郡津幡町と金沢市の「寺?(草冠に刺)」という名字について】 河北郡津幡町と金沢市の寺?(てらさし?)という苗字につき、それぞれ指定の年度(無ければその前後)の電話帳(個人名)での掲載位置を教えてほしい。五十音のどこにあり、前後の苗字が何かという形で教えてほしい。寺?(河北郡津幡町)……(てらさし?)の所の()と()の間(1982-2022)年の電話帳寺?(金沢市)……(てらさし?)の所の()と()の間(1982-2022)年の電話帳(例)山中……(や)の所の(大和)と(山西)の間(200
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:38)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:38)
金沢市図書館では、電話帳は最新版のみ所蔵している。ハローページ 石川県かなざわ版2021(2021.3~2022.8)を参照した。「寺?」の読みについて、「ジ(ヂ)○○、」「てら○○」の可能性を考慮し、(し(じ))、(ち(ぢ))、(て)の項目を確認した。寺?(河北郡津幡町)……(て)の所の(寺口)と(寺澤)の間(2021年)寺?(金沢市)……該当なし
【豪姫の没した場所について】 前田利家の四女である豪姫の没した場所が書かれている資料を探している。高岡町で没したという話と、金沢城の鶴の丸で没したという話を聞いた。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:38)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:38)
没した場所の書かれた資料は確認できなかった。『宇喜多秀家の周辺』(109225176)「樹正院の後半生」p.26「恐らくは金沢で亡くなった」とあり。墓所は野田山にあるが、葬儀の執行場所についても諸説ある。以下の豪姫に関する資料には記載なし。『加能郷土辞彙』(改訂増補)(119865516)『おふり様と豪姫』(109147356)『市史かなざわ 第10号』(119856651)p.11「豪姫伝承の謎」『カラー加賀能登路の魅力』(11800426)『前田家三代の女性たち』(118435922)『石川郷土史学会々誌 第35号』(119781523)中屋隆秀「資料『樹正院殿(於語・豪)の周辺について』その一」『石川郷土史学会々誌 第43号』(109125448)「宇喜多秀家の妻 豪姫(樹正院)の墓所を守ってきた利家三男 前田修理家」『金沢城跡 鶴ノ丸第1次・新丸第1次 尾坂門・二ノ丸園路・数寄屋屋敷 〔6〕』 ...
【かわそ祭について】 かわそ祭(川又は河に濯という字)という祭が、瀬織津姫をまつっている神社で行われているという事例があるが、金沢の神社でも以前は行われていたか、いつなくなったのかが記述されている資料はあるか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:38)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:38)
かわそ祭について記述された資料は確認できなかった。『加能民俗』(11822476)p.125第六號に、〇河童と木瓜 の項目があり、「金澤では夏の水泳ぎの初まる頃になると子供たちが木瓜に「かわそ大明神」とかいて川にながしたものである。」とあるが、これがかわそ祭と関連があるかは不明である。『円空と瀬織津姫 上』(112972775)p.388 瀬織津姫神全国祭祀社リスト 石川県に、金沢市では大野湊神社と瀬織津姫社の2社が記載されていたため、その2社の資料を探索するも、記述は発見できなかった。『風俗古今東西』(11011924)p193 民間信仰覚書 川裙祭 の記述があるが、北陸は越前武生の河濯権現と、白山神社の例のみであった。
【瀬織津姫神社があったとされる場所「みやだ」について】 金沢市別所町にある瀬織津姫神社の石碑に「当社は古くは犀川近くの通称「みやだ」にご鎮座されていたと伝えられ」とあるが、「みやだ」が現在のどこにあたるか知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:38)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:38)
『角川日本地名大辞典 17 石川県』(118552562)のp.1275~の「小字一覧」に「別所」の項目があり、「宮田」という小字が記載されていたが、場所は不明である。『石川県史資料 近代篇2 〔皇国地誌〕』(119562939)p84別所村の字地の項目に「宮田」がみえる。『石川県石川郡誌』(11824573)p.629には、「別所に瀬織津姫神社あり」との記載があるが、小字に関する記載はない。『加賀志徴 下』(11824805)に記載なし。なお、小字の場所が記された図面等は確認できなかった。『内川の郷土史』(119563201)p.792の挿図に「別所全図」があるが、小字がイロハに変わった後であった。
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