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【郷土玩具の歴史について】 金沢の郷土玩具である加賀八幡起上りについて書かれた資料はないか。歴史や始まりに関することが書かれた資料をみたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:32)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:32)
加賀八幡起上りの始まりについて、諸書概ね以下の内容が書かれている。・安江八幡宮の祭神応神天皇の産着姿を模したものである。社前に住む翁が作ったと言われる。・文献上の初見は寛政年間で、正月の売り初めの景物として使われた(典拠となる資料名は明記されていない)。・嫁入り道具、災難厄病の見舞い、結婚・出産の贈答品、年始の贈答品、開店祝い等に用いられた。以下の資料に記載がある。『金沢市史 資料編14 民俗』(119748725)p.549~p.550「八幡起上り」『金沢の玩具』(118414717)p.12~17『日本人形玩具辞典』(11825255)p.81~82「金沢の諸玩具」『金沢市文化財紀要 74 金沢の諸職』(11921426)p.58『郷土玩具辞典』(111867739)p.85「八幡起き上がり」『日本の郷土玩具』(113057694)解説p.39『日本の郷土玩具 東日本編』(129410494)p.181「八幡起上 ...
『サライ2020年1月号通巻657号』特集明智光秀p77 「明智光秀波乱の生涯関連地図」『考証明智光秀』(113916396)p12~13 「明智光秀関連地図」 等で確認するも、加賀国に来た記録はない。明智光秀の伝記等から、加賀国に関連する事項は次のとおり。・『明智光秀の生涯』(113739756)p86~87 「越前に出陣」 光秀は、信長軍の越前一向一揆との戦いに参戦。府中で加賀・越前両国の一揆勢二千余を斬った。8月23日、信長は一乗谷に陣を設定。光秀は柴田勝家らと加賀国まで進軍。 9月、信長は前田利家ほか二名に越前国二郡を与えている。 利家との直接的な関わりを示す記述は見つけられなかった。・『明智光秀』(113393374)『考証明智光秀』(前出)等複数の伝記を調査したが記載なし。・『北国文華2020年冬通巻82号』(170662532)p3~70 「 ...
『えぬのくに 第61号』(109230176)p.65~「山代陸軍病院について」に沿革が記されている。『石川県江沼郡誌』(11824572)p.440~441「金沢衛戍病院山代分院」の項目がある。『やましろ街事典』(109107898)p.30「金沢衛戍病院山代分院」の項目がある。『加賀市の歴史』(11900972)p.228~230病院と旅館の訴訟問題に関する記述がある。『えぬのくに 第18号』(119550052)p.32~「山代陸軍病院設置とそれにからむ温泉紛争」でも同問題が取り上げられている。『魅せられて山代』(119751130)p.62~73山代陸軍病院の絵葉書が収録されている。内容の関連がありそうな資料として『山代陸軍病院史』があるが、当館には所蔵なし。以下の資料には記載なし。『加賀市史 通史 下巻』(11903404)『北陸の産業と温泉』(118273305)
【浅野川に架かる橋について】 (1)浅野川に架かる橋についてまとめられた資料を見たい。(2)常盤橋について、現在の橋の前にあった資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:31)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:31)
(1)について浅野川に架かる橋については、以下の資料の記述が網羅的である。『稿本金沢市史 市街編第1』(119562840)p.172~177にかけて、浅野川に架かる橋の沿革がまとめられている。『金沢市史 現代編 続編』(119320553)p.546~p.552にかけて記述あり。大正5年と昭和62年の橋の対照表が載せられている。『金沢市史 資料編17 建築・建設』(119623121)p.399~403「浅野川の橋」に浅野川に架かる橋の沿革がまとめられている。『石川の橋』(119378221)p.93「2級河川・浅野川に架かる橋梁一覧表」がある。橋長・幅員・管理者・構造形式・架設年次が一覧化されている。『浅野川年代記』(119335190)浅野川やその周辺の歴史に関する内容が年代順でまとめられている。橋の架設に関する記述もある。『卯辰山と浅野川』(119420862)浅野川大橋や小橋、天神橋等 ...
【金沢における三島由紀夫研究について】 三島由紀夫の祖父は、金沢出身者である。金沢で、三島由紀夫はどのような評価を受けているのか。研究者がいるなら知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:31)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:31)
郷土資料を中心に調査し、次の資料を紹介した。・寺田達也 金沢学院大学准教授 「金沢を描いた作家たち」(118536193)p187~202 「ふるさと石川の文学」(118390221)p219~221 「北國文華 2007夏 第32号」(170380516)p116~124 三島由紀夫紫陽花の母と美しい星・小林良子 七尾市社会教育指導員(刊行当時) 「北陸・文学への旅」(11802847)p208~215 ・水洞幸夫 金沢学院大学教授 「文学への旅 金沢・名作の舞台」(119711190)p80~81・石田耕一郎 朝日新聞社(刊行当時) 「ほくりく文学散歩」(118496660)p120~123・藤本徳明 金沢美術工芸大学助教授(刊行当時) 「北陸の風土と文学」(118433570)p94~100・木崎さと子(富山在住) 「内灘砂丘と文学」(119744520)p26~27 「北國文華 2000冬 復刊4号」(170173664)p242~254 内灘幻想以上、ほとんどが著作「美しい星」について言及したもの。このほ ...
【民話に出てくる飴屋について】 金沢で伝わる「飴買い幽霊」の民話のうち、金石の道入寺と山の上の光覚寺を舞台にした話に出てくる飴屋について書かれた資料を探している。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:31)
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金石の道入寺の話に出てくる飴屋は、『石川県石川郡誌』(11824573)によると、寺町の油屋となっている。『金石町誌』(11801960)「木下文書」p.75に、文政13年(1830)に地子町組合頭になった人物として、寺町の「油屋市兵衛」という名前が確認されるが、業種等は不明である。近代以降の油屋に関する記述は確認できなかった。『大日本職業別明細図之内石川県』(118578602)の金石町の地図に「油屋」の記載なし。山の上の光覚寺の話に出てくる飴屋は、光覚寺門前の飴屋坂にあったと言われている。以下の資料に関連する記述がある。『香我の譜』(11915531)p.220『金沢・町物語』(11803160)p.284~285「飴屋跡」と書かれた看板の写真が載っている。場所は示されていない。『もりやま』(109214735)p.45『金沢商工人名録 昭和3年版』(119503114)で、寺のあった「山 ...
【金沢におけるビリヤードの始まりについて】 明治時代に金沢にビリヤードが広まったことについて書かれた資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:31)
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明治時代の金沢のビリヤードの普及状況について書かれている資料は確認できなかった。『金沢の百年 大正・昭和編』(119871424)によると、大正2年に金沢で撞球(ビリヤード)が流行したとの記述がある。上記資料の明治編には、撞球に関する記述は確認されなかった。『金沢市史 現代篇 下』(119562680)p.1100に、金沢で撞球がはやり出したのが大正元年で、当時すぐれた突き手がいないので東京から板倉師範を招いたとの記述がある。『金沢市史 資料編14 民俗』(119748725)p.538に「撞球」の項目あり。大正三年頃に金沢市内に撞球場が十軒以上でき、大流行したとの記述があるが、明治期に関する記載はない。参考になりそうな論文として、『民具研究』158号の、大門哲「射的・撞球・パチンコ : 地方都市金沢における「射幸/社交」の文化史」が ...
【前田利常の娘の読み方について】 前田利常の娘で八条宮智忠(としただ)親王に嫁した富姫(ふうひめ)について、名前を「富子」と表記している資料があるが、その読み方の書かれている資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:31)
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富姫の読みが「ふうひめ」と書かれている資料は確認できるが、「富子」に読みが振られている資料は確認できなかった。『利家・利長・利常』p.94「富姫(富子)という姫がいたが」に「ふうひめ」とルビが振られている。富子には振られていない。『加賀前田家の母と姫』(118515317)p.34~「富姫(ふうひめ)と桂離宮」という章がある。同書には、富姫は八条宮家に嫁したときに昌子と改名し、没後に遺体が金沢に戻されることになり、名前も昌子から前田家時代の富子に戻されたとある。『日本の宮家と女性宮家』(113271596)p.120~121に「桂宮家略系図」があり、智忠親王の妃に「前田富子」とあるが、読みは書かれていない(八条宮家は現在の桂宮家に連なる)。『桂離宮御殿整備記録 本文編』p.304~307宮内庁書陵部所蔵「桂宮系譜」の影写本 ...
【川岸要吉について】 彫刻家の川岸要吉(1931-2003)の経歴が書かれた資料を見たい。できれば写真も見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:30)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:30)
石川県立美術館ホームページに略歴がまとめられている。写真の記載はなし。http://www.ishibi.pref.ishikawa.jp/collection/index.php?app=meibo&mode=detail&data_id=9757 (2021年10月29日最終閲覧)『美術年鑑』、『美術家名鑑』等、美術系の名鑑資料にも名前と略歴がまとめられている。写真はない。『人物レファレンス事典 美術篇』(113152432)には記載なし。以下の資料に記載なし。『金沢まちなか彫刻見て歩きマップ』(109180163)作品は載っているが、経歴等の記載なし。『金沢彫刻展 第4回』(11917064)記載なし。『北國新聞 縮刷版 平成8年11月号』(119888584)p.785、11/20朝刊の17面、『作家の仕事場』に川岸要吉のインタビューが掲載されていた。略歴と写真あり。『北國新聞 縮刷版 平成12年10月号』(118439420)p.1116、10/25朝刊の28面に、12年度文化功労賞の記事。写真あり。『 ...
【伏見寺の文化財について】 寺町の伏見寺にある 国指定重要文化財 銅造阿弥陀如来坐像 金沢市指定文化財 木造不動明王坐像の文化財指定理由を知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:30)
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以下の資料を紹介した。『石川県の文化財』(11824508)p.151に掲載あり。 「平安時代前期(貞観期)の制作になるかと推定され、金銅仏の数少ない平安時代にあって貴重な作例である。」『北國新聞縮刷版 平成25年11月号』(118558557)p.895 平成25年11月21日朝刊33面 「平安時代前期から後期初頭の製作技法を残しており、金沢の古代の仏像文化を考察する上で重要と判断された。」
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