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【第九師団の演習場を視察した宮家の人について】 城端にあった第九師団の演習場である立野原演習場を、昭和一桁年代に宮家の者が視察に訪れているはずだが、そのことについて書かれた資料を見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:34)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:34)
以下の当館所蔵の第九師団、近代軍隊関係の資料を確認したが、該当する視察に関する記載は見当たらなかった。巻末の年表にも当該視察に関する記載がなかった。『第九師団戦史』(119565331)『〔歩兵第七〕連隊歴史』(119565153)『金城聯隊史』(119566052)『城端町の歴史と文化』(119881995)p.562に以下の記述があるが、質問の視察かどうかはわからなかった。「大正六年(一九一七)五月、閑院宮載宮親王殿下が第九師団の検閲使として御来町の時、(後略)」「昭和三年(一九二八)二月、東久邇宮稔彦殿下が立野原の第三回北陸スキー大会に御来町の時に(後略)」『城端町史』(129190283) 立野原演習場に関する記述はあるが、当該視察については記されていない。『城端町の歴史と文化 資料編』(119882007)、『富山県史 通史編6 近代 下』(11916121)及び『富山県 ...
【大屋愷?(合にぼくづくり)について】 金沢神社に石碑のある大屋愷?(おおやよしあつ)について書かれている資料を探している。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:34)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:34)
人物については、以下の資料に記載あり。石碑について触れられているものもある。『風雪の碑』(118412418)p.62~67『かなざわ偉人物語 [1]』(119599008)p.23~44『新加能画人集成』(119330030)p.131『郷史談叢』(11902881)第四輯61『金沢墓誌』(118582759)上編4『金沢市教育史稿』(118290979)p.459~460『加能郷土辞彙(改訂増補)』(119865516)p.145以下には、石碑の全文が掲載されている。『石碑でめぐる金沢歴史散歩』(118553659)p.72に概要、p.175~176に碑の全文あり。『石川県産業功労碑集』(11916380)p.111碑の全文のみ。
兼六園来訪者の県別内訳の書かれた資料は確認できなかった。『金沢市観光調査結果報告書 令和2年』(109279079) p.10に「発地」の項目があり、発地の地方別割合と上位都道府県が載っているが、調査場所が金沢中央案内所、ひがし茶屋街、金沢城公園となっている。ただし、古いものでは兼六園が調査場所に含まれているものもある。最新5年分は金沢市ホームページ統計関係リンク集で閲覧可能。【URL】https://www4.city.kanazawa.lg.jp/11018/toukeidatasyu/toukeilink.html#kanko (2022年3月12日最終閲覧)『統計からみた石川県の観光 平成29年』(119930409)p.7「地域別・発地別観光入り込み客数(推計)」に県内観光客のおおまかな発地が表になっているが、兼六園に限られたものではない。最新のものはホームページ「いしかわ統計指標ランド」で閲覧できる。【URL ...
【第2回国民体育大会の参加者名簿について】 昭和22年に石川県で開かれた第2回国民体育大会の選手全員の載っている名簿はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:33)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:33)
第2回国民体育大会は、10/30~11/3に石川県で秋季大会が行われた。参加した選手は12,000名を超える。『第2回国民体育大会報告書』(119557750) p.70に秋季大会の総選手数が、p.70~「競技記録入賞者一覧」の記載一覧があるが、選手の一覧はなし。『国民体育大会の歩み 増補改訂版』(11802140)p.245~各大会の競技ごとの上位入賞者の一覧があるが、選手全員の名簿はなし。選手名簿は当館に所蔵なし。『第二回国民体育大会記念写真帖』(11908001) 記載なし。『国民体育大会実施要綱』(109013970)記載なし。『国民体育大会秋季大会 第2回』(109004219)トーナメント表の収録されている卓球のみ選手を把握可能。当時の新聞にも選手一覧なし。
【高山右近と金沢の関係性について】 高山右近の金沢での様子がわかる資料はないか。特に高岡城築城のことについて知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:33)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:33)
高山右近の伝記本の中から、金沢関連の記述が多く見受けられた次の資料を紹介した。・『高山右近』中西裕樹/編 宮帯出版社/刊(113472155)・『高山右近』海老沢有道/著 吉川弘文館/刊(118563056)・『武将高山右近の信仰と茶の湯』高橋敏夫/著 いのちのことば社/刊(112939467)・『高山右近の足跡を歩く』嶋﨑賢児/著 三学出版/刊(113340129)その他論文・「初期金沢城の諸問題-尾山・加賀征伐・高山右近の言説をめぐって-」大西泰正/著 『金沢城研究 第19号』(119946454)石川県金沢城調査研究所/刊・「「ウコンドノ」のオペラに信仰を貫いた「モダン知識人」」加賀乙彦/著 p20~29・「教会建立を条件に金沢へ-滞在26年、「禄は軽くとも」-」木越邦子/著 p42~45 ともに『北國文華 2017年冬 第70号』(170596778)北國新聞社/刊伝記でも ...
【安政時代二塚村中野の場所について】 先祖が昔住んでいた場所を知りたい。住所は、石川郡二塚村中野イ235と聞いている。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:33)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:33)
・「二塚郷土史」(11900263) p131 明治期に二塚に中野村があった。 p151 金沢市編入時に中野は稚日野町に名称を変更した。 p606 稚日野町字地名地図 に旧字の記載あり。イの部が現在のどこになるか住宅明細図と対照した。番地の記載はなし。・「金沢市住宅明細図 南部版」(118626521)p33~34 で該当エリアを特定した。
『昭和モダンの金沢』(118563833)p37「昭和モダンと北陸の宝塚「粟ヶ崎遊園」」に浅野川電鉄のライバルである金石電鉄が開設したという記述、また「浴場、演劇場、食堂を備えたほか水族館や学生相撲大会が大勢の観客を集めた」との記述あり。p43「47-金石の涛々園・昭和12年(1937)」に写真と概要の記載あり。『追憶 昔の金石とその周辺』(109069803)p2 昭和2年の金石を描いた地図に涛々園の記載あり。p88「涛々園下海辺の地引網」p118「涛々園案内圖」p119「涛々園正門」涛々園の入園料、設備概要あり。p120「涛々園平面圖」p121「金石涛々園沖合の蜃気樓」涛々園で発生する蜃気楼に関する記述あり。p60-65「学生相撲大会」「涛々園下海浜」で行われていた相撲大会に関する記述あり。『砂丘に咲いた夢と浪漫』(119949160)p24「郊外レジャーの流行 ...
以下は博覧会のあった当時の資料である。『全日本宗教平和博覧会誌』(119541732)『宗教平和博会場案内』(118612910)上記は『戦後博覧会資料集成 3』(119927261)に収録されている。その他、以下の資料に記載がある。『昭和モダンの金沢』(118563833)p.73に概要が記されている。『金沢市史 現代篇 下』(119562680)p.608~609「戦後の平和運動」『博覧の世紀』(510729274)「宗教と博覧の近代史」の中で詳しく触れられている。
『日本美術絵画全集 第16巻』(11038233)が守景/一蝶の巻であり、p.123に、「落款/印章」のページがあり、守景のものが載っている。『日本書画落款大事典 上巻』(118482270)、p.233に「久隅守景」の項あり。
石川県金沢城調査研究所より報告書が出されている。『金沢城跡 玉泉院丸庭園Ⅰ』(109214299)『金沢城跡 玉泉院丸南石垣等』(109244636)『金沢城跡 玉泉院丸庭園Ⅱ』(119923629)上記は金沢城公園整備に伴う埋蔵文化財調査の報告書である。『金沢城庭園調査報告書』(109256682)金沢城の庭園全般に関する調査報告書である。玉泉院丸庭園に関する記述もある。その他、概要をまとめた資料も発行されている。『金沢城跡玉泉院丸遺構確認調査調査概要』(1~4まであり)『金沢城玉泉院丸の整備』(109208578)『玉泉院丸庭園』(109208540)以下の資料にも概要が簡潔に書かれている。『平成金沢城まるごとガイド』(118574265)
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