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【加賀藩領内での香りを用いた治療について】 加賀藩領内で香り(香油)を用いた治療が行われていたかを知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:36)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:36)
近世の植物性の薬物について書かれた資料を紹介したところ、質問者の調べたいことと合致したので、関連する資料を提供した。『加賀藩の秘薬』(118413219)p.77~「植物性薬物」の項目がある。薫香料として用いられたものも記載されている。『薬草と加賀藩』(109083061)薬草に関する記述が多く、史料上に描かれている薬草の図版も多く収録されている。その中に芳香性のものもある。以下の資料には記載なし。『金沢市史 資料編15 学芸』(119751874)『富山県史 通史編4 近世 下』(11914476)「医学と本草学」『郷土の薬草』(519060965)、『とやまの薬草』(11088701)歴史的なことに関する記述なし。『加賀の西洋医学の系譜』(109089243)『富山の薬売り』(119434812)『近世金沢の医療と医家』(118577033)『反魂丹の文化史』(11023438)『富山県薬業史』各巻には関 ...
【辰巳用水の石管および金沢における笏谷石の利用実態について】 辰巳用水の石管に笏谷石が用いられているということを富山市埋蔵文化財センターの発行物で見たが、他に石管に笏谷石が用いられたことについて書かれた資料はないか。また、金沢における笏谷石の利用実態についてまとめられている資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:36)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:36)
金沢市内での笏谷石の利用実態を網羅的に記載している資料は確認できないが、『中心市街地石造物マップ』など、市内の石造物を調査して作成されたマップや、墓所の調査報告書などには、笏谷石を使っているものについて記載がある。・『中心市街地石造物マップ』(109212570)金沢市金沢文化財ボランティアうめばちの会 2015.3 →中心市街地(金沢城・兼六園及び寺町・卯辰山麓地区を除く)にある石造物のなかから藩政期に由来する76点を紹介。そのうち20点余りが石材に笏谷石と記載。・『寺町台石造物マップ』(119930104)金沢市金沢文化財ボランティアうめばちの会 2017.10→寺町台にある石造物のなかから藩政期に由来する96点を紹介。そのうち40点弱が石材に笏谷石と記載。・『金沢湊町石造物マップ(金石・大野・粟崎)』(119929758)金沢市金沢 ...
【金沢における養蚕の従業員数と事業所数について】 明治期から現在まで、金沢における養蚕業従事者数と事業所数を知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:35)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:35)
・「石川県統計書」に養蚕の項目はあるが販売農家、農業経営農家数はゼロ。・「金沢市史 資料編11」(119647301)p799 昭和13年(1938)金沢工場要覧に絹撚糸業名簿あり。・「金沢市統計要覧 明治43年」(109174003)に 養蚕戸数50 とあり。 これ以外も戦前の県内市町村要覧には養蚕の項目あり。・「金沢市統計書 大正3年」p212養蚕の戸数、繭の数量、茶畑及び桑畑の栽培戸数、面積の記載あり。明治43年から大正3年までがわかる。現在の統計書には記載なし。・「特定商工業者名簿」(昭和29~49年度所蔵)には、紡績、織物業の記載あり。・「金沢商工名鑑」(1976~2003 3年ごとの発行)は織物業の記載のみ。・「金沢市の事業所・企業」「稿本金沢市史」記載なし。
【金沢における精進料理屋の売り上げと従業員数について】 明治期から現在まで、金沢における精進料理屋の売り上げと従業員数を知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:35)
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・「金沢市統計書」「石川の統計」「石川県統計書」には該当項目なし。・「金沢市の事業所企業」第6表に日本料理店の事業所数、従業員数記載あり。金沢では、精進料理専門店はあまりなく仕出し屋等が精進料理を提供していることから、所蔵分の数字を提供。H11.13.16,18年度・「事業所統計調査報告 都道府県編 石川県」第5表に料亭の事業所数従業員数記載あり。S44,47,53,56,61,H3あり。・「金沢市史 資料編11」(119647301)p776~7 明治28年県税中料理屋税分賦等級別交名簿にて、料理屋はわかる。・「特定商工業者名簿」(昭和29~49年度所蔵)の料亭、「金沢商工名鑑」(1976~2003 3年ごとの発行)に料理・飲食欄にて店舗数、従業員数を数えることは可能。・「石川県下商工便覧」(118542593)1888刊の復刻に明治期の大店記載あり。従業員数は記載なし。 ...
【金沢における九谷焼の製造業者数と従事者数について】 明治期から現在まで、金沢における九谷焼の製造業者数と従事者数を知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:35)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:35)
・「金沢市統計書 明治42年」(11914425)記載なし。・「金沢市統計書 大正3年」(119504686)p176九谷焼等の戸数、職工数、窯数あり。 「令和2年度」は窯業・土石製品製造業の項目で事業所数、従業者数、製造品出荷額等、生産額の記載あり。全年度の調査はしなかった。・「金沢市の事業所・企業」(H11,13,16,18)陶磁器・同関連製品製造業で記載あり。九谷焼単独ではなし。・「石川県の工業」(H14~26)市町別は窯業・土石一括。産業細分類別には、陶磁器絵付業、その他の陶磁器・同関連製品製造業の項目あり。・「金沢市統計要覧 明治43年」(109174003)陶磁器の項目はあるが数量不明、価格のみ記載あり。・「特定商工業者名簿」(昭和29~49年度所蔵)には、陶磁器業の記載あり。・「金沢商工名鑑」(1976~2003 3年ごとの発行)は陶磁器業の記載あり。九 ...
【金沢における和菓子の売り上げと従業員数について】 明治期から現在まで、金沢における和菓子の売り上げと和菓子店の従業員数を知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:35)
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・「金沢市統計書」「石川の統計」を調べたが該当項目なし・「金沢市の事業所企業」(H11,13,16,18年あり)第6表にパン・菓子製造業の事業所数、従業員数記載あり。和菓子単独ではなし。・「石川県の工業」(H14~26)各統計に食料品の項目で市町別生産額、事業所数、従業員数の記載はあるが、和菓子単独ではなし。・「国勢調査結果報告」調査項目はパン・菓子一括。和菓子単独ではなし。・全日本菓子協会HP(http://anka-kashi.com/statistics.html)「菓子関係データ」(2022年3月15日最終閲覧) H17~R2の統計には、全国の生産金額及び小売金額の推定記載。県別内訳なし。・「事業所統計調査報告 都道府県編 石川県」第1表に187パン・菓子製造業の事業所数従業員数記載あり。和菓子単独ではなし。・「特定商工業者名簿」(昭和29~49年度所蔵)「金沢商工名 ...
金沢の北の廓は明治18年に栄町・松ヶ枝町一帯に成立し、その後明治32年に北石坂新町・石坂川岸町付近に集団移転した。その後、昭和40年代に北の廓は途絶した。北の廓については、以下の資料に記載がある。『金沢市西南部の歴史』(119467359)p.242~268にかけて、西廓と北廓に関する記述がある。『金沢市史 資料編14 民俗』(119748725)p.554~598にかけて金沢の廓について解説されている。北の廓についての記載もある。『加能民俗研究 第51号』(119930866)p.81~96「金沢の北廓(前)」『加能民俗研究 第52号』(119949554)p.41~57「金沢の北廓(後編)」『シリーズ遊廓社会 2 近世から近代へ』(113323155)p.155~177「「軍都」金沢と遊廓社会」『松ヶ枝の広場』(11917189)p.103~105『わが町・金沢安江町』(11920042)p.57~58
【明治~戦前の金沢の商家について】 明治時代から戦前の金沢の商家について調べている。何町にどんな店があったか分かる地図が掲載されている本を紹介してほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:34)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:34)
主要な商家の場所が記された資料として『大日本職業別明細図金沢市』(119945232)がある。地図ではないが、下記資料には主要な商家とその所在地が掲載されている。『石川県下商工便覧』(118400014)『金沢商工人名録 昭和3年版』(119503114)以下の資料には、外観写真が載っている。『20世紀の照像 石川写真百年・追想の図譜』(118388161)その他、老舗の商家に関して以下の資料がある。『老舗百年』(11909605)『金沢の老舗』(118413003)『金沢町人の世界 金沢パフォーマンスの原像』(11826084)
【持明院と妙蓮について】 (1)神宮寺の持明院にある天然記念物の蓮は国指定か県指定どちらか知りたい。 (2)持明院の山号はなにかを知りたい。 (3)蓮の種類の名前は妙蓮かを知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:34)
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(1)について・『石川県大百科辞典』(118310632)p.491-492にかけて持明院の蓮が元は国の天然記念物だったが、移転に伴い解除となり、その後1988年からは県指定天然記念物となったとの記載あり。・県のHP石川県の史跡・名所・天然記念物(県指定)に持明院の妙蓮生育地の記載あり。【URL】https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kyoiku/bunkazai/siseki/ken3-10.html(2022年3月12日最終閲覧)(2)について・『金沢古蹟志 第10編』巻27 p.57に江林山持明院との記載あり。・『加賀妙蓮の系譜』(119565912)p.48~「白髭神社と持明院」白髭神社及び持明院に関する地誌書の内容がまとめられている。「江林山」という山号の載った資料の記載はあるが、「白髭山」に関する記載はない。・『書府太郎 上巻』(118458284)p.650「持明院」の項目に「白髭山と号し」とある。・持明院のHPには白髭山持 ...
【戦前にあった踏切の名称について】 昭和初年頃森本駅付近に、北陸線の複線化に伴い跨線橋が設置されたが、それ以前にあった踏切の名称を知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:34)
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跨線橋が菊知坂と通称されていたことは確認できたが、以前にあった踏切の名称の書かれた資料は確認できなかった。『森本村回顧誌』(11916035)p.10~11にかけて、跨線橋の設置に関する記述があるが、踏切の名称に関する記述はなし。『森本のあゆみ』(119704533)p.150「菊知坂(北陸本線跨線橋)」の項目に跨線橋に関する記述があるが、踏切の名称に関する記述はなし。『もりもと』(119778303)p.110~111にかけて、跨線橋の設置に関する記述があるが、踏切の名称に関する記述はなし。以下の資料には記載なし。『鉄道要覧 昭和31年度』(11929737)『管内鉄道貨物事情調査』上中下巻『北陸線の記録』(11902801)『森本町建設基礎調査書』各巻
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