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阿部碧海の事績については、以下の資料に記載がある。下記の一部については、石川県立図書館の石川県関係人物文献検索でも探すことができる。『石川県史 第四編』p.755~757『九谷陶磁史考草』(119557320)p.41『金澤の焼物』(118290843)p.19、20『定本 九谷』(118593912)p.349~350『九谷の紋様 三』(11801936)p.231、245『金沢の近代工芸史研究』(119576460)p.15~25『北陸伝統産業学会誌』No.3、4(119883416)なお、阿部碧海については「先祖由緒并一類附帳」に「阿部甚十郎(敬忠)」という名前で由緒帳が残されている。阿部甚十郎旧蔵史料(旧加賀藩士阿部家旧蔵史料)は、現在金沢美術工芸大学が所蔵している。当館近世史料館により、同史料の目録が作成されている。同目録はインターネットで閲覧可能である。なお、同目録では上記由緒帳の ...
【東山ひがし地区の呼称について】 東山ひがし地区の観光地化や呼称の変化について調べているが、参考になる資料等があれば見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:41)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:41)
東山ひがし地域の沿革及び景観保全条例についてわかる資料として以下の資料がある。『金沢市文化財紀要6 旧東のくるわ』(119573530)『金沢市文化財紀要188-1 金沢市東山ひがし伝統的建造物群保存対策調査報告書』(119765771)金沢市のまちづくりの構想を把握するものとして、以下の資料がある。『21世紀金沢の未来像』(11915833)『金沢世界都市構想』(119581774)『金沢市新基本計画』(119588318)『金沢市まちづくり関連条例』(119786379)『金沢世界都市構想 第2次基本計画』(119955032)『金沢市都市計画マスタープラン』(2009年)(109106676)『金沢の気骨』(118551073)なお、現在の市政情報については、ホームページで公開されている。【URL】https://www4.city.kanazawa.lg.jp/kurashi/shisei.html【URL】https://digilib.city.kanazawa.ishikawa.jp/「北國新聞」2010年1月18日付の記事にひがし茶屋 ...
『金沢・北陸の城下町 城下町古地図散歩1』(1995年出版)(118578845)p.14-17 大手町から武蔵ヶ辻周辺 高級藩士邸や経済の中心地p.17「南町交差点から西に入り、一つ目の交差点から鞍月用水までの北側が、八家で年寄役の前田近江守家(一万一千石)の屋敷であった。ここで道路を横断すると、この一帯が八家で年寄役の長家(三万三千石)の屋敷地であった。現在は日本たばこ産業・金沢市立玉川図書館・玉川公園である。」と記載あり。(日本たばこ産業は現在玉川こども図書館)p.14-15の金府大絵図と現在の地図を見ると、「長大隅守」と「市立図書館・日本たばこ産業・玉川公園」との位置が重なっていることが分かる。以上より玉川図書館のところは元々長家屋敷があったと考えられる。「金府大絵図」は「金沢市画像オープンデータ」からも閲覧 ...
以下の資料をご案内した。『皇室事典』(119759890)p58-63「天皇系図」『歴代天皇と元号秘史』(113592995)p126-127「天皇125代・皇位継承略図」『歴代天皇125代』(113344271)p57-60「天皇系図」『日本の天皇 国難と天皇の歴史』(109202304)p62-65「天皇家皇位継承略図」『歴代天皇全史 万世一系を彩る君臨の血脈』(112536104)巻頭折込「皇位継承略系図」『歴代天皇・皇后総覧』(112774741)p506-513「天皇家系図」『歴史と旅 臨時増刊 1993年4月号』(109014940)p408-415「皇室系図」
【浅野川の氾濫について】 2008(平成20)年夏に起きた浅野川の氾濫について、詳しいことがわかる資料はないか。(できれば新聞以外で)(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:41)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:41)
「浅野川 氾濫」「浅野川 洪水」といったキーワードで所蔵検索やブラウジングを行い、以下の資料を紹介した。『石川県立自然史資料館研究報告 第1号』(109131982)p.85-98「記録写真から推定した中流域における2008年浅野川洪水」→中流域における当時の記録写真や冠水範囲の図もあり、その被害の様子がわかりやすくまとまっている。浅野川の氾濫があったのは、2008(平成20)年7月28日とわかる。『石川県の気象・地震概況 平成20年』(109088326)「石川県の気象・地震概況 平成20年7月」p.9「28日の洪水害、浸水害、山がけ崩れ害、落雷害」『金沢市地域防災計画 総論編・計画編 〔平成25年〕』(109179860)総論編第4章p.6「浅野川水害」『金沢市校下誌 北部地区編』(109202707)p.23「浅野川氾濫を教訓に」浅野町校下における当時の被害とその後の対策が簡 ...
【冬瓜町(かもりまち)の町名由来について】 旧町名の冬瓜町(かもりまち、現在の金石西1丁目あたり)の由来について調べている。「冬瓜町」の前には「神守町」という表記だったと聞いたことがあるが、なぜ「冬瓜」という表記に変わったか知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:41)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:41)
『亀の尾の記』(11824824)p.44「冬瓜町」…「宮腰内にして實は別なり。冬瓜の號何に因る事を知らず。」とある。(質問者事前調査済み)『角川日本地名大辞典 17 石川県』(118552562)p.290「かもりまち 冬瓜町」…「大野湊神社の夏祭りは、当町の住居が冬瓜太鼓(かもりだいこ)をたたき寺中へ行ってはじめて神輿がでるので、冬瓜は神守りが転化したともいわれる。」とある。→質問者によると、神輿は「仮殿」から冬瓜町以外の町もめぐって大野湊神社に向かううえに、冬瓜町内には「天磐?樟船(あまのいわくすぶね)社」という別の神社がある。大野湊神社の「神守り」だったのか疑問が残るとのこと。『大野湊神社壱千参百年祭記念誌』(119724269)p.201「神輿御還幸行列順路図」神輿が仮殿から大野湊神社までたどる順路が地図で掲載されている ...
【金沢市の新産業都市指定計画について】 『金沢市史 通史編3 近代』p.741にかつて金沢市が新産業都市指定を目指していたことが記されているが、どのような事業が目指されていたかについてや、経緯について知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:40)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:40)
『金沢市史 通史編3 近代』で引用元となっている『金沢市議会史 下』や『金沢市史 現代編 続編』に記述がある。概略は以下の通り。・昭和36年(1961)3月に石川県は『県勢白書 昭和35年』で、金沢市-小松市を結ぶ地方基幹都市建設計画及び金沢における工業港の新設と臨海工業地帯建設の必要性を唱える。・同年5月に「石川県地方開発基幹都市建設計画(第一次案)」で、金沢工業港の建設、臨海工業地帯の造成、火力発電所、石油・ソーダ・ガラス・化学工業、紙パルプ・木材加工場の誘致を発表。当館所蔵資料では、『県勢ハンドブック』(119522497)p.138~p.141に概要が載せられている。同計画は、そのまま「石川県新産業都市建設計画」となって、37年2月に自治省に提出されている。・金沢市でも同年9月に新産業都市建設計画第一次案を策定 ...
【輪島の「ダイカン」について】 輪島に港があり、年貢米などを管理するため、江戸時代に加賀藩が派遣していた「ダイカン」の武士(役人?)の階級が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:40)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:40)
蔵入地(直轄地)については、御蔵に収納されることになっている。『加賀藩農政史の研究 上』(118546369)p.244~245に代官についての記載がある。代官とは収納代官のことを指す。加賀藩では、当初は侍代官であったが、承応2年(1652)以降十村代官が任命されるようになり、万治元年(1658)に侍代官を廃したとあり、能登の小代官などの例外を除き、代官は十村の役職となった旨が書かれている。輪島小代官が質問者のいう代官に当たるものと思われる。職制の機構図は、『加越能近世史研究必携』(118341577)p.32では、輪島小代官は算用場奉行の配下、『藩史大事典 第3巻 中部編』(11105976)p.176では、能州小代官は所口町奉行の下役となっている。「国格類聚」(『金沢市史 資料編4 近世2』所収)p.80においても、輪島の小代官は3人で、在住と記されている ...
【前田利長の二百回忌法要の奉行について】 前田利長の二百回忌法要のときに、奥村左京という人物が奉行を務めたというが、奥村左京がどのような階層の武士であるかを知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:40)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:40)
年忌法要は、文化10年(1813)に行われている。『加賀藩史料 第十二編』p.233~236に該当記事がある。『高岡市前田利長墓所調査報告』(109104798)p.158では、「法事奉行奥村左京・名代本多安房守」と記されている。奥村左京について、奥村という姓より加賀八家の奥村家を推測。『加越能近世史研究必携』(118341577)の八家歴代より、左京を名乗る奥村姓の人物がいるかを確認すると、奥村家(支流)の隆振、質直、篤輝の3名が該当する。年忌法要が文化10年(1813)に行われていることから、生没年と照らし合わせて、質直が該当すると考えられる(質直は明和4年(1767)生まれで文化14年(1817)に死去している。父の隆振は寛政3年(1791)に死去しているため、該当しない)。『加能郷土辞彙』(改訂増補)(119865516)によると、奥村質直はこの ...
【江戸時代の高岡町奉行について】 江戸時代の高岡町奉行に、加賀藩から派遣されていたのは、1、だれか。2、どのくらいの階級の人か(高岡をどのくらい重要視していたのか)。3、常駐していたのか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:40)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:40)
利用者情報では、江戸時代から明治にかけての加賀藩武士をまとめた資料が玉川図書館にあるとの事。利用者が閲覧していたのは『高岡市史料集 第10集』(前田利長が亡くなって200回忌の法要を瑞龍寺でおこなう事が掲載されていたそうである)。利用者が言っていたのは、『加越能文庫解説目録 上巻』(119573816)の「先祖由緒并一類附帳事」と思われる。明治初年の当主の名前がわかれば、知行高が掲載されている。さらに先祖や職歴など詳しく見たい場合は、近世史料館で閲覧可能。1、だれか『諸頭系譜 上』(109169685)p202「高岡在住」の項目に「慶応4.6.4 青山 将監 悳次」の記載あり。上記目録の「先祖由緒并一類附帳」で調べると、p2-3に「青山与三(悳次) 将監成次 7650石」の記載があり、他13件の青山姓の由緒帳がある事が判明した。『諸頭 ...
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